お叱りの言葉
青年はなにもしなかった。
静かに娘を見下ろすのみ。
「なんで止めを刺さないのよ?」
睨みつけるような目で、彼女が見上げる。
「趣味じゃないから」
素直に答える。
「僕は痛みや苦しみよりも、喜びのほうが好みなんだ」
「そりゃあ、誰だってそうよ」
エミリーは不満げに食いつく。
「でも、あんたは悪人の息子なんでしょ?」
言葉の端に理不尽だと思う気持ちを、にじませる。
声のトーンはかすかな青色。
対するクリスは真顔で答える。
「知らないよ、そんな人たち」
視線をそらす。
「僕は普通の人間だよ」
これは本当だ。
「ならどうして、大罪に身を置いてるのよ?」
解せないとばかりに、口調を尖らせる。
「知ったこっちゃない。巻き込まれただけだよ」
悪魔と契約を交わしたことは事実だが、悪い感情があってやったことではない。
火の鳥も助太刀の言葉を吐いてくれないものだろうか。
淡い期待をかけてみるものの、相手は体の内側で傍観を決め込んでいる。
「だから、本当なんだって。人類の敵に回るつもりはないんだ」
両の手のひらを上に向けて訴えるも、娘の目は白けている。
「組織の仕事だって、なにもしてないし」
「なにもしてない?」
いきなり娘の瞳が、鋭いものへと変わった。
「呼び出しとか食らってるみたいだけど、無視し続けてるんだ。だから、組織の目的とか全然分からなくて」
全てを言いきる前に、口が止まる。
エミリーの変化に気づいたからだ。
彼女はうつむき、唇をふるふると震わせる。
それから勢いよく立ち上がると、ギラリと光る瞳で青年を見上げた。
「どうして応じなかったのよ?」
「どうしてって……」
何度かまばたき。
解答の言葉を探す。
「めんどくさかったから」
気まずそうに一言。
途端にエミリーは壮大なため息をついた。
その間、二人は無言を貫く。
曖昧に濁った空気が全体を包む。
ビュービューと吹き荒れる風が、やけに大きく耳に入る。
エミリーの髪がぶわっと舞い上がった。
「面倒くさかったからってなに!?」
彼女はいきなり大きな声を上げて、詰め寄ってきた。
「仕事は真面目にやらなきゃ駄目でしょうが!」
「そこぉ!? 君の沸点、よく分かんないよ」
クリスは冷静に、戸惑っていた。
彼の内側では火の鳥がくすくすと笑っている。
「頼まれたなら、責任をもってやらなきゃ、駄目じゃない。社会じゃ通用しないわよ」
「なんで君の立場でそんなことを言うんだ」
あきれながら尋ねると、彼女は腕を組みながら、顎を上げる。
「じゃああんたは、なにを知ってるのよ?」
「なにも」
「ほら」
それみたことかと鼻で笑う。
「役に立ってないじゃない。敵の情報の一つも得られないようじゃ、組織に入った意味がないわ」
ごもっともだ。
言い返す言葉もない。
「反旗を翻すのならともかく、留まっているようじゃ、言い訳もできないでしょ」
「中途半端だっていいたいのか? 別にいいんじゃないか、今のままでも」
彼としては現状を変えるつもりはない。
「それで世界が破滅に導かれたとして、あんたは平気でいられるの?」
「僕の周りさえ無事なら、それでいいよ」
晴れやかに言いきる。
後ろめたさや負い目は一切なし。
彼はおのれの好きなように、人生を享受するのみだ。
それに対してエミリーは、嫌悪感を露わにする。
「なんて、無責任な」
震えるような声だった。
「善とか悪とか、それ以前の問題だわ。あんたは評価のラインにすら至っていない。空っぽなのよ」
クリスはエミリーの採点を黙って受け止める。
文句はなかった。
しばしの沈黙。
薄い膜を切り裂くように、エミリーは唇を開く。
