隠者の隠れ家
あたりはすっかり暗くなり、貴族街は夕闇に染まる。
クリスが棒立ちでいる傍ら、エミリーは民家に近づいた。
ポケットから鍵を取り出すと、シリンダーに差し込む。
施錠。
扉が開く。
エミリーは迷いなく中に入ると、長方形に切り取られた暗黒の中へ、吸い込まれていった。
「お、おい」
慌てて追いかけ、後に続く。
しかし、クリスの丸い靴は、部屋の床を踏まなかった。
足を踏み出す前に、二人は見えない力によって、消失する。
まるで転移でも受けたかのように。
かくして真っ暗な部屋の中には、静寂のみが残された。
次の瞬間、彼らは古臭い雰囲気の室内に立っていた。
先ほどまでは闇しかなかったというのに、急に明るい。
前方には焦げ茶色の廊下が広がり、夕焼け色のランプがあたりを照らす。
左右にはいくつかの扉が見えていた。
「よく来たね……」
光と共に、ローブを着た老女が姿を現す。
大賢者モニカだった。
「存外、頼るのが早かったね……。何用かい?」
「用とかないよ。なんで君がここにいるんだ?」
他人の家に不法侵入したと思いきや、目の前に見知った顔がいる。
クリスは混乱していた。
「当然だよ……。私の隠れ家だからね」
隠者は当たり前のように口に出すが、クリスにとってはピンとこない。
「なんのために鍵を渡されたと思っているのよ?」
エミリーが回答を繰り出す。
「これは特定の場所へ繋がる鍵なのよ。施錠された場所に差し込めば、どの扉でも、大賢者様の隠れ家にたどり着くわ」
鍵を見せつけ、アピールする。
「へー、そんな変なアイテムが」
生返事だが感心はしている。
もっとも、それが相手に伝わるとは限らない。
エミリーは聞き流されたと思い、口をへの字に曲げる。
「ともかく、せっかく来たんだ。ゆっくりしていくといいよ……」
隠者は口で伝えると、背を向けた。
相手が廊下を進む。
二人も後をついていった。
やがて、モニカは突き当りのあたりで足を止めて、黒茶色の扉を開く。
その中はレトロな空間だった。
セピア色のフローリングに、ボルドーの絨毯。
その上にはくすんだ色のソファーと、細かな傷のついたテーブルが、シンメトリーに配置してある。
傍らには使い込まれたタンスや、キャビネットが見えた。
天井にはクラシカルなシャンデリアがあり、薄橙色の光を放っている。
どれもこれもアンティーク。今は手に入らない家具も目立つ。マニアが見れば、腰を抜かす。皆、大金を出してでも欲しいと希望するはずだ。
とにかく部屋の中は宝の山であり、平民が住んでよい環境ではない。
それからモニカは茶を出す。
クリスは速やかに席について、嗜み始めた。
一方でエミリーはソファーの近くで立ってまま、ソワソワとしている。
他人の家で馳走になる気はないらしい。
「そんな堅い顔をしなくてもいいよ」
何食わぬ顔で呼びかける。
「自由にしてくれ。こっちのことは気にしなくてもいいよ」
「あんたがそれを言うのね!?」
勢いのよいツッコミが飛ぶ。
それもそのはず。家主はモニカだ。
もっともクリス本人はエミリーを気遣って、言っただけである。
厳しい反応が飛び出したことに、首を傾げた。
気を取り直して、エミリーはソファーに座る。
「そういえば君、なんで黒服の奴に挑んだんだよ?」
思い出したように問いかける。
「君、悪を許さないって言わんばかりの形相だったじゃないか?」
「別に、憎悪しているわけじゃないわよ」
ティーカップを両手に、彼女は答える。
「単に排除したいだけなのよ」
「なんだよ、ちゃんと嫌ってるじゃないか」
「だからそうじゃなくて」
エミリーは苛立たしげに声を張る。
「あたしにとって悪とは邪魔なだけ。価値がないと思っているのよ。そういうのがはびこったところで、普通の人間にとっては迷惑なだけでしょ」
「僕にとっては関係ないんだけどな」
指名手配を受けた者は賞金にもなるし。
言葉の端はしっかりと呑み込み、話を聞く。
「あんたの価値観は聞いてないわ」
クリスの意見を切り捨て、彼女は主張する。
「あたしは理想の世界を作りたいのよ。正しい人のみが生きられる世界。そのためには彼らは邪魔なのよ」
確かに今の世界はきれいではない。
善人だらけの世界は理想的だ。
裏を返せば、理想は理想でしかない。
いくら悪人を倒したところで、また新たな悪が生まれるだけだ。
ちょうど、輪廻転生を繰り返す悪魔のように。
全ての悪を淘汰することなどできないし、全てを排除するなんて、極端だ。
