第25話『別の力』



「ま、まさか……本当に……?」


 信じられないとばかりにそう呟いた後、ウィリアムは潜んでいた茂みの中から抜け出し、倒れ伏した装甲熊にへと近付いていった。


 その近寄っていく様は恐る恐るといった足取りでは無く、ゆったりとした足取りである。もしかするとまだ死んでいないかもしれない……と、そんな憂慮とした考えはウィリアムの頭の中には無かったからだ。何故なら、遠目から見ても確実に装甲熊は絶命していた。


 ウィリアムのこれまでの経験からして、この状態でまだ生きているというのは考えにくかった。そして死骸となった装甲熊のすぐ傍にまでやって来ると、ウィリアムは腰を下ろして屈み、この巨体を一撃で葬った傷口を確認しようとして額へ手を触れた。


 装甲熊が持つ金属の様に丈夫な毛をまさぐった後、ようやくその傷口が顔を出す。指で貫いた様な小さな穴が額にぽっかりと空いている。これが装甲熊の命を絶った証である。


「迫りくる装甲熊に怯む事も恐れる事も無く、眉間へ精確に一撃を当てている……手練れの冒険者でも、あの状況でしっかりと命中させる事なんて、普通は出来ないぞ……」


 これが平時であって、更に動いていない的に当てるならまだしも、イヴは自分に向かって動いている相手に対し、それでも精確に装甲熊の眉間を打ち抜いたのだ。


 本来、魔獣と初めて遭遇する新人だったら、普通なら恐怖や緊張といった感情によって心が揺れ、狙いは狂ってもおかしくはない。そして当てる事よりも、逃げる事を優先するだろう。


 しかし、イヴはそういった感情を物ともせず平常心で臨み、しかも胴体を狙うよりも当たりにくい、的の小さな頭部を狙い打った。中堅者のウィリアムからしても、その芸当は離れ業としか思えなかった。


「それに装甲熊の硬い皮膚を物ともしない貫通力……それから―――」


 ウィリアムは貫通して出来上がった穴の中を覗いてみる。頭蓋を貫いたというのに、その穴からは血や内臓物が流れてくる気配は無かった。


 そしてその穴の周辺、それと内部。赤色光線が通り抜けた痕には薄っすらと、焼き焦げた痕跡が見受けられた。


「貫いた―――じゃなくて、これはという事か。やはり、さっきのあれは見間違いなんかじゃなくて、間違いなく火属性の魔術だった」


 ウィリアムが見た赤色の魔方陣。それは四属性のうちの火属性に対応をした魔方陣である。そして火属性が持つ火力を最大限に高め、超高火力によって相手を貫く光速の貫通魔術。それが先程にイヴが放ち、装甲熊を一撃で葬った魔術の正体であった。


 だが、それが分かったとしても、ウィリアムには解けない謎が1点だけ残っていた。それは―――


(―――だが、あの彼女が唱えた『熱線ファイアレーザー』という魔術……俺は全く知らない。そんなもの、聞いた事が無いぞ……)


 イヴの唱えた聞いた事も見た事も無い火属性魔術。それがウィリアムを悩ませる謎であった。


 魔術師ではない戦士職のウィリアムではあるが、ある程度の魔術知識というのは頭には入っていた。基本的にソロでの冒険者活動を行っているウィリアムではあるが、魔術師の知り合いがいない訳でも無いので、知識を仕入れる機会というのは何度となくあったからだ。


 この世界において一般的に有名な火属性魔術としては『火球ファイアボール』、それと『火矢ファイアアロー』の2つが上げられる。どちらも火属性に適応をしていれば扱える初歩的な魔術である。


 違いとしては『火球ファイアボール』は自身の魔力を火の玉に変換して打ち出す魔術であり、『火矢ファイアアロー』は魔力を使って矢の形状をした火を作り、それを打ち出して相手を射るという魔術だ。


