ダンジョン

「っと、なんでこんなところにおるんじゃ!?」


 まさかのダンジョンの中。

 地に足をつけて早々、女はのけぞる。


「仕事ですから。それよりも」


 顔を引き締め、真剣なオーラをまとったと思いきや、急に男が跪く。

 その背後、水面から影がバシャッと、飛び出した。


「この日が来るのを心待ちにしておりました、アン・プルミエ。その名を存じております。わたくしども人間はあなた様の名を守って参りました。誰もがこの名だけは使わないと気をつけており。これはあなた様に対する最大限の敬意で」

「やっとる場合か! 後ろじゃ! 後ろ!」


 女はあわてて指をさす。

 ちょうど後ろでは海獣が飛びかからんとしていた。

 大きく口を開け尖った歯を覗かせる。

 形は魚だ。食卓に並ぶものと比べると、はるかに大きい。

 全身を覆う鱗が宝石のようにきらめく。


 当の本人は静かに対処。

 長い鞘から刃を抜くと、後ろも見ずに薙ぎ払う。

 魚は真っ二つに裂かれて、霧と化した。

 文字通りの消失。

 先ほどまで獲物が存在した場所には、水色の石ころが転がっていた。


 小さいがキラキラとしている。

 価値の低い宝石のようなものだ。

 彼をそれを拾うと改めて、女のほうを向く。


「私の名はフラン・マースリン。いかがです? アン・プルミエ。私の敬意、あなたに伝わったはずですが」


 何事もなかったかのように、確認を取る。

 果たして自分の思いは伝わったか、と。

 対して彼女は眉をひそめ、口を曲げる。


「そのアン・プルミエとかいう名前、嫌いなんじゃが」


 本当に嫌だ。勘弁してほしい。

 そう言いたげな態度だ。


「まあ、いいのじゃ」


 ダンジョンの中に現界してしまったこと。

 アン・プルミエ呼ばわりされたこと。

 その他もろもろを水に流し、許容する。


「まずはダンジョンを攻略するんじゃ」


 場所を変えたいが、生憎と入口が塞がっている。

 閉じ込められた形ではあるが、ダンジョンとはそういうものであるため、不安はない。

 元よりダンジョンは、魔物が仕掛けた罠だ。

 人間をおびき寄せるために、素材や宝といった餌を用意している。

 もっとも、一部の強者にとっては関係ない。

 トラップにはまろうが、クリアすればよいだけなのだから。


 ともかく二人はダンジョンの攻略を目指して、奥へと突き進む。


 新たなフロアに入るとそこは魔物の巣だった。

 獲物を見つけるや否や、敵は群れで迫る。

 一見すると絶体絶命だが、二人はノーリアクションだった。


「それで、なぜアン・プルミエなんじゃ? 名乗った覚えはないんじゃが」


 敵を蹴散らしながら、彼女が問う。


「最初の人間を表し、アン《一》・プルミエ《第一》と」

「やっぱり、識別番号なんじゃなっ!」


 細長い魔物を切り裂きながらマースリンが答えると、彼女はあきれたように口を開いた。


「はい。あなたは原初の人間。人類の雛型。神が最初に作り出した存在です」

「『はい』じゃないんじゃが。なにを肯定しとるんじゃ」


 彼女は改めて彼と向き合うと、堂々と告げる。


「わしの真の名はアウローラじゃ」


 自身を指し、主張する。

 背景には魚たちのコアが、うず高く積み上がっていた。


「曙を意味する名ですか。あなたにぴったりです。ええ。その言葉自体があなたのために生み出されたかのように響きます」


 マースリンが感心したようにつぶやいた。

 今回の賞賛は本心だ。

 アウローラ、その名は彼女に合っている。

 パズルのピースがかっちりとはまったかのようだった。


 そこへまた、新たな敵が突撃してくる。

 体は大きい。

 身の詰まったスタイリッシュな見た目をしている。

 全身は無数の鱗で覆われており、扇のように広がったヒレが、目を引く。まるで装飾品のようだった。


 アウローラは迷わず、殴りかかる。

 腕を振り上げ、パンチが炸裂。

 一撃で粉砕。

 海竜は霧と化した。

 代わりに地には、青色に輝く石が転がる。


「これはなかなかに珍しい色だな」


 フランはそれを拾ってから、歩き出した。


 二人はさらに奥へと進む。

 向かってくる敵は簡単に撃退し、次々とフロアを抜けていく。


「さすがです。『唯一神による最大の設計ミス』だけはありますね」


 神も人を創造するのは初めてだった。

「これくらいはいいだろう」と能力を盛りすぎるのも、無理はない。

 そう勝手に解釈をして、うんうんと頷く。


「なんじゃ、わしを失敗作と言ってるようなものじゃよ」

「これは失敬」


 頭を下げつつ片手間に、魔物を切り払う。


「しかし、あなたの力は本物です。最強に近い。それを分かってください」


 口を動かしながら、歩き続ける。

 二人は流れるように最奥の間へ、足を踏み入れた。

