第二章 うたかたに消える

序章

邂逅

 始まりは数ヶ月前の春だった。


 刺々しい建物が並ぶ通り。

 荒々しい格好をした者たちが闊歩する。

 その中で一際、上品な雰囲気を醸し出す者がいた。


 短く整えた蘇芳の髪。瞳はベリーに似た赤色で、宝石のようにきらめている。

 格好はワイシャツに赤いベスト、下はグレーのテーパードパンツだ。

 スタイリッシュにまとめているが足元だけは安物の靴と、なぜか手を抜いている。


 時刻は正午。

 青年が向かう先にはこじんまりとした店がある。

 彼は吸い込まれるように奥へ足を踏み入れ、席についた。

 そこは冒険者が集う食堂である。

 シンプルな造りとなっていて、無駄な要素がない。

 清掃は行き届いているようで、汚れ一つついていなかった。

 厨房からは香ばしい匂いが漂う。


 メニューを注文すると、料理はすぐに届いた。

 焼いただけのシンプルなステーキと、パン。ビールだ。

 材料は獣型の魔物だろう。

 人類に害を成す相手といえども、敬意は忘れない。

 まずは手を合わせる。


「いただきます」


 挨拶をしてから手をつける。

 フォークで肉を切り、口に運んだ。


「ん? おおっ!」


 頭にアンテナを立てたように背筋を伸ばし、目をぱっちりと開く。


「素晴らしい!」


 青年は大声を発した。


「シンプルな味付けが肉本来の魅力を引き立てている。そして、それを損なわない隠し味! 上等すぎないレベルの親しみやすさも、ポイントが高い。例えるのなら家庭の味というべきか。料理が得意な幼馴染の手料理を味わっているかのような感覚だな!」


