初めての接触
墓地を通り抜けると外には無限の森が広がっていた。遭難しそうで絶望感がある。
そして案の定、迷いに迷い。
市街地に足を踏み入れたころには、空は夕焼け色に染まっていた。
夕暮れ時だ。宿を探そう。
適当に歩いていると広場にたどり着いた。石畳の絨毯、その中央に看板が立っている。広い板には地図が貼ってあった。
「宿までの道のりは……」
地図とにらめっこ。
結果、彼女は肩をすくめる。
地図の見方が分からないため、宿への行き方も分からない。
「誰かに頼むしかないっしょ」
口に出した瞬間、ふわりとした髪の一房が、視界に飛び込む。通りがかったのはハーフアップの少女だった。ウェーブの髪は重たい黒に染まっているが不思議と、透明感と軽やかさがある。
「ちょっとそこの人!」
真っ先に声をかけると相手も足を止めて、そちらを向く。
つり目がちの少女らしい顔立ち。肌の白さが夕闇に映えて、浮き出るように輝く。華奢な体を覆うセーラーカラーのワンピースが、彼女の清純な魅力を引き立てていた。
マリアはダンジョンでの狩りと素材の回収を終えて、帰る途中だった。
収納の魔道具を片手に歩いていると、唐突に声をかけられる。
視線を向けた先には見覚えのある女が立っていた。夕日と共に輝く黄金の頭髪に、澄み切った青の瞳。ナチュラルな服装が彼女の健康的な美しさを引き立てている。
「宿の場所を教えて!」
彼女が大きな声で頼むとマリアはぽかんと、硬直した。
「なんで……?」
霧がかった声を漏らす。
「道くらい分かるんじゃない? サガプールに住んでるんなら」
「へー、ここってサガプールっていうんだね」
女が明るく言い放つと、マリアはええ……と、のけぞる。
「そっか、あたしはこの街に住んでたんだね。でも、本当にそうかな? 観光してたって線はないかな?」
「こっちに話を振られても困るわ。自分で考えてよ」
「無茶言うね」
「難しいことじゃないと思うんだけど」
訝しげに眉をひそめる。
「普通ならね。でも、あたしは記憶がないんだよ」
マリアにとっては衝撃の一言。
目を見開き、立ち尽くした。
まっすぐに立っているはずなのに、体が斜めになったように感じる。
景色が白く染まり、砂漠のように殺風景になった空間に、一人だけ取り残されたようでもあった。
「記憶がない?」
相手が放った言葉を復唱し、問い返す。
「うん。できれば取り戻したいんだけど、大丈夫っしょ! なんとかなるよ」
女はからからと笑い飛ばす。まるで深刻には考えていない。
「ちょうどいい証人とも出会えたし」
「へ?」
思いもよらぬ言葉が飛び出して、マリアはびくっと肩を跳ねる。
「君、あたしを知ってる風だったっしょ? 知り合いだよね? あたしの正体に心当たりがあるんじゃないかな。ね、なにか知らない?」
食い入るように接近。
たまらず少女は距離を取る。
「その……」
返答に困る。おどおどと目をそらした。
相手の正体に心当たりはある。いつもフランにくっついていた謎の女だ。つまり、フランの味方であり大罪の敵である。
「こっちが知りたいくらいよ」
熟考のすえにそっけなく、言葉を返した。
「さあ、ほかを当たって。あたしはあんたの役には立てないわ」
「でも、宿の場所は知ってるっしょ」
「そうだけど」
相手の積極的な物言いに押されて、控えめに答える。
「せめて案内してほしいな」
熱のこもった眼差し。澄んだ青色の瞳に、ぐぬぬと唇を結んだ少女の顔が、映り込む。
目の前の女は怪しい人間だ。近づかないほうがいいし、警戒心も強まる。
しかし相手はあまりにも危なっかしい。放っては置けなかった。
「分かったわよ。これ以上は時間の無駄なんでしょ? こっちが折れてあげるわよ」
投げやりに答えを放つ。
途端に相手は「わー」と両手を上げて、飛び跳ねた。
まるで少女のような喜びぶり。
悪い気はしないけれど、嫌な予感がする。
見知らぬ女と行動を共にして、大丈夫だろうか。不安になる。
二人の頭上には暗い雲が迫り、空を覆いつつあった。
そして、事件は起きる。
「いい女だね」
唐突に背中に声を感じて振り返ると、見知らぬ男が立っていた。一言で表すとチャラ男。軽薄そうな顔をしているほか、安っぽい服を着崩している。
彼はニコニコとしながら、気さくに呼び掛ける。
「どうだい君たち、やり合ってみないか?」
瞬間、少女の脳裏を胸糞悪い光景が浮かんだ。
間違いなく被害に遭う。思わずぞっとし、背筋を冷たいものが流れていった。
一方で女は勘違いをしている。
「戦うってこと?」
真顔で尋ねると男はきょとんとする。
丸く見開いた目。幾度か瞬きを繰り返した後、口元を緩める。
「ユーモアのある子だね」
半笑いになりながら、頬をかく。
相手は冗談だととらえたようだが、女は本気だ。
「そっちがその気なら、やるに決まってるっしょ。さあ、かかっておいで」
「いや、戦わないからね」
ファイティングポーズを取った女に向かって、制止を促す。
「僕は野蛮じゃないのさ。周りのやつらと違って」
暗に好みではないと断って、彼女から顔をそむける。
ガビーン。
たちまち女は固まった。
やる気満々だったのに。
スルーされたことは、素直にショックだ。寂しい。石像と化した彼女の体に、潮風が吹き付けた。
「君、かわいいね」
次に男は少女を一瞥。
彼女は締まりのない顔をしている。
「ここで会ったのもなにかの縁。一緒に来なよ。楽しいひとときを提供するよ」
