振り出しに戻ってから

 ***


 クリスと火の鳥が言い合う場面を、死神と少年は眺めていた。

 相手からは気づかれない程度に、距離を取っている。


「貴様は怠惰をどうしたい?」

「放って置く。ん? 変な顔するなよ。始末しろとは言われてなかったぞ」


 あっさりと少年は答える。


「でも、いい気分だ。まさかメタモルフォシスをこの目で見れるなんてさ」


 メタモルフォシス。

 クリスの背負う剣。その刃の基である鉱石だ。

 今は斧の形を持ち、地面に転がっている。


「本物か?」

「二〇〇〇年前に消えた鉱石だからな。オレだって資料でしか見てない。でも、この目が言ってるんだ。間違いはないさ」


 彼の黄褐色の瞳が太陽に似た光を放つ。

 それを見て、死神は口を閉ざした。


「売れるだろうか」

「あれは値段がつけられないんでね。狙うならホワイトサファイアのほうさ」


 青年のバングルについたカラーレスの宝石を指す。


「ダイヤモンドではなかったか」


 黒服の男は露骨にテンションを下げる。


「仮にもサファイアさ。宝飾品としての価値はなくても、売り物にはなるぞ」


 取り引きする価値は十分にある。


「強奪したいのなら、行ってこればいいさ」

「この姿ではやらん」


 ここは人目につく。

 現に見知らぬ影が、青年と火の鳥に近づきつつあった。


 ***


「通りすがりの行商人です。俺でよければ、力を貸しますよ」


 行商人を名乗る青年は、ふところから小瓶を取り出す。

 透明な容器に入った液体がグリーンダイヤモンドのような光を放った。

 瞬間、クリスは悟る。あれは自分に必要なものだ。

 思うや否や、瓶に飛びつく。

 目を白黒とさせる行商人をよそに、クリスは中身を飲み干した。


「くー、生き返ったー」


 まるで酒でも飲み干したかのようなリアクション。

 実際に彼はそんな心地だった。

 顔色は元に戻り、体から痛みは消える。

 今では普段と同じように動けるというもの。


 一方で行商人は硬直し、あっけに取られていた。

 そんな彼の顔は一瞥もせずに、青年は歩き出す。


「ありがとう。じゃあな」


 手を振って、別れる。

 なんの余韻もなく、彼はこの場から立ち去った。

 残されたのはなにがなにだか分かっていない様子の、行商人のみ。


「え?」


 街の端っこで間の抜けた声を出した。





『汝、汝』


 意気揚々と歩く青年の背後を、火の鳥がついてまわる。さながらゴーストのように。


『あれは行商人じゃ。料金はどうするのじゃ?』

「完全に忘れてたよ」


 思い出したようにつぶやいて、足を止める。

 現在は町の外れを目指し、移動中。

 行商人と会った川の近くからは、離れている。


「さっさと引き返そう。ついでにアイテムでも買っていこう」


 それは善意ではなく、自分の事情だ。


『汝、二度も同じことは繰り返さぬよな? 対策は立てねばならぬ』

「その通りだよ」


 第一に敵の情報を整理する必要がある。


「毒は使ったよな?」

『髪の色を見る限り、炎の魔法も使えるはずじゃ』

「黒も混じっていたよ」

『呪いを扱うためじゃな』


 火の鳥は確信したように言葉をつむぐ。


『やつの魂は呪いに侵食されているとみた。いかなる術も呪いに変換。炎を扱っても、呪術と化すのじゃ』

「へー」


 相手の術は把握できた。

 問題は攻略する方法である。


「残念だが、なにをしても無駄だよ」


 作戦会議を始めようとしたとき、中年の女性から声がかかる。

 湖畔のある方向から歩いてきた彼女は、二人の手前で足を止めた。


「君は、さっき見た!」


 彼が指した先には元使用人の女性が立っている。

 初めて会ったときと同じく、音もなく迫っていた。

 声を出されなければ、存在にすら気づかなかっただろう。


「失敗したんだね。彼女を連れていないということは」

『白々しいぞ。わざわざ確認する必要はあるまいに』


 火の鳥の女はムッとした顔を見せる。


「君は、フェニクスだね?」


 女性が焔色の女に視線を合わせる。


 フェニクスはクリスのとなりに控えていた。

 ずいぶんと警戒をしているようで、口をへの字に曲げている。


「伝承と様子が違うね?」

『伝説なんぞそんなものじゃ。確かなものなどありはせぬ』


 火の鳥は開き直ったように言葉を発する。

 もっとも女性は聞いておらず、相手は青年へ目を向ける。


「そんなことよりも、重要なのは」


 言い切るよりも先に、クリスは口を開く。


「なんとかなるって。必ず連れ出す」


 胸を張って主張する。

 されども女性の反応は芳しくない。


「君が大罪の一員である限り、望みは果たせない。娘も受け入れはしないよ」

「敵同士だから?」


 よく分かっていなさそうな顔をする。


「それ以前に君たちは悪だろう? 神に挑み、世界を滅ぼさんとしているのだからね」

「え? やつら、そんな物騒な目標を掲げてたんだ?」


 ぽかんと目を丸くする。

 話自体は別の案件で聞いた覚えはあるものの、すっかり頭から抜け落ちていた。


『会議をサボっておったのが悪いのじゃ。妾は何度も告げたぞ。組織のために働けと』

「確かにやる気はなかったけどさ」


 クリスは頭をかく。


「って、君、知ってたのか?」

『当然じゃ。妾は、妾を復活させた者のために働きたい。そのために力も分け与えた。そして、汝をも利用せしめんとしておるのじゃ』


 それは失敗に終わったのだが。


『しかし、滅びとな』


 火の鳥は眉間にシワを寄せる。


『あの男は滅ぼすとは言っていなかったぞ。成すのは神への反逆。それだけじゃ』

「どっちにしろ、ろくなことはやらないんじゃないか?」


 とにかくおのれは危険な組織に身を置いてしまっていたようだ。自覚もなく。

 一方で女性は火の鳥と同じく、複雑な表情を顔面に張り付けていた。


「予言は必ず当たる。世界は滅ぶよ……」


 確信を持ったような口調だった。

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