第18話『イヴの戦い方』



「―――なっ!?」


 ウィリアムは困惑した。後衛職の魔術師であるイヴが前衛職である戦士のウィリアムを差し置いて前に出てしまえばそうなっても不思議ではない。


 突然の出来事に対して怯みも怖気もせず、前にへと出て猪に颯爽と立ち向かう彼女の姿は勇敢なのかもしれない。


 だが、前衛職でも無く、攻撃手段も持ち合わせていないイヴが真っ先に立ち向かうなど、無謀と言っていい行動だ。


(……何か考えでもあるのかっ!? それとも、何も考えていないだけなのか……!?)


 ウィリアムはイヴの背中を見つつも、良い解決策は無いかと考える。


 しかし、予期せぬ事に焦ってしまって考えは少しも纏まらない。今は冷静な判断力に欠けている状態であった。そしてウィリアムがそうこうしている内に状況は進んでいく。


「―――っ!!」


 猪は更に低く唸り声を上げると、右前足を上げて地面を引っ掻く行動、前掻きをし出したのだ。じっくりと観察しなくても分かるぐらいに猪は興奮しており、今は攻撃態勢に移行しているのだろう。


 もう間も無く、猪は2人のどちらかに向けて突進を仕掛けてくると思われた。そして猪の目線の先。そこにはウィリアムの姿―――では無くて、その手前のイヴの姿をはっきりと捉えていた。


(こうなったら、彼女を押し退けてでも前に出て……いや、彼女を抱えてでも逃げる方が得策だっ!)


 攻撃目標がイヴにへと向いた事で、ウィリアムもようやく腹を決めた。彼女を連れて一旦は逃げるという方向性に。


 獣相手に逃げたなどと知れれば恥などと言う者もいるが、命が掛かっている状況下ではそんな理屈を言っている場合なんかでは無い。尊厳よりも命の方が大事なのである。ウィリアムはそれを実行しようとしてイヴの肩にへと手を伸ばそうとして―――


「『燈火トーチライト』!!」


 だが、その行動も少し遅かった。ウィリアムの手がイヴの肩に掛かる前に、彼女は燈火トーチライトの魔術を発動させたのだ。


 魔術が発動するのと同時に激しい光がその場を包み、イヴの周囲、宙空にて昼白色の光球が2つ発生する。光球は太陽と比べれば光量として劣る。しかし、松明や蝋燭と比較すればそれらよりも強く発光する明かりであった。


 そして現れた光球はイヴの顔の横辺りの高さにふわふわと浮遊しており、今の状況とは似つかわしくない呑気さを醸し出していた。


 一般的に、普通の新人の魔術師が発動するものなら1つ出すのでやっとなのだが、それをイヴは2つも出してのけた。散々とイヴの特異性を見てきたウィリアムからすれば、それに関して言えば驚く事は無かった。けれども―――


「と、燈火トーチライト……っ!? 何だってそんな魔術を!?」


 燈火トーチライトはイヴの扱う事の出来る魔術の1つだ。しかし、今の状況で扱う様な魔術では無かった。


 周囲を照らすだけの補助魔術を、何故このタイミングで使用したのか。その意図をウィリアムは読む事は出来ないでいる。しかし、その答えは直ぐに分かる事となる―――


「行ってくださいっ!!」


 イヴがそう言いながら杖の先を猪にへと向けた直後、彼女の周りを浮遊していた光球が言葉に反応してか、猪にへと真っ直ぐに向かっていった。


 その速度は素早く、イヴが発声をした次の瞬間には猪の眼前に光球は2つとも佇んでいるのだった。急な目の前にへと現れた光球を目にしてか、猪は驚いて身をすくめた。


「はぁっ!?」


 そしてウィリアムもその光景を見て驚愕とした。それは光球が移動した速度に対して驚愕しているのでは無く、という事に対しての驚きであった。


 通常、燈火トーチライトの魔術はの魔術であって、イヴがした様な使い方は前例が無いし、ウィリアムも見た事が無い。そうした光景にウィリアムは目を奪われていたが、彼の驚きはまだ序の口であった。


 猪の眼前にへと移動をした光球は佇んでいるだけかと思われたが、2つの光球が左右それぞれ、猪を中心として横向きに円を描く様な動きで回り出したのだ。


 左向き、右向きに。それも無秩序な軌道を描いて回転を繰り返す光球を猪は目で追い掛けようとするも、素早く回り続ける光球を延々と、それも2つを捉え続ける事は困難だった。


 そしてそれはウィリアムも同じであった。人間のウィリアムですら困難を極めるのであれば、獣でしかない猪が捉えられるはずもない。


 やがて猪は目を回して混乱状態にへと陥った。一時は攻撃目標をイヴに定めていたはずだったのが、今は自分の周りをうろちょろと飛び回る、煩わしい存在の光球にへと攻撃の対象を変えていた。


 だが、混乱の状態で仕掛けるものなら攻撃は雑となり、手当たり次第に強靭な牙を振り回しては光球にへと攻撃を加えようとする。


 けれども、闇雲に振り回しているだけでは光球に当たる事は無い。万が一、まぐれで牙が光球に触れようとしたとしても、それを察知して攻撃を回避するだけであった。そうして出来上がったは、猪が光球に囲まれて翻弄されているという状況であった。


 ただし、光球はウィリアムの知らない動きをしているものの、攻撃手段においては普通と変わらないのか持ち合わせておらず、暴れている猪を倒すまでには至っていない。しかもこれだけ激しく暴れていては、ウィリアムも迂闊に近寄る事も出来ない。手を付けられないのであれば、戦況的には停滞している状態である。


「お、おいっ! 君はこの状況を、一体どうするつもりなんだっ!?」


「はい?」


 たまらずにウィリアムは剣の切っ先を猪にへと向けつつ、イヴにへと疑問を投げ掛けた。現状での戦闘の主導権はイヴが握っている。猪もウィリアムも、彼女の手によって翻弄されているだけだ。


 傍観しているだけであったウィリアムとしては、今の状況下においてウィリアムが割って入り、この混沌とした戦況に介入するという行為は難しい。それ故に、ウィリアムはイヴにへと意見を求めた。彼女が今、何を思っているのかを。



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