彼は迫るなり少女の細腕を掴む。
本人にとってはエスコートのつもりだろうが、下手くそだ。これではただの誘拐犯。
「ちょっと待ってよ」
彼女は抵抗し、振りほどきにかかる。腕で切り払うつもりだったが、相手の力は強い。腕に巻き付く硬い指が、錠のようにも見えた。思わず表情が引きつり、体に小さな虫が這い回るような感覚がした。
そのとき、暴風が吹き荒れる。
「君、ねえ、君ってば」
激しくなびく外ハネのボブ。赤い光を浴びて燃え上がっている。彼女は夕日を背に、仁王立ち。硬い目付きで相手を見据える。凄みのある真顔だ。全身の毛が逆立つ感覚を抱いた。
「嫌がってるっしょ、離してあげて」
低い声で呼びかけても、男は涼しい顔をしている。
「彼女はまだ愉しみを知らないだけなのさ。でも、大丈夫。これからいいことを教えてあげるからね。楽しんだら捨てるけど、構いやしないよな? 一瞬の天国を味わえたのだからね。それこそ、天界に昇るような心持ちを」
さらさらと流れるように語ると、彼は両手を広げ、天を仰ぐ。
彼のふてぶてしい態度を目の前にして、女の目が尖った。
「はあっ!」
前に出て、息を吸い込み、拳を作る。
パワーを集中。パンチを構える。
「ちょっと待つんだ。僕はまだ」
「制裁だぁっ!」
溜めたパワーを解放。
胴体に拳を叩き込む。
直撃。
「うげっ!」
苦悶の声を上げて、男が吹っ飛ぶ。
彼は宙を舞い、地面に激突。
土煙が立ち込めた。
「下がってて。ここはあたしがなんとかするからね」
女が頼もしい声で呼び掛けるも、少女は聞いていない。
彼女は口をあんぐりと開けたまま、棒立ちになっていた。
ほどなくして煙は引いて、視界は元に戻る。
「いやいやいや。なんなのさ、そのパワーは」
男はあっさりと立ち上がる。
「こんな化け物がいるなんて聞いてないぞ。こりゃ嫁には」
否定しようとして、考え直す。
「むしろありか」
顎に指を添えて、別の方角を向きながら、悟ったような声を出す。
「君の正体はどうでもいい。なにもかも分からないからさ。ただ、これだけは分かる。ただ者ではないってね」
「それほどでもないっしょ?」
頭に手を当てて、女は照れる。
「なにを謙遜ぶってるのさ?」
相手は化け物を見るような目をしているが、彼女にとってはピンと来ない。自分以外の生き物を知らないからだ。
「実は普通とかありえないかな?」
「冗談じゃない。君みたいな重いパンチを繰り出す女が、何人もいてたまるか!」
男は激しい口調で否定する。
途端に彼女は硬直した。
「お、重い……?」
まさか体重を指摘されるとは。
相手の反応に驚愕する。雷を受けたような衝撃だった。
「こ、これは……ダイエットを見当しないとまずいっしょ」
「そんなこと言ってないからな、僕は!」
真剣にツッコミを入れて。
「ともかく、僕は行く。君みたいな女、相手にしてる場合じゃないのさ」
後ろを向けるなり、とんずら。
猛スピードで走り去る。
瞬く間。
無言で見送った。
日が沈んで世界は柔らかなオレンジ色に、塗り替わる。
女は男が通っていった道を見据えていた。まっすぐな眼差し、澄み切った表情。横顔と髪は夕日を浴びて、杏色に輝く。
その様を隣で眺め。
美しい。
短い言葉が心の水面に落ちて、小さな波を立てた。
「友達にならない?」
穏やかな静寂を切り払うように、彼女は切り出す。
「急にどうしたの?」
「助け合いだよ。ほら、一人より二人のほうがいいっしょ?」
戸惑う少女に向かって、女が熱弁する。
「あたしは別に、そういうのには、興味ない」
たどたどしく言い、目をそらす。
いままで他者と深く関わったことはなかった。彼女と付き合ってもうまくいく気がしないし、友達を作るなんて、柄にもない。
マリアは乏しい表情の裏に本心を隠し、心の中で言い訳をする。
途端に相手はシュンと肩を落とした。
「そっか、ごめんね。迷惑だったかな。見ず知らずの相手にこんなことを言われても、困るよね」
がっかりしつつも相手の意思を尊重し、背を向ける。
気落ちしながら去ろうとする彼女を見て、少女の心に焦りが生じた。
「ちょっと待ったぁ!」
「どうしたの? 言いたいことがあるなら聞こうか」
勢いよく呼び止めると相手は立ち止まり、少女に顔を向ける。
「意見も要求もないわ」
前置きをしてから、腕を組んで、主張を繰り出す。
「協力してやってもいいのよ。あたしは駒が欲しいの。ダンジョンに挑むためのね。今は別のやつが協力してくれてるけど、彼ばかりを頼ってはいられないわ。だからあんたを利用する。そう、使い潰すの!」
早口で話し切ると、独善を振りまく独裁者のような態度で、顎をそらした。
「こういうのを友達といってもいいのなら、乗ってあげてもいいのよ」
「え? いいんだ。じゃあ、喜んで」
堂々と主張すると、喜んで寄ってくる。
女はすっと距離を詰めるなり、両手を取った。
「ほ、本当にいいの?」
マリアはドギマギする。無垢な子どもを騙しているような気分だ。
「あたしの言ってること、分かってる?」
「大丈夫だよ。いざとなればあたしが振り回すからね」
そのような問題だろうか。
本当に話を聞いているのか、怪しい。
戸惑いながらもマリアはツッコミを入れられず、相手のペースに呑み込まれる。
かくして二人は友達になった。
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