 『火球ファイアボール』と『火矢ファイアアロー』。そのどちらも初級レベルの魔術であり、その違いとしては着弾時の爆発力か貫通力かに分かれる。


 そして貫通効果という点に関しては『熱線ファイアレーザー』は『火矢ファイアアロー』に近い魔術なのかもしれないが、それでも火力、速度、威力という点で大きく違っている。掛け離れている。


 そして火属性というのは四属性の中でも割と適応する者が多い属性に当たり、戦闘において最も良く使われる魔術でもある。ウィリアムはそれに属する大概の魔術を今までの経験の中で何度も見てきている。だが、そのウィリアムが知らないという事は―――


(―――何らかの特殊魔術。もしくは……秘伝の魔術なのだろうか……)


 結論としては、そういった類のものにへと辿り着くしかなかった。そうした知識が無い以上、ウィリアムの見識ではそこまでが限界であった。


「なぁ、今の魔術だが―――」


 とりあえず、ウィリアムはイヴの口から何か聞き出せないかと思って、彼女が立っている方向にへと声を掛けようとして―――


「えっ?」


 ウィリアムが視線を向けた先、さっきまでイヴが立っていた場所には既に彼女の姿は無かった。だが、視界の端―――別の場所においてイヴの姿をウィリアムは捉えた。その場所はというと―――


「―――よい、しょっ」


「って、おいっ!?」


 ウィリアムが見たのは少し前にも見た同じ様な光景。イヴは放置された猪の死骸の傍に移動をしており、屈んだ姿勢で手にナイフを持ち、今度こそ満を持して猪を解体しようとしていた。


「待て待て! ちょっと待てっ!!」


「はい?」


「何でまた解体しようとしているんだ、君はっ!」


「えっ、でも……まだ時間的には大丈夫なはずでは?」


「そんなのはどうだっていいからっ! 早く山から下りて街に戻るぞっ!」


 ウィリアムが強くイヴに向けてそう告げると、彼女は心底信じられない様な表情を浮かべてみせた。さっきの装甲熊の時には見せなかった表情であり、今の状況で見せるべき表情では無かった。


「な、何でですかっ!?」


「何で、じゃない! そんな事、言わなくたって分かるだろ!!」


「だ、だって……私、ウィリアムさんが時間が無いって言うから……早く解体を済ませる為に、戦闘も速やかに終わらせたんですよっ!? なのに、どうしてですかっ!?」


「だから、そんな事を言っている場合かっ!? 確かに時間としては大丈夫かもしれないが、本来ならここには出てくるはずの無い魔獣が、装甲熊が現れたんだぞ! この場に留まるという選択肢なんて論外だ! 危な過ぎるっ!」


「けど、ウィリアムさん。その装甲熊なら、もう倒しましたから―――」


「確かに倒したには倒したが……今は何が起こっているか分からない危険な状態なんだ。もしかすると、また別の個体が近づいてくる可能性も……」


「いえ、その可能性ならありませんので、大丈夫ですよ」


「……何?」


 確信的なイヴの言葉を受けて、ウィリアムは怪訝そうな表情となる。そんな彼に向けて、彼女は説明を始めた。


「さっき倒した後で探ってみましたが……この辺り一帯にはもう、装甲熊の様な強い存在はいないですので、問題はありません。なので、続けさせてください!」


 ナイフを握る手をぶんぶんと上下させて、イヴはそう力説する。その仕草から察するに、早いところ解体を済ませたくて仕方がないといった感じであった。


 しかし、ウィリアムはそれに対してすぐに頷きはしなかった。彼には何の確証があってイヴがそう言っているのかが分からないので、了承する事はためらわれたからだ。


「―――いや、やっぱり危険だ。解体は中止にして、早く戻ろう」


「そ、そんなぁ……」


 色々と考えた末に、ウィリアムはそうした決断を取った。今までの経験を基にして、ここに留まり続けるのは悪手だと判断をしたのだ。


「俺が収集袋を拾ってくるから、君は戻る支度をして―――」


「あ、あの、ウィリアムさん。戻る前に一つだけ、聞かせてください」


「……何だ。一応言っておくが、早く済ませるから待って欲しいというのはもう聞けないからな」


「いえ、そうではなくて……確認ですが、ここで解体をするのが危険というのなら、安全な場所でなら問題はありませんか?」


「は? いや、それは―――」


「ここでは危険なので、中止にするんですよね。なら、山を下りてからなら大丈夫でしょうか?」


「それなら、まぁ……だが―――」


 イヴからの提案に戸惑いつつも、ウィリアムは猪の死骸にへと目を向けた。彼女の言う安全な場所で解体をする―――つまり、この猪を山の麓、または街まで運ぶ事を提案しているのだ。