 咀嚼し、グラスを呷りながら放つ食レポ。

 周りには客が見えるが、誰も話を聞いていない。

 いつものことだ。

 当たり前のように受け取り、落ち着き払っている。


「おおー! このパンもなかなかのものだな。安い材料を使い、最大限に生かした印象を受ける。このしつこくない味わい。何度でも通いたくなるいい味だな」


 彼の止まらない舌は、この世で最も自由なものを連想する。

 食べ物を味わうよりも先に、口を動かす。

 舌が止まらない。自家発電でもしているかのようだ。

 もっとも、それにはやがて終わりが訪れる。


「うるせえええ!」


 見知らぬ男が相手を殴り飛ばす。

 蘇芳の髪をした青年は、宙を舞う。

 いつの間にか、天井が見えていた。

 背中が地についている。

 それでようやく自分が倒れていることに気づいた。


 たちまち周りの客も反応する。

 びくっと驚きながら、そちらへ注目。

 皆、ぽかんと口を開け、目を丸くしている。

 中にはうっかりとフォークを落とした者もいた。


「いちいち口に出さねぇと気がすまねぇのか、テメェはよぉ!」


 深緋色の髪の男が“憤怒”の形相で、青年を見下ろす。

 当の本人は間の抜けた顔をしている。

 逆鱗に触れたのだろうか。否、地雷を踏んではいなかったはずだが。

 だが現に相手は顔から火が出そうなほどに、怒り狂っている。


「さっさと出ていきやがれ! それとも俺に裂かれてぇってかぁ!?」


 男が鉤爪を向け、鋭く光らせる。

 なんと物騒なものを。

 そんな感想を喉の奥にしまい込む。


「少しは周りの迷惑を考えろや! テメェ一人のために何人が、耳栓の購入を見当したと思ってやがる。それで喜ぶのは耳栓専門販売店くれぇだろうがよぉ!」

「すまない。テンションが上がってしまったようだな」


 素直に謝る。


「分かりゃあ、いいんだよ」


 相手はあっさりと爪をしまう。

 存外、話の分かる男だったようだ。

 それから赤髪の男は自分の席に戻る。


「これだからよぉ。行列もできねぇような普通の場所は、民度が低いんだ。だからってなぁ、行列ができるところなんざ、行ってたまるかってんだ。ああ、めんどくせぇ!」


 ブツブツと愚痴を垂らしながら、注文された品を口に運ぶ。それは激辛パスタ。唐辛子が大量にぶち込まれている。見ているだけで口内が痛くなりそうだ。


 一方、青年は食事を終わらせていた。

 残った麦酒を飲み干してから、席を立つ。

 チップを渡し、会計を済ます。

 するりと通路を抜けて、出口へ。

 何事もなかったかのように、店を後にするのだった。


 ほとぼりが冷めた後、店内にはひそひそと話す声が、湧き始める。


「あいつすげぇよな。まさかフランに殴りかかるとは」

「しかも一方的に怒ったんだぞ」

「見習わねぇと」

「ああ、挑みかからねぇと」


 客が見据える先には黙々と、地獄の料理を消費する男の姿。

 彼らは本当に相手を尊敬しており、羨望の眼差しを向けていた。



「さて、仕事仕事」


 青年はギルドを経由して、転移装置を使用。

 たどり着いたのは水辺のエリアだった。

 さっそく宝の回収へと移ろうとした矢先、足が止まる。

 異変に気づいた。


 顔が熱い。

 まるで好きな相手に告白をする前のようだ。

 くわえて肉体が光を帯びている。


 頬を触れながら、水面へと歩く。

 水鏡に映ったおのれを見る。

 一瞬の苦笑い。

 何度見ても自分の顔なのに他人にしか見えない。

 誰も知らない彼の本心、その正体。

 しかし、今はそれは重要な事柄ではない。


 すぐに真顔に戻ると、改めて水面を見やる。

 色黒の肌、その頬に浮かぶのは白い紋章だ。花。バラに似ているが、少し違う。カーネーションだ。それがタトゥーのように刻まれている。


 青年は静かに表を上げる。

 なるほど。

 心の中でつぶやいた。


「『感謝』それが主に与えた称号じゃ」


 正体を口にする前に、第三者が答えを繰り出す。


「わしが選んだ対抗者、それが主なんじゃ」


 声が降ってくる。

 青年は顔を上げて、目を見開いた。

 本能に突き動かされるように、彼は洞窟の上のほうを見つめる。

 熱い感情を宿した瞳が、天より飛来した女を映す。

 彼女は目の前にふわりと着地すると、青年に顔を向けた。


「よろしく頼むのじゃ」


 ライトピンクの唇が弧を描く。


 髪は純金に染まった外ハネのボブ。

 格好はピンクベージュのブラウスに、ホワイトのショートパンツだ。

 足元はロイヤルブルーのサンダル。

 大きく露出したピーチ色の肌はまぶしく、瑞々しい。

 化粧気はないが、冴えない印象は受けなかった。

 むしろ、シンプルな格好が彼女自身が持つ華やかさを、引き立てている。


 改めて声の主と対峙し、青年は女から目を離せなくなった。

 それは自分の常識が塗り替えられたかのような衝撃。

 息をすることすら忘れ、口を半端に開けたまま、固まってしまう。


 彼女の美しさゆえだろうか。

 否、違う。

 確かに女は美しい。宝石と見間違えるほどにだ。

 しかし、重要なのは外見がわではない。


 彼が抱いた感情は恋でも愛でも、ときめきでもなかった。

 強いて言うなら憧れに近い。

 意図せず神話に触れたような感覚だ。


 自身の心の波立ちから、青年は相手の正体を見破る。

 彼女の正体はおのれが求めていた者だ。

 手に入れたい。

 叶わないと知っていながら、手を伸ばしそうになる。


 その上で嵐のような感情を、グッと抑えた。

 フラン・マースリンは所詮、夢で終わる存在。

 目の前に立つ女とは本来、出会うはずのなかった者だからだ。

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