彼は他人の頼みを聞き入れない

「貴族街ってどこ? 知らない?」


 通りがかった平民に声をかける。

 相手は無言で歩き去った。

 ほかにも何名か人間が視界に入ったが、皆、通り過ぎる。

 見向きもしない。

 伸ばした手を振り払うようだった。


「無情な世の中だ」


 よそ者ゆえ仕方がない。

 今回は失敗しても、まだ次がある。

 気持ちを切り替えて、次の相手を探す。


『あの娘であれば、応じてもらえただろうにな』


 焔色の女が飛び出し、ふよふよと漂う。


「周りの好感度は高いよな、あれ」


 うんうんとうなずく。


「見た目は真面目そうだった。非行に走るような感じじゃない。家出とも考えずらいよな」


 娘は謎の男に連行され、姿を消した。

 クリスも追いかけたが見失ってしまう。

 今は二人を探している最中だ。


『怪しいのは男のほう。そう言いたいのじゃな』

「考えるまでもないよ。悪いやつだっていうのは、一発で分かったし」


 通行人に『この人は悪人に見えますか?』と質問をすれば、全員が『そうです』と答えるだろう。


『ジャラジャラと着飾った外見を見る限り、貴族のようじゃな』


 こちらも見た目で身分を特定できる。

 住居も貴族の住むエリアにあるはずだ。

 そう決めつけ情報を探っているが、難航している。


『しかし、汝はなぜ娘を探すのじゃ?』

「俺を殺しに来るような相手だ。気になるに決まってるよ」


 明るく答える。

 青年の目はキラキラと輝いていた。


「それに彼女の態度が気にかかる……」


 エミリーは自分を知っているのかもしれない。

 知り合いだろうか。

 考える。

 答えは出なかった。


 以降もクリスは平民街を彷徨う。

 住民に声をかけて回ったが、なんの成果も得られなかった。

 ついには街の外れまで歩いてきてしまう。


 あたりは自然で満ちていた。清浄かつ静かな空気が広がる場所。近くには森も広がっている。人気ひとけはない。

 踵を返そうとした矢先、影がぬっと視界に飛び込む。


「うおっ!? びっくりした」


 いきなりだった。

 気がつくと目の前に女性が立っていて、仰天する。

 いつの間に近づいたのだろうか。

 全く気が付かなかったため、冷や汗をかく。


 火の鳥の姿も、今はない。

 体の内側に隠れたようだ。


「こんな場所に来るとはね。情報などなかっただろうに」


 女が面を上げる。

 ファンデーションを塗った、薄い顔だ。

 よくいえば上品だが、華やかさと色気が足りない。

 雑踏に入れば一瞬で埋もれる。存在に気づけなかったのも無理はなかった。


 とにもかくにも声をかける。


「人を探してるんだ。エプロンドレスを着た女の子と、貴族っぽい男」


 彼の言葉に、相手が反応。ピクリと眉が動いた。


「ユーロンか。貴族街を目指しても無駄だよ。彼はそこにいないからね」


 薄い唇がなめらかに動く。


「『湖畔の屋敷』といえばいいかな? 君たちが歩く先にある場所だよ」

「偶然にも正解を引き当てていたってか? ラッキーかよ」


 急に気持ちが明るくなる。

 もっとも、貴族街を探していた時点で間違えているのだが、気にしないことにした。


「でも、なんで貴族なのに平民街の範囲にいるんだ?」


 首をかしげる。


「貴族街の事件を知っているだろう?」


 訝しむような目を青年へ向ける。


「あー」


 思い出したように上を向く。


「彼は暗殺者を恐れているんだよ。だから危ない場所を避けて、ね」

「よく知ってるじゃないか」


 一歩、前に出る。


「知り合いか?」

「元使用人でね」

「今は違うのかよ?」

「追い出されたんだよ」


 女性はゆっくりと語り始めた。


一月ひとつき前まで、私は貴族の屋敷で働いていてね。こき使われて、うんざりしていたんだ」


 すらすらと台本でも読むように、言葉をつむぐ。


「ある日、男は謎の娘を連れてきたよ。彼は言ったんだ『ここで働かせることになった』と」


 薄い唇に皮肉めいた笑みが浮かぶ。


「最初は単なる嫌がらせだったんだろう。だけど、彼女は優秀だった。よく働くし、仕事は完璧でね。男は彼女を手放せなくなった。代わりに私は用済みだよ」


 女性は肩をすくめる。


「今も彼女は屋敷に捕らえられている」


 顔を上げる。

 期待のこもった、熱い眼差し。


「助けてやってほしいんだ」


 娘も助けを求めている。

 そう言いたげだった。

 女性が真剣な目をして訴える中、青年は彼女から視線を外す。


「そのためにまずは真っ当な人間に戻って、だね」

「それを決めるのは僕だしな」

「君の力を見込んで、頼んでいるんだよ?」


 彼女が声を張り上げる。

 それでも青年の態度は変わらない。

 彼は静かに歩き出す。


「僕は気まぐれなんだ」


 二人はすれ違う。

 青年は足を止めない。

 女性は立ち尽くす。

 一度だけ唇を開いて、また閉じた。

 未練を残した表情で、振り返る。


 青年の姿は遠ざかっていた。

 黒い影が小さくなっていく。


 乾いた風が吹き抜ける中、彼女のペンシルスカートは微動だにしない。シャツブラウスも同様に、肌に張り付いている。

 女性は平野に立ち続けた。

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