はちみつ色の罠

「来客かしら?」


 涼しげな女だった。

 スリットの入ったロングワンピースが似合っている。ぴったりとした生地が豊満なボディを強調していた。

 男性から見て、惹かれる容姿である。

 クリスも思わず緊張を解いていた。


 それはそれとして、気まずい。

 侵入に気づかれてしまった。

 いかにしてごまかすべきか考えていると、先に女性が口を開く。


「まずはご用件を聞きましょう。どうぞ、客室へ」


 柔和な微笑みで青年に迫る。

 胸元で雫の形をしたペンダントが光った。

 切れ長の潤みを帯びた瞳と目が合うと、吸い込まれそうになる。


「はい」


 大人の色香に屈し、誘いに乗る。

 かくしてクリスは女性についていく形で、廊下に出て、客間へ赴いた。

 甘い香りのする部屋で二人切り。

 これからなにが始まるのだろうか。


「なにのために、こちらへ?」


 女性が茶を出す。


「仕事で」


 適当に濁す。


「ならば、仲間ね」


 ティーカップを手に、彼女は笑む。

 はちみつがたっぷり入ったお茶の、甘い香り。

 ついつい釣られて、茶に手を伸ばす。


 もてなしをしてくれるなんて、いい人だ。

 そんなことを考えながらカップの縁を口に近づける。

 いよいよ液体を喉に流し込もうとしたとき――


「だが、嘘つきはいけない」


 ナイフが視界に飛び込む。

 思わず息を吸い込んだ。

 言葉は出ない。

 手のひらからティーカップがこぼれ落ちる。

 それは床に着地。衝撃で器が割れる。破片があたりに飛び散った。


 ***


 エミリーは走っていた。


「おかしい」


 口に出す。


「なんなのあの女の人。いつ屋敷に?」


 彼女は焦っていた。

 湖畔の屋敷の使用人は自分のみ。

 従業員はほかにいるはずもなかった。


 危機感が心を乱す。

 いやな予感しかしない。


 嫌な予感に突き動かされるように、廊下を走る。

 扉が見えてきた。手を伸ばす。開いて、中に入る。

 だが、駆けつけたときにはすでに遅かった。


 扉を背にして、彼女は棒立ちになる。

 部屋は血の色で染まっていた。

 それはあまりにもショッキングな光景。

 浮かぶ言葉はない。

 顔も頭も真っ白になったまま、立ち尽くす。


「読み通り。現れたな」


 扉が開く。

 男が姿を見せた。

 彼は少女を無視して、女性へと近づく。


「私を雇って正解だっただろう?」

「しつこく頼み込んできただけはあったな。モルガン・ダリル・シアーズ」

「フルネームなど堅苦しい。も少し気安く呼んでも、構わぬぞ」

「誰が貴様なんぞに心を開くか。元より俺はそういうやつだ」


 ユーロンは忌々しげに吐き捨てる。


「で、欲は満たされたか?」

「はて」


 モルガンは肩をすくめる。


「楽しみにはしていたのだ。例の表通りの騒ぎを見ていた者としてはな。ゆえに暗殺者として貴様の下についた。しかし――」


 朱殷シュアンの中にいる青年へ視線を落とす。

 氷のような瞳をしていた。

 人情味の欠片もない、ドライな色。

 見ている側もぞっとするほどだった。


「次に刃を向けるのは、俺なんだろ? これだから嫌だったんだ、貴様のようは悪魔は」

「フ。その言い草、本物の悪魔に失礼ではないか?」


 モルガンは薄く笑みを浮かべる。


「不安で仕方がないのに頼らずにはいられないか。その心情を思うと、ゾクゾクする。だが、私の好みではない」


 彼女の悦びの表情は嗜虐性で満ちている。

 先ほどまでの上品な態度はどこへやら。

 仮面は完全に崩れ去っている。


「やれやれ。また屋敷が汚れてしまう。清掃するのは俺ではないが。さあ娘、早く――」


 言いかけて、男の口が止まる。

 エミリーも固まってしまった。表情も強張っている。

 なぜなら、目の前で信じられないことが起きたからだ。


「『やれやれ』は、こっちのセリフだよ」


 声と同時、青年はゆっくりと立ち上がり、顔を上げる。

 生きていた。

 圧倒的な衝撃を息と共に呑み込む。


 エミリーが部屋に入る前に、暗殺者はクリスを一突きにしていた。

 死んだはず。

 なぜ。


 しかも、再生すら始めている。

 全身にまとった細かな光が、傷を塞いだ。

 ジュージューと音を立てて、時を巻き戻したかのように、跡形もなく。


 ほどなくして足首に浮かぶルビーレッドの紋章は、輝きをやめる。


「ハニートラップかよ。引っかかっちまったな」


 ぶっきらぼうにつぶやく。

 白かった顔に血の気が戻る。

 クリスは冷静なまま、感情を宿さない目で、男を見た。


「さっさと彼女を解放してもらうよ。僕はそれだけが望みでね」


 あくまで穏やかに、普通の口調で提案する。

 それがまた恐ろしさを煽った。

 まるで得体が知れない。


 七つの大罪が集まる組織は人外魔境だ。特別な力を宿す者が多いとは、予想がつく。

 だが、これでは完全なる人外ではないか。

 彼の再生力は普通ではない。

 よもや、ここまでとは。

 心の中で、つぶやく。


 エミリーが衝撃を受ける傍ら、傍らに立つ二人は余裕を保っていた。

 強者とのやり取りには慣れているのだろう。

 表情を崩していない。

 その内、モルガンが口角をつり上げる。


「面白い。敵が不死者であるのなら、何度でも殺せる」


 女は声を歓喜で震わした。

 口の端から笑みがこぼれる。

 渇いた瞳から氷のような光がほとばしった。


「好きにしてくれ。その分、僕は何度でも再生してやる」


 落ち着いて言葉を返して、武器を構えた。

 モルガンの視線が、彼の斧をとらえる。

 眼から硬質の光が漏れた。

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