暗闇に光るラピスラズリ

 ヒルダ・マギーをなだめてから、ダンジョンの攻略を再開。

 頂上でボスを倒して外に出る。戦いの内容は言及するほどでもない。実にあっさりとしたものだった。


 三人は黄昏に染まった街を歩く。

 このころになるとルイはマリアに気を許していた。

 火山でのマリアは頼もしく、最強の仲間だと思うほど。

 一方でヒルダはツンツンとした態度で、マリアに噛み付く。


「共闘したからっていい気にならないで。彼はあたしのものなのよ」

「別に、そういうんじゃないわ」


 強い口調で主張するも、マリアは冷めている。


「強がっちゃって。あたしは知ってるのよ、彼の過去を。その時点でこちらのほうが上なの。そこを勘違いしないでよね」


 胸を張って顎をそらしている。

 実に誇らしげだが勘違いしているのは、彼女のほうだ。

 自分のほうが上だと煽れば煽るほど、少女は白けるだけ。

 ルイとマリアは本当に“そのような”関係ではない。


 それはそれとしてルイの過去は気になる様子。


「その過去ってなんなの? よほどすごいものだったりするのかしら?」

「別に。さらけ出したいものじゃねぇよ」


 マリアが視線を送るとルイは即座に目をそらして、ごまかす。


「廃墟にいたことと関係があるんじゃない?」


 真剣な声で追求する。


「ああ。故郷だったからな」

「じゃああんたは、故郷を滅ぼされたの?」

「魔王によってな」


 あっさりと答えたのは、知られてもよい情報だったからだ。

 ルイは故郷に思い入れがない。くだらない場所を滅ぼされたところで心は揺るがなかった。ただ失ってしまったという感情が残るだけ。

 本当に重要な、隠しておきたいことはほかにある。

 彼女になら言って聞かせられるだろうか。自分の気持ちを打ち明けられるだろうか。

 過去に目を向ける。いつか見た劇を思い返すように淡々と。他人事のように。


 ***


 子だったころ。


 母はルイを才能でしか見なかった。彼女にとって子は分身。おのれの代わりに願いを叶える道具でしかない。

 努力はした。まずは質のよい教育を受けるために、都会へ。今は廃墟と化した故郷を捨てた。

 ルイも必死になって勉学に励む。魔法の授業を受け、実戦にも挑んだ。自身が黒い魔法を扱う中、周りでは色とりどりの光が輝く。生徒たちが生み出す鮮やかな光景を見る度に、胸が焼き付くような焦燥と苛立ちがこみ上げたのを、覚えている。

 芽は出なかった。

 母の態度は冷たくなっていく。家庭では話しかけても無視を続けた。小さな成果を上げても褒めはしない。憎悪に満ちた目で彼を睨むだけだ。

 以降も騙し騙し一緒に暮らすも、ついに糸が切れたらしい。

 母は子を荒野に捨てた。最初から最後まで、彼は人間扱いを受けなかった。


 一人になって各地を転々とするも居場所はなく、荒れた町に迷い込む。薄暗い路地をさまよっていると人身売買の業者と出遭い、売られた。

 彼は奴隷となり、中央の貴族に仕える。館には同じ境遇の者が複数おり、共に働かされた。少しでも失敗をすれば叩かれ、踏みつけになる。手足の枷は外せないし、逃げられない。まるで一生を檻の中で過ごすことを強いられているかのよう。未来は暗黒に閉じていた。



 そしてある日――いつものように広場で掃除を強いられていたときだった。

 床を磨くために屈んだところ、後ろからバケツを持った女が近寄って、頭から水をかける。薄い服を濡らし、髪からも水を滴らせた彼を見て、彼女たちはケラケラと笑う。大人にしては高くで幼い声だった。ドレスとメイクで着飾った姿が余計に醜さを際立たせていた。


 そのとき、スッ、バタンと、謎の音。

 女たちはすみやかに口を閉じて、そちらを向いた。薄暗い室内、不穏な気配。びくっと表情を固め目にとらえた、濁った赤色。刃の色。殺気に満ちた剣を担いで、一人の青年が室内に踏み込んだ。背には薄暗い廊下。血に濡れた床には複数の騎士が倒れ伏していた。


