争奪戦

口論と呼び出し

 昼間の喫茶店でマリアはムースを注文した。

 スプーンですくって食べると、口の中に柔らかな甘さが広がり、ふわりと溶ける。

 美味だ。頬がほころび、幸せな気分になる。


 デザートを満喫する彼女。ちょうどそこにノイズが走った。

 騒がしい声。手前の席で三人の男が集まり、盛り上がっていた。

 彼らは話に夢中になっており、テーブルに置かれたドリンクは、すっかり冷め切っていた。


 マリアは動きを止めて、彼らの話に耳を傾ける。


「大型新人だぜ!」

「ああ! 快挙だ。まさかあの主を倒しちまうなんてな」


 山の主とは牙を生やした巨大な猪のことだ。


「あいつ、強いんだよな。ほかの連中も挑んだけど、みんな返り討ちさ」

「そもそも、ダンジョンボスを倒せるやつなんざ、一握りだろ。冒険者もピン切りだしな」


 楽しげな男たちとは対照的に、マリアの機嫌は悪い。

 他人がフラン以外の話を聞いているだけで、むっときてしまう。


「フランは一流だよな。今はやつがナンバーワンだ」

「でもその牙城を崩せるかもしれねぇよ」

「新人の名前はクリストファーとか言ったっけ? やつに続こう!」

「みんなで超えるんだ! フラン・マースリンをよ!」


 男たちが興奮している。

 マリアは眉間にシワを刻んだ。

 フランはかつて魔王軍から街を護った英雄だろう。彼を崇める心はないのか。

 気に食わない。

 胃がムカムカとしてきた。

 相手をギロリと睨みたくなる。


 クリスとやらも同じだ。

 いきなり現れて大きな功績を上げるなんて、生意気だ。なにが大型新人か。

 ぐるぐると心の中で黒い感情が渦を巻く。


 同時に彼女は先ほど、男が口にした言葉を思い浮かべていた。


 ――「その牙城を崩せるかもしれねぇ」


 そんなはずはない。

 彼以上の存在が現れていいわけがなかった。

 フランには一位でいてほしい。

 あの男だけが認められ、褒められてさえいれば、それでよかった。

 英雄が座する神の領域には誰も踏み入れてはならない。

 その地位を脅かす者は許されない。

 彼女にとってフラン・マースリンは聖域だった。


 それなのに否、だからこそ、焦ってしまう。

 もしものことを考えると。

 涼しい店内なのに汗が浮かんだ。


「おっ! 見ろよ、あの


 一人の男が彼方を指す。

 マリアも釣られてそちらを向いた。


 男たちから見て右上、マリアからすれば通路を挟んだ隣側。

 窓際の席で一人の少女が、コーヒーを飲んでいる。

 きちんと着こなした白シャツに、ボウタイ。

 足を閉じて座る姿は品行方正。

 膝丈のプリーツスカートも相まって、優等生然とした印象を受ける。

 背を流れるストレートロングは、石のような灰色だ。

 真面目そうな目つきで、雑誌を読んでいる。

 凛とした瞳は青竹色。眼球の中にはクローバーの紋章が浮かんでいた。


 マリアは気づく。

 エミリー・ロックウェル――相手が勤勉を冠する対抗者だと。

 意識すると体が固くなる。

 嫉妬の担当ではないため大丈夫だとは思うものの、警戒をせざるを得なかった。


「クリストファーの相方だよな」

「行こうぜ、行こうぜ」


 男たちがぞろぞろと席を立つ。

 大会の優勝者にサインを求めにいくような感覚で、彼らは娘に声をかけた。


「お前たち、やったな」

「山の主を倒したんだろ? もっと誇れよ」

「いえいえ、あたしはサポートをしただけです」


 エミリーが澄ました顔で答えると、すかさず周りもフォローを入れる。


「いやいや。サポートも重要だぞ。主役を生かせるのは脇役だからな。お前がいるから、やつは活躍できるんだ」

「組んでるってことは、隣に立つことを許されたやつだろ? じゃあ、同じくらい凄いってことだよ」

「あたしがいなくても変わりはなかったと思うけど」


 目をそらす。

 ほんのわずか、口元がにやけている。

 まんざらではない様子だ。


 相手が嬉しそうなのがマリアにとっては、面白くない。

 知らない相手がよく分からないのに褒められている。

 たったそれだけで黒い感情が、胸の中で渦を巻いた。

 怖い顔をしながら、グラスを強く握りしめる。

 今にも割れてしまいそうな勢いだった。


「凄いのはクリスです。本人は楽勝だと話していたし、彼にとっては誰が相方でも、同じです」

「分かってる。だからこそ、お前を褒めてるんだぜ」

「いちいち念を押されるまでもないさ。誰がどう見ても、やつは強い」


 自信を持って言い切る。


「なんならフランに勝負を挑みに行けよ。そう薦めてみろ」

「いい線行くぜ」

「もしかすると勝てるかもよ。実はフランを超えてるかもしれない」


 彼らは笑いながら、冗談を飛ばす。

 瞬間、マリアの我慢の限界が訪れる。


 今、聞き捨てならない言葉を耳にした。


 フランを超えた、勝てるだと?

