赤き螺旋の終わり
青年の肉体から半透明のなにかが漏れ出す。それは女の形となり、目の前で漂う。
『妾はここまでのようじゃ』
女は振り返り、肩を落とした。
「待て。君は不死鳥だ。蘇生が可能なら」
青年は前に出る。
彼が言い切るよりも先に、火の鳥は首を横に振った。
『魔力は使い果たした。元より妾は決めておったのじゃ。これで、最後にしようと』
それは、なにを意味するのか。
彼女はなにを最後にしようとしていたのか。
青年には読めてしまう。
『妾は恋に敗れ続けた。誰も本当の妾を受け入れてはくれなかったのじゃ。だから、もういいのじゃ。これっ切りで』
本当にそれでいいのかと、尋ねたくなる。
あきらめないのではなかったのかと。
何度でも他者に恋をし続けるのではないのかと。
それでも、分かってしまう。
彼女が疲れ切っていることも。
もはやほかに望むものなどありはしない。
全てを出し尽くした今、必要なものなど、なにもなかった。
否定することすらできず、なにと口を利けばよいのか、その答えを見失う。
だが、これ以上は無粋だ。
彼女の意思を尊重する。それ以上の選択肢はなかった。
『汝、妾は、変わったつもりでいたのじゃ』
静かに女は語り出す。
『元のジメジメとしたおのれを捨て、新たな存在に。だが、妾は怠惰。その罪の宿命じゃ。結果は変わらない』
うつむく。
顔を上げ。
口元に笑みを浮かべた。
いくら表を飾りつけようと。
置き去りにした罪には、どうしても逆らえない、と。
『やっぱり、無理だった』
それはあまりにも儚く、崩れ落ちそうな微笑みだった。
『汝は勤勉を選ぶのだろう?』
試すような目をして、彼女は問いかける。
否定できない。
そうだ。
怠惰を冠する青年では、勤勉たる娘を救えない。
彼の想いは最初から彼女に向いている。
その気持ちを偽ることはできない。
それは、相手のためにはならない。
嘘を言えば余計に相手を傷つける。
彼女と精神を共有している以上、答えはおのずと分かってしまうからだ。
それでもなお、彼女は知りたがる。真実を。本当の気持ちを。それを本人の口から聞かねば、立ち去れぬ。そう申しているかのようだった。
ゆえに彼は肯定する。
「ああ。それでも僕は、エミリー・ロックウェルを選ぶ」
その答えに、却って女の表情が和らいだ。
一陣の風が吹き抜ける。
涼しげで、甘酸っぱい。
遠くから果物や新緑の香りを運んでくるかのようでもあった。
日が沈む。
世界は黄昏に染まる。
『最後に求める。どうか妾の真の名を、呼んでほしい』
熱い眼差しが青年を貫く。
緋色に染まった空と、同じ色をした瞳だった。
ややあって、彼は口を開く。
「ああ――アリーシャ」
女の表情が緩む。
柔らかな微笑み。
最後に聞けた。
ならば、これでよかった。
この結末は、最初から決まっていた。
誰にも受け入れられなかった。人間の心を持っていると、誰も信じてはくれなかった。
ほかの誰に伝えても、誰も信じてくれない。
いくら人間の姿をとっていたとしても、本体は魔物であり、悪魔だ。その罪を背負ったものであるのなら、この末路もまた、必然。だから全てをあきらめていた。皆に悪と忌み嫌われた身であるのなら、それも受け入れよう。
だから彼女は怠惰だった。
しかし、それでも、想う。
人間でありたい。恋をしたい。誰かに愛されたかった。
だが、もう、いいのだ。
彼が人間だと認めてくれた。
自分を好きだと言ってくれた。それによって、全てが報われた。もはやなにも残すことはない。だから全てを消し去っても、構わなかった。
それでも、彼が想っているのは自分ではない。
彼の恋のためには自分は不要。ならば潔く引くまでのこと。
『これは妾の敗北じゃ』
すっきりとした顔で、告げる。
夕焼けが加速し、あたりが暗い色に包まれる。
目の前の女の気配は急速に薄れていった。
手を伸ばす。
その影へと。
しかし、指先は届かない。
その肉体に触れることすら、叶わなかった。
『さらばじゃ』
それを最後に完全に目の前から、彼女は消える。
全ては粒子となり。火の粉のように舞い散った。
そして、闇は夕焼けを連れ去っていく。
あたりはすっかり深い藍色に染まりつつあった。
違う。
違うのだ。
青年は何度も心の中でつぶやく。
寂しいと感じたのは自分のほうだ。
ここまでやってこれたのは彼女のおかげだ。
妙な喪失感が心に生じる。
当たり前だった孤独が、重く胸にのしかかってきた。
彼女が好きだった。
その内側に眠る情熱と、あきらめずに恋に挑む姿勢が。
それはかつての相棒に似ているからだろう。
彼女と一緒にいると懐かしい感覚になる。あの、勇者としての旅の日々が戻ってきたと、錯覚してしまった。
それをまた、奪われた。失ってしまった。
やるべきことは残っている。
だけど今は、浸らせてほしい。
まだ、ここにいたい。
この感情の渦の中にとらえられたままでいたい。
彼女がいた証を実感していたかった。
それだけが全て。
これは確定した結末。回避のできないものでもある。
それでも青年は夢想する。
彼女がそばにい続けることを。彼女と共に問題に解決する夢を。
それは叶わない。叶わないからこそ、夢となる。
もういいのだ。
なにもかも。
青年はただ一人、おのれの運命を許した。
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