「面白ぇことをやってるじゃねぇかい?」


 それはひと目でまともではないと分かる見た目をしていた。

 三原色を基調とした派手な色彩は、奇抜ですらある。にも関わらず似合っているのは、彼の放つオーラのおかげか、なにでも着こなすスタイルのよさによるものか。


「ちょいと俺も混ぜてくれや」


 挑発じみた言葉を吐く。

 つり上がった唇は燃えるような橙色。


 一方、皆は逃げなかった。

 恐怖で体が動かず、震えるばかり。頭は真っ白。思考回路は停止。


「さて、助かりたいか?」


 なんの気なしに繰り出した問いかけ。

 女たちは勢いよくうなずいた。何度も壊れたオモチャのように。


「おっと、勘違いしちゃいけねぇなぁ」


 言いつつ、さりげなく距離を詰める。

 ごく自然に。

 軽い雰囲気すら漂わせて。


 瞬間、左端から血が吹き出した。

 どさっと崩れ落ちる音。

 その隣、真ん中に立つ娘は、瞠目したまま視線を滑らす。

 視界に飛び込んだのは生気を失った、妹の姿。首元を斬られ、蒼白となった肌は血に濡れている。

 鮮やかな赤を見て、息が荒くなるのが分かった。心臓がバクバクとしている。体中の血が沸騰しているかのように。


 殺された。


 理解した瞬間、右端で甲高い悲鳴が上がる。


「いやあああああ! お願い ! 誰かっ、助けて!」


 頬に両手を伸ばし、大粒の雫を垂らしながら、目をさまよわせる。


「そいつは困ったな。できれば生かしてやりたいが。どうやらそんな方法はないらしい」


 かすかに口元を緩めながら、男は迫る。


「諦めな。お前らの味方はいないんだぜぃ。全員殺したからな」


 さらりと剣を動かす。

 直後に二人の視界は暗転した。


 いっときの静寂。

 奴隷たちが息を殺して見守る中、惨劇は終わった。

 男は赤い刃を下へ向ける。


 次いで彼は部屋の隅を見た。

 縦に割れた瞳孔がとらえたのは、奴隷たち。傷だらけかつ泥だらけの体を、薄汚い布で覆っている。

 背後には血が溢れた床。より華やかな色に染まった、ドレッサーやタンス。


 奴隷たちは一斉にすくみあがった。

 自分たちも殺される。

 絶対に助からない。

 恐怖は諦めへ転ずる。

 元よりおのれの生に絶望していた彼らは、死んだ目をして、立ち尽くした。


 その中で歩き出す者が一人。無表情のまま吸い寄せられるように、男へと向かう。相手もその場から動かなかった。

 彼は男の手前で立ち止まると、すぐさま膝をつく。頭を下げ冷たい床に額をつけると、小さく口を開いた。


「言うことは聞きます。だからどうか殺さないでください」


 ぎゅっと目をつぶって、振り絞るような声を出す。

 男は奴隷の懇願を冷めた目で見下ろしていた。


「学習しねぇなぁ。さっき失敗例を見ただろ? それともよほど停まった環境で生きてきたのかぃ」


 前半は小さくぼやきつつ、終わりの言葉を強調するように、口に出す。


「いいんじゃねぇの? 通用する奴には通じる。ちなみに俺は嫌いだぜぃ」


 片眉をひそめながら、彼は口角をつり上げる。

 相手の持つ肉食獣じみた気配がより濃く、強くなった。なにもしなければ食われる。ルイは弾かれるように顔を上げた。


「第一、隙だらけなのはいただけねぇよなぁ? そんなことやっちまったら、真正面からぶっ刺されかねねぇぞ」


 軽々しく繰り出された語句にぞっとする。

 目の前の男ならばやりかねない圧があった。


「だからよぉ、ちったぁ立ち向かってみねぇかい?」


 男はおもむろに柄を握り、ルイに刃を突きつけた。

 生きるか死ぬか選べというように。


「立ち向かう……?」

「ああ、そうだ。俺たちは反逆者だ。停滞した現実を変えるためのな」


 相手のことは分からない。

 悪なのか善なのか。

 だけど、立ち向かうという選択を突きつけられて、彼の中でなにかが動く気配があった。


 可能性を考える。

 強者に牙を向けていたら現在は変わったのか、違った未来を見られたのかと。

 いいや、できなかった。仮に望みを手に入れたとしても、それはおのれにとっての光にはならない。


「さあ、決めろ」


 混沌とした思考に一石を投じるように、男の声が響いた。


「解答はもちろん俺が求める選択だ」


 不敵な笑みを青年へ向ける。

 男のはめたラピスラズリの指輪が、星空のように輝いた。


 いよいよ思い定める時が来た。為すべきことは分かっている。たとえ無謀な決断であったとしてもそこに道しるべがある限り、突き進むしかない。その一つの光を追うように彼は選択を口にした。