 猪の体躯は巨体であり、明らかに重さは相当なものだと推測が出来る。予測ではウィリアムの体重の3倍から4倍ぐらいはあると思われる。これをウィリアムとイヴの2人で運ぶというのは無理があった。


 仮に運べたとしても、麓や街までに辿り着くにはかなりの時間が掛かるだろう。と、いった事を踏まえた上で、イヴの提案というのは現実的では無いとウィリアムは考えた。


「君はそう言うが、こいつをどうやって運ぶんだ? 引き摺ったとしても、俺と君だけでは時間が掛かるぞ」


「あっ、それに関しては大丈夫です。ウィリアムさんの手を借りなくても、私一人で運べますから」


「運べるだって? そんな馬鹿な。君1人でか?」


「はい。ここに来る前―――お師匠様と山にいた頃は、こういった事も弟子である私の役目でしたから。これぐらいは朝飯前ですっ」


 イヴはそう言うと、立ち上がって猪の死骸から少し離れた。そして杖を両手で持ち、水平にして構えてからこう唱えた。


「『浮遊フロート』」


 イヴがそう唱えるのと同時に猪の全身が光に包まれ、それから何と―――ゆっくりとその身体を浮上させ始めたのだった。


浮遊フロート……だと?」


 浮遊フロートとは補助魔術の一つであり、対象とする相手、物に浮遊をさせる効果を付与する魔術である。猪はイヴの頭上辺りの高さまで浮かび上がった後、それ以上は浮上はせず、空中で停止した。


「さて、っと……」


 浮遊し続ける状態の猪にイヴは近づくと、ローブの内側にへと手を入れて、そこからナイフとは別の物を取り出した。


 イヴが取り出した物―――それは草で編まれた縄、ロープであった。イヴは取り出したロープを使い、猪の前足にへと解けない様に固く縛り付けた。


「これで、良しっ! 後は……」


 イヴは縛った反対側、垂れ下がっている部分を手に持つと、確かめる様にしながらロープを引っ張りながら数歩ほど移動をした。ロープを引っ張りながら移動をすると、猪もそれに付随して引っ張られて移動をする。その動作は猪の体重なんて関係が無い感じに、軽々と移動をしてみせたのだった。


「うん、問題は無さそうです。それと、戻るまでには時間が掛かりそうですから―――」


 イヴは一旦ロープから手を離すと、また杖を構えて先端を空中で停止している猪にへと向けた。


「『保存セーブ』」


 イヴの口からまた新たな、別の魔術が唱えられた。これも補助魔術の一つであり、その効果は対象の状態を現状で維持し続けるというもの。


 しかし、その効果が適応されるのは物か死体に限られ、生きている対象には効果が無いという魔術である。


「これで麓か街に辿り着くまで傷まないで済みます。安心ですね」


「安心ですね、って……いや―――」


「あっ、それとせっかくですから……あの装甲熊も一緒に運びましょう」


「は? ほ、本気で、言っているのか?」


「はい。そのまま放置しておくのも、もったいないですから。それに―――」


「―――それに?」


「熊って、食べると美味しいんですよ」


 イヴはそう言うと装甲熊の下にへと走っていった。ロープで縛った猪を引き連れてでた。


「……はぁ」


 そうしたイヴの姿を後ろから眺めつつ、ウィリアムは何か言いたげにしていたが、この場では諦めて収集袋を拾いに行く事にした。


 色々と聞き出したい事、謎は多く残るが―――ウィリアムとイヴの2人はブレナーク山を下山し、街にへと戻るのであった。



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