第29話『混迷とする状況』

 


「え、えっと……私、変な事でもしましたでしょうか?」


「い、いや、確かに変な事をしているんだけれども……その、杖は……?」


「杖ですか? ここにありますけど……」


 杖の事を指摘されてか、イヴは右手の炎を消し去り、空いたその手に杖を持ってウィリアムに見せる様に掲げてみせた。


「何か気になる事でもありましたか?」


「そういう事を言っているんじゃなくて……無詠唱だったとか、杖を使っていないだとか……あぁ、でも、良く考えてみれば猪の時も杖を持っていなかったし、何と言ったらいいか……」


「……? 杖を使えばいいのであれば―――えいっ!」


 ウィリアムが言葉に詰まっていると、イヴは先程の言葉の意味を履き違えてか、杖の先を天にへと向けてそこから炎を立ち上がらせる。その大きさは拳大なんかではなく、何倍も大きな篝火として燃え上がる。


 そうしたイヴの突然な行動ぶりに、周りに集まっていた観衆は大きくどよめいた。観衆からの視点で見れば特に敵もいないというのに、安全圏である街の前で突如として火魔術を発動させたのだから。事情を知らなければそういった反応になるだろう。


 そうした反応は観衆だけではなく、残っていた別の兵士達も驚きを隠せない。目の前で発動された火魔術を見て、警戒の色を強めて前方に盾を掲げイヴの動向を伺い出した。


 そしてただでさえ混乱をしている状況でいるのに、イヴが突発的な行動を取ったのだから。傍にいたウィリアムはこの場にいる誰よりも大いに驚いた。


「って、おいっ!?」


「こんな感じで、どうでしょうか? それとも、もっと巨大な―――」


「どうでしょうか、じゃないっ! 今すぐこの火を消すんだ!!」


「えっ、でも、ウィリアムさんが杖でって……」


「いや、俺はそんな事は一言も言っていないから! だから早く、魔術を止めるんだっ!」


「止める……って、大丈夫でしょうか。いきなり止めて……」


「いいから、早くっ!」


「あっ、はい。分かりました。それでは……『魔術』を止めますね」


 イヴがそう言うと、杖の先の炎、それから左手から出していた炎も一瞬の内に掻き消えた。騒ぎの原因となっていた魔術が消えた事によって、ウィリアムは少しばかり安堵の気持ちが心の中に生まれた。


 しかし、そうした安堵の気持ちは一瞬にして消える事となる。イヴは『魔術を止める』と言ったのだ。だから―――


「―――ん?」


 炎が消えたと同時に、宙に浮かんでいた猪、装甲熊に纏っていた光もふっと消えていった。


「ま、まさか……」


 それはつまり、死骸を支えていた魔術『浮遊フロート』の効果、または『保存セーブ』の効果が消えたという事だった。


 そして……支えを失った両頭の死骸は重力に従って、大きな音を立てて地面にへと垂直に落下をしたのであった。


「どわっ!?」


 猪はともかく、巨体であり相当な重量のある装甲熊が落下したのだ。だから、落下の衝撃は周囲を震わせた。震源地に近いものの、冒険者として経験を積んでいるウィリアムはそうした衝撃があっても耐える事は出来たが、周りにいた観衆はそうはいかなかった。


 周囲においてイヴ達に近かった者達ほどその衝撃に耐え切れず、身体の支えを失ってバランスを崩し、尻餅をついてしまった。そうしたものであったから、イヴが魔術を止めてから死骸が落下をした直後、ウィリアムとイヴの周辺は阿鼻叫喚の嵐、恐慌の渦にへと飲み込まれてしまった。


 その混乱具合は先程にイヴが火魔術を発動させた時以上に酷いものだった。まさにカオス、混沌といっていい状況であった。


「ふぅ……えっと、ウィリアムさん。こんな感じで、良かったでしょうか」


「………」


「ウィリアムさん?」


「もう……」


「……?」


「もう、どうとでもなってくれ……」


 この混乱の中、冒険者ギルドに確認をして戻ってきた兵士が果たしてどんな反応を見せるか。そして考え直されてここを通れなくなってしまうか。それを思うと気が重くなり、どっと疲労感が増した。


 願わくば何事もなく―――とは言えないが、無事に通れる事を祈るばかりのウィリアムであった。



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