本当の名前
「ありえないわ。勇者様は民を救って、唯一神になったのよ。すでに地上にはいないわ。だからあたしたちは剣を託す相手を失くしたのよ」
激しく否定し、狼狽する。
クリスは落ち着いていた。
彼自身、信じてもらわずとも構わない。
今はただ、彼女を救いたいだけだった。
「その生まれ変わりが僕だって言ったら?」
ロッティが表情を固める。
かすかな間。
無言の静寂のすえに、彼女は口を動かす。
「
諦めたような笑い方だった。
対するクリスは唇を引き結ぶ。
本音を言うと、見捨てても構わない。
しかしながら、それでいいのかと問われると、微妙なところだ。
一方、傍観をしていた火の鳥は、真顔を保ったまま口を開く。
『汝、剣を守ることに、限界を感じておったのじゃろう? 今のままでは守りきれぬ。確実に盗賊によって奪われるぞ、汝の命もろとも』
火の鳥が迫る。
赤い瞳が硬質な光を放った。
『剣は大切なもの。守らねばならぬ。裏を返せば、守る相手は誰でもよいということじゃ』
焔色の女は口角をつり上げる。
妖しい表情。
それをロッティは凝視していた。
頬を汗が伝う。
『どうじゃ。汝の剣、この者に託してみるのは』
火の鳥の提案を聞いて、ロッティは眉を寄せる。
自分はそれをしてもいいのか。
本当に逃げてもいいのか。
そんなことを考えているような表情だ。
しばしの葛藤。
長い沈黙の後、彼女は口を開く。
「信じていいのよね?」
クリスと目を合わせにかかる。
彼女の態度は信頼の証だ。
実際に彼は少女に手を出していない。常に守っていた。いつでも奪うチャンスはあったというのに。
それに応えるように、青年も告げる。
「必ず守る。任せてくれ」
自身は無敵だ。
彼自身もそう、言い切れる。
その様子を見てロッティもようやく、安心したらしい。
一息ついてから、小さな箱を取り出す。
魔力を込めると箱は拡大。蓋が開くと剣が飛び出し、ぷかぷかと浮かんだ。
『質量を無視した保存じゃな。魔道具か』
「ええ、そうよ」
『初めて見るが、ありえるな』
火の鳥は心当たりがある様子で、うんうんと頷いている。
「さあ、どうぞ」
少女が剣を指す。
青年も言われるがままに従う。
宙に浮かぶ剣に手を伸ばし、柄を掴んだ。
直後に剣は光に包まれる。
「おおっ!?」
瞠目。
次の瞬間には斧へと形を変えていた。
クリスが驚く中、ロッティは複雑そうな表情を見せる。
「予想はしていたけど、本当に適合するなんて」
差し出しておきながら解せないというように、眉を寄せる。
「あなた、何者なの?」
「さっきから言ってるだろ。僕は」
「それは違うわ」
彼の言葉を制止するように、ロッティが口を挟む。
「だって、あなたの持っているそれは、斧でしょう」
「それがどうしたんだよ?」
わけが分からないというように、眉をひそめる。
「剣は特定の形を持たないの。触れても乳白色のままで固まる。ふさわしい者が持てば、相応の形を取るんだけど」
『勇者が持てば聖なる剣か。だが、こやつは剣の形を拒絶しておる』
合点がいった様子で、火の鳥が口に出す。
「勇者に近い人だとは思うけど」
彼女は勝手に話を進めてしまう。
クリスは内心、モヤモヤとしていた。
いくら前世のこととはいえ、彼はまぎれもなく勇者である。
だが、それはおのれだけが分かっていればよい。
剣自体も、別世界の自分の持ち物だろう。
そう受け入れることにした。
以降も二人は旅を続けていた。
とある平野の真ん中、看板の前で足を止める。
左へ行けばアビストン。右は別のルート。
彼女は右を選んだ。
「あなたはアビストンでもいいの?」
「いいんだよ。僕はどこでも適応できるし」
あっさりと彼は口に出す。
「そういう君はなんでそっちなんだ?」
「治安の悪い町はちょっと」
気まずげに視線をそらす。
「じゃあなんで最初はアビストンを目指してたんだよ?」
なんの気なしに答えると、彼女はやや自信なさげに答える。
「私がいると盗賊を呼び寄せるわ。町の人まで被害に遭っちゃう。でも治安が悪いところなら気にならないでしょ?」
「確かに」
素直に感心する。
「でも、今はそういう心配はしなくても、いいのよね」
「そうだよ。君は自由に生きていいんだ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
少女は微笑む。
晴れやかな顔つきだった。
「だから、ここでお別れなのよ」
「ああ、元気でやれよ」
別れの挨拶を交わし、ロッティは背を向ける。
数歩、進んだところで、足を止めた。
「そうだ、私の本名、教えてなかったわよね」
思い出したかのようにつぶやき、振り返る。
「私、シャーロットよ」
「僕は、クリストファー」
こちらも本名を伝え返す。
彼女はくすっと笑った。
「よかったらあたしの町に来てよ。中央の『アントレ』。珍しい武器も、あるかもしれないわよ」
シャーロットは手を振る。
「じゃあね」
今度こそ本当の別れだ。
青年も同じように笑って、看板のほうを向く。
左へと踏み出した。
火の鳥も後に続く。
『汝、聞きたいか? 妾の真名はな』
唐突な切り出し。
青年と少女の名乗りを聞いて、乗り気になったのだろうか。
「フェニクスじゃないのか?」
歩きながら、火の鳥へ視線を送る。
『それは種族名じゃ』
咎めるように、唇をすぼめる。
『よいか、本当の名は――』
彼女はそれを口に出す。
聞いて青年は、へーとつぶやく。
「いい名じゃないか」
本心のまま、感想を漏らす。
平凡なリアクションだった。
いつの間にか夜になり、月が昇る。
欠けた月だ。
下弦。
それは刻限を示しているようでもあった。
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