高みの見物
屋敷の前にたどり着く。
辺境の地だ。庭は雑草まみれ。荒れ果てた印象を受ける。
近くに水場があるせいだろうか。空気が湿っている。
空も灰青だ。薄い雲が太陽を隠している。
ちょうど昼だ。
ビスケットを食べながら、様子を伺う。
***
エミリーは働いていた。
食器をを下げ、台所とリビングをいったりきたり。
片付けが終わると、次は掃除だ。
倉庫に入るなり、下を向く。床に布の切れ端が落ちていた。横にはちぎれたリボンも見える。
瞬間、彼女は顔色を変えた。
クローゼットに迫るなり、勢いよく扉を開ける。
中にはスカートとブラウスが入っていた。
ペンキや泥で汚れている。ブラウスにいたっては、袖を引きちぎられていた。
エミリーは立ち尽くす。
ショックで言葉が出ない。
ただ、嫌な予感だけが脳を突き抜け、いてもたってもいられなくなる。
急いでタンスの引き出しを開けた。
中身を確かめる前に、エミリーは固まる。
タンスは空っぽだった。
次から次へと引き出しをチェックしても、中にはなにも入っていない。
エミリーは表情を失う。
体から力が抜けていくのが分かった。
同時に悟る。事の元凶を。
「ようやく見つけたか、グリーズよ」
後ろに男が立つ。
「もう少し早いと思っていたが、鈍いな。この様子では役に立たんだろう」
彼は尊大な態度で彼女を見下ろす。
「なぜ、このような真似を?」
彼女は気持ちを抑えたような口調で尋ねる。
「売り物にならんからだよ」
あっさりとユーロンは答えた。
「腐っても大賢者の血を引く者どもだ。上質なもんを身に着けていると期待していたんだがな。結果はこのザマよ。代わりに俺が消費してやった。いいサンドバックになってくれたよ。ボロ衣どもも感謝しているだろうさ」
彼は得意げに笑む。
悪気はあっても、反省する素振りはない。
「貴様らは『肌を隠せるのなら、服はなんでもいい』とでも風潮していたのか? 庶民派ぶってんなよ、クソ野郎どもが」
暗緑色の双眸で相手を睨む。
エミリーはうつむいた。
ふと彼女の脳裏をよぎったのは、屋敷に来る前のこと。
私物の持ち込みを、ユーロンは許可した。
それは温情ではない。卑劣さの顕れだ。
今、確信した。
「それだけのために私物を持ち込ませたのですか」
謎は解けたが、心に広がるのはむなしさのみ。
「当然だ。貴様に自由など与えん」
堂々と彼は告げる。
「そうですか……」
声のトーンを落とす。
「不満か?」
男は口角を釣り上げる。
「いいえ」
背を向けたまま、彼女は答えた。
口答えさえしなければそれでよし。
そう言いたげに、男は笑む。
だが次の瞬間、彼の視線は壁へと向いた。
「貴様、俺の物に触れたな?」
「え……」
厳しい口調で指摘する。
娘は口を丸く開いた。
「動いている」
彼が指したのは、金属の箱だ。
「誰が触れていいっつったよ。それは俺のみに許された行為だ。そう何度も伝えたよなぁ?」
暗緑色の瞳が黒く濁っていた。
ユーロンは護身用のナイフに手を伸ばす。
素早く柄を掴む。
刃がきらりと光った。
これまでの流れは実にスピーディ。
ためらいも迷いもない。
彼女は青ざめた。
「甘んじて受け入れろ。こいつが貴様の死だ!」
振り向くなり斬りかかる。
エミリーはとっさに目をつぶった。
心ではおのれの死を悟りながらも、体は無意識に動く。
彼女は身をそらした。
刃の行き着く先もずれる。
切っ先が頬をかすめた。
傷口から血がにじむ。
「フン」
男が鼻を鳴らす。
家主が体勢を整える手前、従者は息を荒くして、肩を上下させていた。
彼女の顔はいまだに青ざめている。
恐怖に震える様を見て、ユーロンは満足したらしい。
「見逃す――そう言ってほしいか? だが、残念だなぁ。貴様に待つは滅びのみだ。覚悟しておけ」
喜々として告げると、彼は動き出す。
彼女はそちらを見ない。
バタンと扉が閉まる音だけを、耳で聞く。
男は去った。
生きた心地がしない。
自分は本当に助かったのだろうか。
内心、怯えている。
動いてもよいのか分からず、魂が抜けたように突っ立ってしまう。
空白の緊張感に満ちた空間で、少女は一人、留まっていた。
「ひどいやつだな」
聞き覚えのある声が鼓膜を揺らす。
気楽そうな口調には緊張感が欠けていた。
同時にエミリーは相手の存在に気づく。
ゆっくりと視線を窓へと向けた。
青年のグレーの瞳と目が合う。
彼は小さな丘の上から、屋敷を見ていたようだった。
「冷やかしね」
彼は高みの見物をしていた。
ユーロンの仕打ちもバッチリと見ていたことになる。
エミリーにとってはいい気はしなかった。
「出ていってよ」
「嫌だ」
断る。
「助ける気なんてない癖に」
ぼそりとこぼす。
「『助けてほしい』ってこと?」
「どんな耳をしているのよ。一言も言ってないじゃない」
「言ってるだろ。『本当は助けてほしい』って。だから僕にイラついてるんじゃないか?」
上から問いかける。
彼女は無言だった。
「いらないわ」
尖った声を出す。
「誰が敵の手なんて借りるものですか」
顔を上げて主張する。
青竹色の瞳には明確な意思がこもっていた。
その姿を見てクリスは口角をつり上げる。
確信した。
彼女はどこまでいっても正しい存在だと。
責任感にあふれた態度、悪に気を許さない姿勢。
どれを取っても美しい。それはきっと、五〇〇カラットのダイヤモンドよりも。
彼の口からは自然と次のような言葉が漏れていた。
「気に入ったよ」
唇が弧を描く。
「え?」
「君を助ける。そう決めたんだ」
彼は飛び出す。
「ちょっと、いきなりなんなのよ?」
言っている暇もない。
青年は丘を駆け下りると、屋敷に接触。窓から中に突入する。
「待ってよ」
手始めに彼女の頬に触れる。
相手が嫌がっているが知ったことではない。
手のひらからあふれ出た炎が、傷口を癒す。あっという間に赤い線は消えて、元の白い肌に戻った。
後は彼女を連れ出すだけ。
そう思った矢先、足音が迫る。
敵かもしれない。
身構えながら、クリスは振り返った。
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