「でも、分かったわ」
小さくこぼす。
「あんたはろくでなしだけど、悪ってわけじゃない。悪党の子は悪党って諦めていたんだけど、謝るわ」
視線を合わせる。
青竹色の瞳とグレーの瞳。
二つの視線が交錯する。
「勝手に決めつけて、ごめんなさい」
眉を垂らす。
意外なほどに素直な態度だった。
あっけに取られて、言葉を失う。
ここは突っ張るところではなかったのか。
なにはともあれ、潔白が証明されたことは、喜ばしい。
エミリーもかすかに表情を和らげている。
「分かってくれたならいいよ。じゃあ、終わりにしよう」
そちらのほうが、互いのためだ。
クリスは楽ができるし、エミリーも無傷で帰宅ができる。
彼なりの善意であり、温情だった。
ところがエミリーは急に目を尖らせる。
「嫌よ」
硬い声を出す。
「あたしはあんたと戦うために、ここにいるんだから」
強く前に出る。
参ったな。
心の中でつぶやく。
互いに譲るつもりはない。
膠着状態に入った。
じめじめとした風が吹き付ける。
気温は下がるが、ピリピリとした空気は高まっていった。
クリスは渋々、斧に手をかける。
対するエミリーはやる気満々。
漆黒の槍を拾い上げると、重心を前へ傾ける。
いよいよ戦いが始まろうかというとき、硬い足音が響いた。
「これはいけんなぁ。今度からは見張りを雇おうか? 家畜が逃げ出さんようにな」
漆黒の雲が空に流れ込む。
薄いベールをまとったような薄暗さ。
エミリーがビクッと体を震わす。顔色は青ざめ、動きが止まった。
彼女と向かい合っているクリスも、相手の姿は目に入っている。
貴族の男だ。濁った赤色の巻毛に、切れ長の目。暗緑色の瞳は最高級の翡翠に似ている。
直線的な印象を受けるのは、彼が長身なせいだろうか。
細身の体を帝王紫の衣装が覆っている。
胸元には丹色の勾玉が目立ち、他の装飾品も腕や指の上で、ギラギラと輝いていた。
容姿だけならば整っている。
しかし、些細な褒め言葉すらはばかられるほどに、相手のオーラは醜悪だった。
一言で表すのなら、感じが悪い。
腐った臭いがする。
「言ったはずだよな、自由意志はないとな。貴様はなぜ逃げ出してんだ? 謀ったつもりか? 甘めぇんだよ。俺はどこへでも、地獄の果てであろうが追い詰めるぞ」
ねっとりとした視線が少女にまとわりつく。
「覚悟をしろ。処刑の時間だ。罪の代償を払え。さもなくばその精神、思考の隙間すら奪うほどに叩きのめしてやろうか」
禍々しいオーラが指先に集まる。
もはや逃げられない。
絶望感が黒い霧のように立ち込める中、暗緑色の瞳が、娘のチョーカーを映す。
「違います。契約を破ったわけではありません!」
大きな声で主張をする。
「誰が言い訳していいと言った? 貴様の言葉に価値はねぇんだよ。反省してんなら、即座に引き返せ。それ以外は認めんぞ」
「しかし、私にはやるべきことがあります」
相手は聞く耳を持たない。
「ごめんなさい。だけど、分かってください」
彼女の訴えは届かない。
そして、男は娘の腕を掴んだ。
「貴様の失態、俺は決して忘れんぞ」
目がギラリと光る。瞳の底に昏い炎が見え隠れする。
許しも見逃しもしない。
そんな態度に、娘は言葉を失う。
もはや口を開く気力すら失った。
「行くぞ」
男がエミリーを引っ張る。
「お願いします。私、私は……!」
声が遠ざかっていく。
少女は引っ張られるがまま、姿を消した。
暗雲が去っていく。
表通りには好奇に満ちたざわめきだけが残った
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