ここ数日、派手なつなぎを身に着けていない。

 グラジオラスの一員としての姿は捨て、使用人として過ごしている。

 地味で目立たない格好で、日常へ。

 今日も雇い主の屋敷へ戻るのだ。


 中央の通りにやってくる。

 近くには別の豪邸も建っていた。サガプールの英雄と称される青年――フラン・マースリンの自宅である。

 世間では評価が高いが、ルイにとっては憎たらしいだけの存在だ。

 なにもかも彼が悪い。嫉妬を追い詰める度に介入してくる邪魔者。それだけでしかないのだから。


 忌々しげに豪邸を睨みつけていると、不意に声がかかる。


「ようやく見つけたよ」


 振り向くと見知らぬ誰か。ぱっとしない顔。平凡な容姿にだけは自分と似たものを感じた。


「ちょっと困ってるんだよね。気がついたら食糧がなくなっててさ。盗人が出たのかと思ったが、どうにも違うらしいんだよ」


 勝手に話し始める謎の男。

 いったいなんなのか。困惑するルイをよそに相手は自動で話を続ける。


「夜、チューチューと鳴き声が聞こえてね。調べてみたんだよ。そしたら見つかった。床下に鼠の巣がね」

「はあ」

「もちろん駆除は試みたさ。でも、うまくいかなくてね。奴ら一丁前に敵意があって、危険なんだよ。こりゃあ参った。手を出せない。だから君のような人を探してたんだよ」

「はあ」


 ルイは生返事を繰り返す。


 相手が困っていることは分かった。

 分からないのは、なぜ見ず知らずの青年を頼るのか、だ。

 目の前の男とルイはなんの関係もない。

 それゆえに頭が混乱する。

 ルイは眉を曇らせた。


「いかがかな? 君ならいかなる問題でも引き受けてくれると思ったのだが」

「え、嫌なんですけど」


 青年は真顔で答えた。


「僕、ギルドメンバーじゃないし」


 迷惑がって断ろうとする。

 彼が逃げようと男から視線をそらすと、たちまち相手は彼の腕を掴んだ。


「ほかに頼れる相手なんていないんだよ」


 男は飢えた乞食のようにすがりつく。


「サガプールにいるのは屈強な冒険者ばかり。彼らは強い。普段はダンジョンで大きな魔物を相手にしているような人たちだ。そう、彼らにとっては鼠なんて小物に過ぎないんだよ。そんな奴のために剣を振るえと申し出たら、彼らは怒るだろうね。そしたら僕はどうなると思う? 間違いなく殺される」


 彼は落ち込んだ様子で視線を落としたかと思うと、体をブルブルと震わせた。

 要するに男は勇気が出なくて、周りに助けを求められなかったらしい。

 ルイは見た目だけなら弱そうに見えるため、同格だと判断したのだろう。

 意図は理解できるが、それはそれであきれる。ルイは言葉を失った。


「だからお願いだ。君しかいないんだよ」

「ああ、はい。分かりました」


 ぼうっとしていると男は激しい態度で頼み込む。

 相手の剣幕に押されて青年はあっさりと頷いた。


「そうか、よかった」


 相手はほっと一安心。

 肩から力を抜いたかと思うと、懐から地図を取り出し、指し示す。


「俺の家はここだ。ではよろしく」


 好き勝手に説明をすると地図を押し付けて、勝手に去ってしまう。彼の姿は通りを抜けた先へと消えた。


 道の上にポツンと残され、ルイは困惑。

 一人になってやる気も失せた。

 とはいえ時間は巻き戻せないし、承ってしまったものは、仕方がない。

 渋々、動き出す。

 一旦、雇い主の屋敷に戻ると箒を持って、表に出てくる。

 彼はその足で地図に示された場所へと向かった。


 中央から端へと抜けて、平凡な民家に到着。仕事を始める。

 まずは床下を覗き込む。なにも見えない。真っ暗だ。

 待ち構えてみるも、襲いかかってくるものはなく、あたりはしーんと静まり返っている。


「おら! 隠れてねぇで出てこいよ!」


 しびれを切らして脅しにかかる。


「お前らが悪さをしているってことは、分かってるんだよ!」


 箒を下に向けて、柄で突き刺す勢いで、地面を叩く。

 大きな音が発生し、足元が揺れた。

 たちまち敵は恐れをなしたのか、床下から飛び出す。


 びくびくと体を縮こませる鼠たち。

 だが青年の姿を見るなり、態度が一変。

 貧相な身なり、弱そうな顔。

 あざ笑うように表情を歪めて、チューチューと鳴き出した。


 言葉の内容はともかくとして舐められていることだけは分かる。

 おそらくは余裕だと思っているのだろう。自分たちなら、やれると。

 ルイは舌打ちをすると、口をへの字に曲げた。


「いい気になりやがって。こちとら人間様だぞ。小せぇゴミカスどもに負けるかよ。鏡見てこいオラ!」


 険しく目をつりあげ、声を荒げる。


「さっさとかかってこいや!」


 叩き切るつもりで箒を振り回す。

 鼠はルイのモーションを振りと捉えたらしい。

 なにしろただの箒だ。

 ただの使用人が魔物を相手に、戦えるはずがない。


 彼らは舐めていた。

 青年を弱者だと決めつけ、狙いを定める。

 身ぐるみを剥がそうと、襲いかかった。


 ところが直後に集団は墜落。

 刹那に食らった薙ぎ払い。

 飛び散った血が地面に赤いドットを刻む。


 いつの間にか箒がない。

 代わりにルイが握っていたのは、ダガー。

 正体は闇の力を宿した魔剣。

 それは細かな粒子に覆われたかと思うと縮小し、小刀を吊るしたような形をしたネックレスへと変わった。


「あーすっきりした」


 ルイはチェーンを首にさげ、満足げな顔をした。

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