女は即座に視線を彼へ戻す。

 直線上に立つ二人は向き合い、火花を散らす。

 まさしく一触即発。

 このままでは戦いが始まる。


 とっさにエミリーは口を開いた。


「待って!」


 叫ばずにはいられなかった。


「この戦いは不毛です。退くべきだわ!」

「知ってんぞ」


 横からユーロンが入る。

 彼の声にエミリーは振り返った。


「こやつは大罪を冠する者。怠惰と言ったか? 特攻の対象以外では戦ったところで、決着はつかんと」


 彼は全てを知っていた。

 破滅の予言は以前から出ていたし、おかしな話ではないだろう。

 ならば話は早い。

 慎重なタイプの男であれば、ここは退く。


「俺は殺さんさ。しかし、貴様はどうだ?」

「え……」


 希望を得たのもつかの間、エミリーの心は凍りつく。


「貴様はこう言いたんだろ? 『大罪は対抗者が仕留めねばならない』なら、貴様がそれをやればいいじゃねぇか」


 当たり前のように彼が告げる。

 エミリーは言葉を失い、その顔は見る見る内に青ざめていった。


「どうした? できんのか? できないんだな? 貴様のごとき劣等品は。そんなもんだから、廃品回収に出されんだよ」


 侮蔑の眼で彼女を見下ろす。

 エミリーは自らが冷水をかぶったような気分になった。

 そんな二人の様子を横目に、モルガンはこっそりとナイフをしまう。


「理解したぞ、貴様はとんだ腰抜けだとな。ならば、構わん。俺が手を下す」


 ユーロンが前に出る。

 モルガンは退いた。

 彼女と入れ替わるような形で、二人は向き合う。

 男の暗緑色の瞳から粘ついた光が漏れた。


「よりにもよって君が出てくるのか。対抗策はあるのかよ」


 クリスは露骨に嫌そうな顔をする。

 相手は丸腰だ。なにをしてくるのかが読めず、様子を伺う。

 緊張感が高まる中、彼の視界にメタリックなものが入り込む。壁にかかった武器だ。

 瞬間、悟る。敵はこれを使うつもりだ。


 予想の通り、ユーロンは、壁にかかった矛をつかみにいく。


「苦く黒く――汝は蛇へと姿を変える。その身は無数に分かれ、肉を食らう」


 矛を構え、刃の先を青年へと向ける。

 エミリーが顔色を変えた。

 クリスはとっさに斧の先を、敵へ突きつける。


「毒を与えよ。罰を与えよ。黒き泥は肉体を蝕み、汚染し、腐り落ちる。果ては白。骨のみを残し、消え去れ」


 毒が放たれる。

 青年は目を大きくした。


「で、これ……どうしろと?」


 出た感想がそれだった。

 視界に飛び込んだのは、ヤマタノオロチ。

 八つに分かれた大蛇が、黒炎を撒き散らしながら迫る。


 物理で殴れるだろうか。

 そんなことを考えながら、斧を振るう。

 命中。

 一本目の蛇を折る。

 次は二本、三本、四本、五本と一気に薙ぎ払う。

 そして、六本、七本目。


 だが、最後は間に合わない。

 八本目の蛇は他を盾にする形で迫り、腕に食らいつく。

 噛み付くというより、もはや轢きにきていた。


 反動で青年は吹き飛ぶ。床に叩きつけられた。

 背中が痛む。だが、それよりに気になるのは腕のほうだ。

 見ると、見事に腫れていた。内出血でも起こしているかのように赤く。


 上を向けば、大蛇の頭。

 青年は無言で、薙ぎ払った。

 途端に蛇は沈黙する。

 あたりには実体のない炎が広がるのみだ。


「その身に宿した再生の罰だ。無限の苦しみを味わうがいい」


 殺意に満ちた顔で吠える。

 彼は別段、勝ち誇っているわけではない。

 見下したいというより、潰したい、だ。

 貴族であるユーロンは、平民を激しく嫌悪する。


 一方で青年は悟った。

 今、受けたものは毒だと。

 通りで相手に余裕があるはずだ。毒ならば再生力を持った相手にも効く。


 立ち上がると、腕に激痛が走る。

 ドクンドクンと鼓動が加速する。

 毒が全身に回れば、命は危ない。

 今のところはその心配はないのは、幸いだ。

 とはいえ、苦しみたくはない。

 どうするべきか。


 考える間もなく、彼は決める。

 撤退だ。

 それしかない。

 たとえ勝ち目があっとしても、今は解毒を優先すべきだ。

 よし。迷いなく覚悟を決めた。


 そのとき、彼は気づく。妙にまぶしいなと。

 光の差す方向を見る。それはバングルだった。

 目を細めながら、「ん?」と声を発する。

 クリスは混乱していた。


 光はさらに激しさを増す。

 青年をベールのように包むと、そのまま彼を攫っていった。

 まるで雨上がりに霧が引いていったかのような、スピーディかつ不思議な光景。


 この場に残るは屋敷の住民のみ。

 誰も状況を理解できず、固まっている。

 ただ一人、使用人の娘を覗いては。


「あれは……御使いと同じ術」


 ぼうぜんと彼女はつぶやいた。

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