強欲

 ひとまず指示には従い、階段へと足を進める二人。

 素直に動いてはいるものの、エミリーは怠惰探しに未練があるらしく、あちらこちらに視線を向けている。


 あたりはすっかり暮れていた。

 空の端が淀んだ青に染まっている。

 カラスも帰路につくようだ。群れを成し、鈍い橙色をした太陽へ向かって、飛んでいく。

 二人はその様子を黙って眺めていた。


「奇遇だな」


 そのとき、声がかかる。

 振り返るなり、目を見開く。

 立っていたのはカラスとしか形容しようのない人物だった。髪はおろか、服・靴の色すら黒一色。顔を覆う仮面が、禍々しい雰囲気に拍車をかけている。

 手の甲にはなにも見えないが、相手はアレクサンドリアから聞いた、火事場泥棒の特徴と一致していた。


「あんた、悪い人でしょ?」


 言うが早いか槍を構え、黒い穂を相手へ向ける。


「悪であることは認めるが、お前たちに興味はない」

「関係ないわ。悪なら潰す。それだけなんだから」


 エミリーは相手の言葉に耳を傾ける気はないらしい。


「おい、見逃してくれそうな雰囲気だぞ!」


 あわてて呼びかける。

 彼女は止まらない。


「やああああ!」


 勢いよく槍を振り上げる。

 対する男は仮面の奥で、目を細めた。

 今、槍は強大なオーラをまとっている。黒く、禍々しい。それは、死の気配。

 それを感じ取りながら、男は冷静に対処をする。


「この地に漂う闇の魔力よ、我が盾となれ。攻撃を弾き、全てを飲み込め」


 詠唱とともに魔法が発動する。

 闇の魔力が集まり、盾の形となった。

 それに対してエミリーは強気で攻める。


「効かないわ!」


 死の槍の前ではいかなる防御や再生も打ち消される。

 宣言の通り彼女の槍は盾を破った。

 目の前で防御は砕け、闇は砂と化す。


 どんなものだと胸を張る。

 魔法が打ち砕かれなすすべはないと分かった今、相手は大層な絶望を味わったことだろう。

 クリスもそう予想していたが、現実はうまくいかなかった。


「ずいぶんと面白い能力を持っている」


 不意に目の前で影が動く。

 それは娘の真横を通過した。

 互いの動きは停止。世界を静寂が包む。まるで時間そのものが止まってしまったかのようだ。


「強奪スキル発動。見えざる手よ、漆黒の槍からその力を奪い取れ。そして、即死の能力は、我が手に移る」


 すれ違いざまにスキルが発動。

 手のひらに漆黒のオーラが集中する。

 エミリーもおのれの槍へ目を向けた。

 見る見る内におのれの武器から色が抜けていく。


「あああああ!」


 絶叫がほとばしる。

 彼女は驚愕と衝撃に震えていた。


 そしていままで槍だったものは単なる棒へと変わる。

 振り回しても軽さは変わらず、威力は激減。

 これでは使い物にならない。


「なんだあれ」


 クリスがぼんやりとつぶやく。


「珍しい術ではない」

「ええ、そうね。盗賊の関係者なら扱えるわ。見せびらかしたって、なんの自慢にもならないわよ」


 エミリーは相手を睨みつける。


「だから返しなさい。あたしのスキルを」

「安心しろ。スキルの一部を奪っただけだ。ほかは使える」


 そのような問題ではないと、クリスは思った。


「正当防衛だ」

「よりにもよってあんたがその単語を口にするのね?」


 ともかく相手は意地でも、奪ったものを返したくはないらしい。

 それでも、命だけは奪わないあたり、相手の遠慮が垣間見える。


「とりあえず見逃してくれないか?」

「構わない。俺は盗み専門だ。それに殺しはカルマが上がる」


 見た目よりは話の分かる人物だ。

 そうクリスは感じ取る。


「いいやつじゃん」

「どこが!?」


 エミリーがぎょっと目を見開く。


「あたしは認めないわ。第一、彼は大罪でしょ?」

「え? そうだったんだ?」


 クリスはきょとんとする。

 途端にエミリーは大げさにため息をついた。


「強奪スキルにも限度があるわ。普通、あの槍に干渉はできないでしょ。それってつまり、あっちがこっちと同じ領域に立っているからってことにならない?」


 彼女の説明はよく理解できなかったが、異論はなかった。

 相手が大罪ならばそれはそれでおいしい。やりたいことがやれるかもしれないと、クリスはポケットをゴソゴソと漁り始めた。


「君が大罪の一員なら、教えてくれるよな?」


 取り出したコインを見せつける。

 途端に相手の目の色が変わった。


「今、怠惰はどこにいる? 空席は、埋まったのか?」


 しばしの無言。

 答える義理はあるのか、否か。


「情報は売る。料金を受け取る」

「やっぱり、そう来たか!」


 乗ってきた。

 ならば潔く払うまで。


「受け取ってくれよ」


 コインを投げる。

 男が受け取った。

 それを確認してから、彼は口を開く。


「怠惰はすでに消失した。復活はない。これがお前の求めた情報か?」

「ああ、そうだよ」


 クリスは相手の言葉を疑わなかった。

 フェニクスが消えることが普通であるため、納得がいく。


 一方でエミリーはリアクションに困っている様子だ。

 怠惰が二度と現れないことを喜ぶべきか、活躍の場を封じられたことを嘆くべきか。

 善なる立場であれば、前者を選ぶ。されども彼女にとっては納得のいかない展開だった。


「用は終わりだ。ではな」


 言葉と同時。

 視界が黒く塗りつぶされた。

 それは闇か、はたまた黒い羽か。


 漆黒の通過は一瞬のこと。

 空はすぐに晴れた。今は薄暗い色に染まっている。

 人気のなくなった路上には、二人の男女だけが残された。


「大罪確定。強欲ね、あれは」


 はいはいと、投げやりにエミリーが声に出す。

 やるべきことを果たした今、強欲は貴族街には戻らない。追う意味は薄いだろう。

 二人はあきらめ、去ることを決めた。

 ところがエミリーは階段へ背を向ける。

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