 どこまで彼を舐めれば気が済むのだろうか。

 もはや黙って聞いていられない。


 膨らんだ感情が爆発する。

 マリアは目の角を尖らせ、唇を噛みながら、グラスを叩き割った。

 パリーンと軽い音。

 破片が飛び散り、レモンスカッシュもこぼれた。


 たちまち冒険者たちも相手の奇行に気づいて、隣の席を向く。


 あたりには甘ったるい香りが広がっていた。

 手がベタベタとして気持ちが悪い。

 だが、小さな不快感を気にする余裕はなかった。


 マリアは黙って立ち上がり、そちらを向く。

 影の差した顔をしながら、大股で歩く。

 数歩で隣の席にたどり着いた。

 二人の少女は対面する。


 マリアが静かな怒りを見せる中、エミリーは間の抜けた顔をしていた。

 鈍い少女へ向かって、宣言をする。


「勝つのはフランよ!」


 大きな声。

 男たちが唖然とする中、エミリーはふっと笑みを浮かべた。

 挑発的な顔をして、彼女は返す。


「それはどうかしら。彼は強いわよ」


 堂々と自信に満ちた態度には、華があった。

 マリアは急に自分が小さくなったような感覚に陥る。

 勝てる気が失せて、怖くなった。

 緊張感が増し、額には汗が浮かぶ。

 心臓がドクンドクンと音を立てた。


 先ほどの発言を撤回したい気持ちはある。

 しかし彼女の脳裏には、エミリーの放った言葉が蘇った。


 ――「彼は強いわよ」


 フラン以外を肯定する発言は、聞き流せない。

 彼のためにも引き下がるわけにはいかなかった。


「いいわ。言い負かしてやろうじゃない」

「別にいいけど。店内ここじゃ迷惑でしょ」


 冷静な指摘を受けて、マリアは固まる。

 周りを見ると、他の客は白けた目でこちらを見ていた。

 注目を浴びている。

 嫌に目立った気もするが、後の祭りだ。


 とにもかくにも二人は店の外へ出る。

 三人の冒険者も見守る中、彼女たちは顔を付き合わせ、言い合いを始めた。


「あんたには分からないだろうけど、フランは最強なの。格が違うわ。どれだけ努力を重ねても、絶対に追いつけないんだから」

「挑む権利はあるでしょ? ほかの冒険者たちだって負けてないわよ。彼以外の存在は価値がないなんて、決めつけるのはやめなさい」


 エミリーの反論に周りで「おおー」と、感心したような声が上がる。

 対するマリアは顔をしかめた。

「ほかの冒険者たちだって負けてない」なんて。

 そもそも、フランと他者を同列に扱われること自体が、我慢ならない。

 体がうずく。

 勢いのまま口を開いた。


「所詮は凡人じゃない。フランが宝石なら、彼らは石ころよ」


 すると、エミリーの額に青い筋が浮き上がる。


「えっと、なにを言ってるのかしら?」


 押し殺したような声を出す。


「さすがにバカにしすぎでしょ。嫌われるわよ」

「あたしはいいの」


 そっぽを向く。


「あんたはよくても、彼は困るのよ」


 真っすぐに標的を刺し貫くように、エミリーが指摘する。

 マリアは相手へ視線を向けた。


「周りを下げても反感を買うだけよ。否定された側にとっては、いい気はしないでしょ? あんた、マースリンの立場を悪くしたいの?」


 じっと対象を見澄ます。

 軽蔑するような目つきだった。