 視線の先には水が広がっている。湖のような大きさだ。その中心には影が見え、蛇のようにうごめいている。

 いよいよ、ボスのお出ましだ。


 外敵の気配を察知し、影が飛び出す。

 一言で表すなら半魚人。

 下半身は鱗で覆われているが、上は至って普通の人間だ。

 異形ではあるが、美しい。

 むしろ人外ゆえの妖しげな魅力がある。


 彼女は水かきのついた手のひらで、侵入者を誘う。

 目を細め、媚びるような態度を見せるが、二人は気にも留めない。


「言っておくが、わしはそんな凄いやつじゃないんじゃ」

「最初に作られただけ、偶然一番になっただけ。そうおっしゃるのですね。ならば、私もそれを認めます。あなたはたいへん、謙虚でおられる。そこがまた、御身が持つ高潔さを引き出しているのでしょう」


 口では肯定しておきながら、相手を持ち上げにかかる。

 それを聞いてもどかしさを覚えたのか、アウローラはむーと口をすぼめた。

 そうこうしている内に、半魚人は動く。

 彼女が両手を動かすと、濁流が発生。

 津波となって襲いかかる。


「我が魂に宿りに炎よ。一時、力を貸し与えたまえ」


 マースリンが長剣を構え、前に出る。

 直後、彼の肉体に炎がまとわりつく。

 それから彼が剣を振るう。

 刃が波を切り裂いた。

 割れた水の壁。その先で、魚人は唖然と固まる。


 次いで、アウローラも突撃する。

 まずは跳躍。

 相手の上を取ると、拳を握って、襲いかかる。

 半魚人は身動きすら取れない。

 揺らぐ瞳に黒い影が迫りくる。


 アウローラは水辺を目掛けて、ドリルのような勢いで突っ込む。

 距離を詰め、ついに拳が相手をとらえた。

 肘を曲げ、突き上げる。

 アッパーカット。

 半魚人は宙へと吹っ飛び、空中分解。

 花火のようだった。

 アウローラはそれを見届けてから、地面にすっと足をつける。


「わしは期待には応える。しかし、最強ではないんじゃ。分かっとるな?」


 青年と向き合い、真面目な顔をして訴える。

 先ほど、ダンジョンのボスを倒した後であるため、説得力がない。


「最強はほかにいるんじゃ。最終兵器とか」

「あまり謙遜されると信仰が揺らぐので、やめてほしいのですが」


 マースリンが低いトーンで、本音を漏らす。


「信仰もなにもわし、神じゃないし」

「分かってます。人類の雛型ですし」


 アウローラが目をそらすと、青年は朗らかな笑顔で返す。

 彼女はまた「むむむ」と顔をしかめた。


「まあいい。クリアしたんじゃ。外に出るぞ」


 言いたいことは山ほどあるが、後回し。

 ちょうど奥では出口が出現している。

 ボスを倒したことで、目隠しをしていた壁が、崩れたのだ。

 今は暗闇しか広がっていないが、先へ進めば冒険者の町に出る。

 噂では異界に繋がる門もあると聞くが、詳細は不明だ。

 元より、安易にそういったものが現れるわけがない。

 二人は特に警戒はせずに、闇の中へ進んだ。



 外へ出る。

 無事、町に戻ってきた。


「主の敬愛は嬉しいんじゃが」


 石畳の上で話の続きをする。


「わしを一人の人間として見て、接してくれたほうが嬉しいんじゃ」


 ぽりぽりと頬をかく。


「あと主、違反スレスレなんじゃが、宗教的な意味で」

「大丈夫です。あんなもの神とは認めていません。私が神と認識しているのは、あなたのみです」

「余計にアウトじゃ!」


 アウローラは本気で焦った様子で、大声を出す。


「あの方なら、そういうキャラじゃないし、大丈夫じゃろうが……」

「ええ、冗談なので、問題はありません」


 しれっと彼は誤魔化したが、相手に対する信仰は本物のようだった。


「ともかく畏まりました。仰せの通りに、アン・プルミエ」


 彼はまた跪いて、敬意を表す。

 途端にアウローラはあきれながら、彼に近づく。


「分かっとらんなぁ!」


 彼女は青年の頭を鷲掴みにすると、体を持ち上げる。

 急に足が地を離れたが、彼は驚かない。

 にこやかに表情を固めたまま、様子を伺う。


「顔を上げるんじゃ。わしのことはアウローラと呼べと! そう言っとるじゃろうが!」

「分かりました。いや、分かった」


 無理やり相手を立てて、言って聞かせる。

 マースリンはあわてて口を動かす。

 それから彼女は青年から手を離し、彼は地上に戻ってきた。


「要は合わせればいいのだな。任せてくれ、私はあなたの嫌がることはしないのだよ」


 原初の人間に対する畏敬の念は消えない。

 彼女を崇め奉りたい気持ちは強い。

 それはそれとして、相手のやってほしい方向へ合わせるのが筋だろう。

 フランは崇拝の気持ちを隠しつつ、彼女と接していくことを決意するのであった。

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