街
怠惰を探して
エミリーは隠者と出会う方法を知っている。
しかし、その前にやるべきことがあった。
彼女が武器のステルスを解くと、手のひらの漆黒の槍が出現。それをまじまじと見つめる。
「いきなりどうした? 敵でも来たのか?」
「違うわよ」
ピシャリと答える。
「消えてない」
冷静な声でつぶやく。
「それがどうしたんだよ?」
「この槍はギフトよ。モニカ様から貰ったもの。役目を果たせば消える代物よ」
「でも、今も普通に使えるんだろ?」
「そこが問題なのよ」
エミリーがクリスのほうを向く。
真剣な目をしていた。
「消えていないってことは、まだ役割が残っているということ。つまり、怠惰はまだ存在しているとも、考えられない?」
クリスは素直に肯定できなかった。
「でも、フェニクスは消えたんだよ。君は知らないかもしれないけど」
「そうだとしてもよ。空いた怠惰の席に新たな人員が補充されていたり、するんじゃない?」
「それはないよ」
今度は即答だった。
「大罪は御使いと同じ制度だよ。倒しても復活する。だけど、彼女はもういないんだ」
ほかの嫉妬・色欲・暴食・憤怒・強欲・傲慢は知らない。
だけど、フェニクスに関しては完全に消滅している。
ほかでもない彼女自身が言っていた。
残基は一つだと。
「あんたが得ている情報が真実とは限らないでしょ?」
エミリーは眉を寄せる。
「実際に槍は生きている。その理由が知りたいのよ」
熱のこもった視線をクリスへ向けてから、彼女はざっと街を見渡す。
「怠惰は貴族よ。働かなくても生きていける身分に、違いないわ」
自身の考えをまとめるように、つぶやく。
「だって、そうでしょ? 怠惰といえば、怠け者・引きこもり・やる気なし・お気楽・慢心しすぎ・いい加減にもほどがある」
「考察にかこつけて堂々と悪口言うの、やめてくれね?」
「実際にあんたはなにも考えてないでしょうが!」
エミリーはツンと怒って、彼のほうを向く。
「危機感が足りないのよ」
「ああ、ごめん。でも、大丈夫だよ。なにかあれば僕が守るから」
さらりと言葉を返す。
途端にエミリーは固まった。
けれどもすぐに表情を戻して、コホンと空咳をする。
「念には念を入れるのよ」
エミリーは平民街に続く階段に、背を向ける。
「貴族街なんて一度出たら、二度と入れないわよ。今なんて、特に」
「探索するなら今しかないって? いや、やめときなよ」
彼女はさっそく歩き出す。
その足は止まりそうになかった。
こうなれば仕方がない。新たな怠惰が見つかる可能性は薄いが、付き合うしかない。
かくして二人は街を歩く。
やけに静かだ。
建物は豪家なのに、ほの暗さが強調されていて、殺風景な風景に見える。
扉も固く閉ざされていた。
理由は予想がつく。例の事件だ。
「こんな危険な街に、なんの用なんです?」
そのとき前方から、シャープな声が耳に届く。
二人は顔を上げた。
声の主が近づく。
ぽかんと口を開けて固まっている男女を、シグナルレッドの双眸が見澄ます。
剣呑な雰囲気の目だ。よく見ると瞳孔のあたりに水色の光が滲んでいる。
「初めまして。私の名はアレクサンドラ。今はそう名乗ってます」
彼女はいわゆる男装の麗人だ。
顔は小さく、顎のラインはすっきりとしている。
スタイルはよく、鍛え抜かれた肉体を、鉄黒の防具で覆っている。ボトムスは濃い赤色の、スキニーパンツ。
髪はダークパープルのベリーショート。
全体的に男性的だが、女性だとはすぐに分かった。
それは目鼻立ちの整った顔のおかげか、内側からにじみ出る華やかさによるものか。
いずれにせよ彼女は戦場の花――もしくは星と称して、差し支えはない。
「あなた、『リーブラ』よね? 捕らえられた罪人を裁く集団。アレクサンドラといえば、そのリーダーよね」
「さすがに知ってます? なら都合がいいです」
よく見ると彼女はブラッドストーンのリングをはめている。
指輪は御使いの証だ。
つまり目の前の女は神に仕えし者。
ファッションで身につける者も多いため確定はしていないが、彼女の場合はそういうことだろう。
「でも今はそんなことはどうでもいいです」
アレクサンドラはせっかちに口を動かす。
「さっさと逃げてください。例の事件の犯人がうろついてます。もっとも、今となっては気にすることもないかもですが。なにせ、全部終わったんですから」
「終わったって、どういう意味なんだ?」
「そのまんまの意味です。貴族たちは一人残らず殺された。それだけの話です」
さらっと聞こえた言葉に、耳を疑う。
直近で殺された貴族といえばユーロンだが、まさか彼が最後の一人だったとは。
「そんな、全員が……?」
信じられないというような目で、エミリーは相手を見る。
アレクサンドラは否定しない。
一方でクリスはふわふわとした感覚を抱いていた。
街で起きた出来事は惨劇にもほどがあって、実感が沸かない。
本当は事件は起こらず、最初から無人だったのではないか。
実際にクリスは貴族街の本来の姿を知らない。
ゆえに信じられなかった。これが現実であることを。
だからだろうか。今、自身の心が空白に染まっているのは。
「つまりあたしは、悪を倒せなかったのね」
エミリーがひそかに口に出す。
「分かりました? なら、去るんです。ここに君たちの求めるものは、ないです」
冷静な口調で薦める。
若者に残酷な現実を突きつける大人のようだった。
水を含んだように空気が重たくなる。
すぐにでは行動を移せない。
そうした中でエミリーは顔を上げる。
「ええ、分かったわ。あたしたちは、出ていきます」
さりげなくクリスも出ていくことが決まった。
もっとも彼としては彼女に従うまで。
エミリーの選択を受け入れるつもりだ。
「ときに君たち、泥棒は見かけませんでした?」
「さあ。火事場泥棒でも出たのかしら」
「そうです。頻繁に世間を騒がせる、悪党でもあります。見た目は黒ずくめ。目には見えなかったけれど、
やけに具体的な特徴が飛び出した。
「盗賊じゃないのか? そこいらにアジトを構えている」
口に出して気づく。
それは、アジトは自身が破壊した後だったと。
「ないです」
アレクサンドラが冷たい目をしている。
「君はなにか知ってます?」
「分からないわ」
エミリーが首を横に振る。
「できる限り探したいところだけど」
あいにくと情報は得られそうにない。
「別にいいです。出ていってください」
言われなくとも出ていくつもりだ。
クリス側がその言葉を放つ前に、アレクサンドラは背を向ける。
一足先に彼女は去っていった。
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