「あんたは事実だけを受け止めて、彼だけを見ていればよかったのよ」


 真摯な言葉を受けて、マリアは言葉を失う。

 表情を固め、口を開けなかった。


「あたしはもう行くわ。じゃあ、気をつけてね」


 言いたいことを言って満足したのか、エミリーは背を向ける。

 エナメルブルーのパンプスを踏み鳴らしながら、立ち去った。


 結局、マリアはその場から動けず、相手を見送った。


 いつの間にか、男たちの姿が消えている。

 長らく言い争いを続けた結果、仲裁を諦めたらしい。


 夕日が沈む。

 暮れた空の下、長く伸びた影の内側で、シュンと肩を落として立ち尽くす。


 自分の行いはフランのためになっていなかった。

 叱られて自覚し、気分が落ち込む。

 吹き抜ける風が潮気を運び、空気が湿っぽくなった。



「お取り込み中、失礼できず、申し訳ありません」


 不意に後ろから声がかかり、びくっと肩が跳ねる。

 振り向くと、シスターの女が立っていた。

 清潔感な白いローブに、白塗りにした肌。

 おとなしそうな顔をした彼女は、伏し目がちに様子を伺う。


 数十秒ほどマリアはぼうっとしていたが、ほどなくして、ぼんやりとした脳内に光が差し込む。

「お取り込み中」という発言、相手が後ろに立っていた事実。

 シスターは間違いなく、一連の流れを見ていた。


 優等生然とした少女に喧嘩を売って、言い負かされたところを。

 つまり、マリアは醜態しか晒していなかった。

 なんて格好が悪い。


 恥ずかしくなって、体が熱くなる。


「違うのよ、これは……!」


 あわあわと汗をかきながら、ごまかそうとする。


「見なかったことにいたします」


 さらりと流して、本題に入る。


「私は大罪の協力者です。現在はライラ・モデスティーと名乗っています」


 細い手首に巻き付いたチェーンブレスレットが、キラリと光る。

 指輪のブラックムーンストーンも、曖昧に主張をしていた。


「あなたを探していました」


 静かな目で見つめられて、マリアは無言になる。


「このごろ、会議を欠席なさっていると聞きます。私はあなたを連れてくるように命令を受けました」


 淡々と言葉をつむぐ。


「大罪を冠さない私ですら参加しているのです。あなたが参加せずして、いかがなさるおつもりですか?」

「別にいいじゃない。心が狭いのね」


 見る限り相手は弱そうだ。

 完全に舐めてかかって、鼻を鳴らす。

 それを受けてライラは真顔のまま、次の一手に出た。


「ならばレオを連れて参ります」

「行きます。すぐ行きます!」


 傲慢と対面したら絶対に負ける。

 血の凍りつくような感覚に襲われ、即行で降参を選んだ。


「分かればよろしい」


 答えを確認して、役目を終えた。

 シスターはぽんっと目の前から消える。


 マリアはしばし、きょとんとしていたが、ややあってからくりを理解した。


 大罪には腕にはめるタイプの魔道具を支給されている。

 簡易型の転移装置だ。

 シスターもチェーンブレスレットをはめていた。


「相当、貢がれてるみたいね……」


 マリアは盛大にため息を付いて、夕焼けに染まった空を見上げた。

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