やろうと思えばあっさりと否定できる。
それでもクリスはあえて、彼女の意思を肯定した。
「だから君は、大罪も倒したいんだな?」
倒したいのならば、好きなようにするべきだ。
悪が生まれるのなら、その度に撃破すればよい。
もっとも、エミリーにとっては楽観はできないようだ。
表情を曇らせ、視線を下へ落とす。
「答えが知りたいのよ。どうすれば、理想の世界にたどり着けるのか」
それが見つからないために、エミリーは悩んでいる。
「なんでもかんでも思い通りになるとは、考えてないわ。だけどせめて、できることだけはやっておきたいのよ」
膝に置いた拳をぎゅっと握りしめる。
「でも、あたし一人が頑張ったところで、無駄なのよね」
「そんなことないだろ」
されども少女は唇を噛み、髪をいじる。
「無理よ。現にあたし一人じゃ、なにもできなかったわ」
一人では怠惰を倒せない。
ゆえに火の鳥は自ら消滅してしまった。
それだけが真実。
「そうだね……。君ではほかの大罪に太刀打ちはできないよ」
隠者が二つのプレートを持ってきて、テーブルに運ぶ。
夕食だ。ポテトやチキンが無造作に載っている。
「槍があるんならまだしも、奪われた後だからな」
「そもそも、あたしの特攻は怠惰限定よ」
「そうだったっけ?」
軽くリアクションを取ると、エミリーはうなずいた。
彼女がくわしく語る前に、隠者が口を挟む。
「我々は対抗者と大罪の一対一を前提としていてね……。各罪ごとに、特攻の入る人間を用意したんだよ」
大罪は七名。対抗者も同じ数だけ、存在する。
御使いはそれぞれで戦士を選び、ギフトを与えた。
「ちょうどいいじゃん。仲間を増やそう。作戦とか戦闘とか全部、丸投げしようよ」
「あんたはただ、怠けたいだけでしょうが」
エミリーは身を乗り出し、クリスの頬をつねる。
「彼の場合は、それでいいよ……。むしろ下手に倒すと、君が新たな器にされかねない」
「あー、乗り移られるんだ。悪魔が元の肉体を見捨てて」
気の抜けた言葉を発した後、クリスは顔をしかめる。
「僕、アリーシャ以外の悪魔とは、組みたくないよ」
彼の態度にむっとしつつも、協力し合うこと自体はありだと認める。
エミリーは手を離すと、おとなしくソファーへ戻った。
「第一、殺せないでしょ。普通の人間だと」
ツンと澄ましたような顔で、エミリーが言葉をつむぐ。
「大罪は器を盾にして逃げるし、丸ごと滅ぼすにしても、普通の武器じゃ、ね……。魂までは斬れないでしょ」
いずれにせよ、クリスは積極的に動く気はなかった。
自分以外に大罪を倒せる者がいるのなら、丸投げする。それだけだ。
とにもかくにも情報は出揃っている。後は行動に移すだけだ。
「
「南東ね」
エミリーがモニカへと目を向ける。
「感謝を冠する男がいるよ……。そして次の相手は嫉妬だね」
「なんで、決めつけてるんだ?」
クリスが首をかしげる。
「優先すべきはそちらなんだよ……。大罪というよりかは、宝玉が重要でね」
「宝玉。南東ということは、
エミリーが目を鋭く光らせる。
「よく知っていたね……。正しいよ。
「じゃあ、海へ行くことは、決定なのね」
エミリーは冷静に口に出すと、顔をややうつむけ、なんともいえない表情を浮かべた。
その意味を、クリスは知らない。
聞き出すこともないと、予想しておく。
「どうして知っているのよ?」
エミリーはすぐに顔を上げて、聞き出す。
「情報通なのでね……」
モニカは曖昧に濁した。
エミリーが疑わしげな目をする中、クリスは深く考えていなかった。
事の成否はいい。合っているかどうかも、どうだっていい。
とにもかくにも情報が手に入った。
「まずは南東。冒険者の町よ」
おーと拳を突き上げそうな勢いで、彼女が宣言する。
「さっそく行くわよ」
「今は夜だぞ」
窓を指す。
外は濃紺の闇に染まっていた。
「なにのために食事を出したと思っているんだい……?」
モニカがあきれたような目で、エミリーを見澄ます。
途端に娘はおとなしくなった。
「泊まっていくといいよ。それに君たちには、会っておいたほうがいい相手もいるからね……」
後半の言葉が気になるが、今日中に行動を移す必要がないのは確かだ。
かくして二人は隠れ家に泊まる。
各々は個室で一夜を明かすのだった。
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