 ***


 結局、語らなかった。

 話せばおのれの弱さをさらけ出す羽目になる。おのれの過去など知られたくなかった。

 一方でマリアは察したらしい。相手は口に出したくないほどに、悲惨な過去を抱えていると。


「そう、あんたは、そういう」


 少女は目を伏せた。

 ルイの体験した内容を聞けば、彼女は同情するだろうか。

 もしものことを考えたのは、本当は聞いてほしかったから、かもしれない。同じ気持ちを共有したかったのだ。共に闘った彼女だからこそ。

 それでも敵同士であることに変わりはない。隙を見せてはならない相手だ。

 否、殺し合うと分かっているからこそ、思うのだろう。自分の存在を彼女の心に焼き付けたいと。そんないじらしくも身勝手な想いが、胸の底から湧いてきた。


 そうした中で気づく。震えが止まっていることに。

 先ほどまで身に染みついていた恐怖は薄れ、マリアに立ち向かう気になっている。彼女の実力を知った上で、その強さを身に受けようとしているのだ。そして彼は敗北する。分かり切った未来だ。

 少女と比べて自分はなにだろう。心の炎が小さくなるのを感じた。


「俺には無理だ。いつだって怖がってばかり。お前と違って弱いんだ」

「なに言ってるのよ」


 マリアは首をかしげる。

 彼女は彼が弱いとは思っていない。


「あんたはダンジョンに来たじゃない。怖くても立ち向かう……それが強さじゃないの?」


 さらりと解き放った言葉は、ルイの認識を大きく変えるものだった。

 衝撃を受けて目を見開く。視界を覆っていた霧が晴れたような感覚がした。


「でも、お前のほうが強いよ」


 なんの気なしに言葉を投げかける。

 途端にマリアは表情を曇らせた。


「そんなこと、誰にも言われなかったわ」

「え……?」

「本当よ」


 きょとんと固まる青年に対して、少女はキッと睨むような目で、こちらを見た。


「あんただって散々あたしをなじったじゃない」

「それは……」


 よく絡みに行っていたのは彼女から本来の力を引き出すためだ。他意はなかったが煽ったことは確かなので、言い返せない。

 しかし、結果として彼の行いは正しかった。マリアは嫉妬の大罪。海のように広く深い力を隠していたのだから。


「本当のあたしを知らないから、認められるのよ」


 ルイの思考とは裏腹に、マリアは卑屈につぶやく。


「あたしはなにもできない。みんなの足を引っ張ってばかりよ。ソロでダンジョンに潜れるようになったのだって、最近のことなんだから」


 憤慨しそうな勢いで主張を繰り出し、一旦は口を閉じる。

 彼女の言いたいことを理解した上で、ルイは口を開いた。


「それって努力が報われてる証じゃねぇのか?」


 マリアはきょとんと彼の顔を見た。


「昔は駄目でも今は違うんだろ。じゃあ、強くなってるじゃねぇか」


 真実を伝えると彼女は固まった。

 なにかしら響くものはあったらしい。

 穏やかな風が吹き抜ける。

 ややあってマリアは口元を緩めた。


「そう、よかった」


 花のような唇が弧を描く。

 見惚れるほどに美しかった。

 意識が夢に塗る潰されるような感覚。同時になにかが崩れるような予感もした。ゆえにおのれの感情に見てみぬ振りをしつつ――


「ああもう! いつまでダラダラとやってるわけ?」


 白で覆われた世界で二人切りになったような、よい心地の中、金切り声が響いた。


「さっさと行くわよ」


 ヒルダはルイに近寄ると彼の腕を引っ張る。外敵から標的をかっ攫うような勢いだった。

 女のほうが先に動く。大きな歩幅に引っ張られるような形で、ルイも歩く。


「ああ。じゃあな」


 柄にもなく手を振る。

 マリアはぽつんと取り残された。

 沈む夕日を背に立ち尽くす。

 二人は見る見る間に遠ざかっていった。

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