老婆

「私はジェシカ。あなたは?」

「忘れた」

「じゃあ、なんと呼べばいいの?」

「なんでもいいよ」


 浄化の泉を探しに、二人は出発する。

 しかし、それらしいものは一向に、見つからなかった。

 青年は泉の名は知っていたが、場所までは知らない。

 なにも考えずに毎日を過ごしてきたためだ。


「ごめん。多分、僕は役に立たないよ。ほかのやつに任せられないか?」

「ほかって誰がいるの?」

「うーん」


 上を向いて、考え込む。


「例の女騎士とかどうなんだ?」

「なにそれ。センスない」


 ジェシカは顔を歪めた。


「あいつなら泉がどこにあるかくらい、知ってるだろ」


 自分以外ならば、誰でもいい。

 彼は敵をも宛にしていた。


『やめておいたほうがいいぞ』


 一方で火の鳥は苦言を呈してくる。


『先の戦い。妾は見ていた。あの女、娘ごと汝を斬るつもりだったぞ』

「そうだったっけ?」


 クリスはよく覚えていない。


「事情を話せば、分かってもらえるんじゃ」


 ジェシカを始末したがっているのは、彼女の体質が原因だ。

 呪いさえ解除すれば、国に災いが降りかかることもない。

 女騎士も見逃すはずだ。

 青年は根拠のない自信を胸に抱く。


「君はどうするつもりなんだ?」

「嫌よ」


 ジェシカに話を振ると、彼女は即答した。


「見るからに怪しいじゃない」

「見た目はまともだよ、あの人。それに、仮にも国王軍側じゃないか?」


 彼らは魔王を討伐した陣営だ。

 女騎士も命令に忠実なだけだろう。

 本来は善人だと、クリスは予想をしていた。


「国の状況を知らないから、そんなことを言えるのよ」


 ジェシカが尖った声を出す。

 途端にクリスは口をつぐんだ。

 実際に彼は国でなにが起きているのかを知らない。

 興味がないからだ。


「とにかく、力は借りないわよ」

「なら、浄化できなくてもいいのかよ?」


 情報に疎い青年と歩いても、解決には近づかないというのに。


「ええ」


 それでもジェシカはハッキリと頷く。

 彼女はまっすぐな目で青年を見上げた。


「あいつらに頼るなら、一人になる」


 きっぱりとした口調だった。

 彼女の答えを聞いて、クリスは眉を垂らす。

 内心、ショックだった。

 少女がこの期に及んで、おのれが幸せになる道を閉ざし、孤独を望んだことが。


 決して諦めず、自力で解決する。

 それが青年の期待していた答えだった。


 不意に頭をよぎったのは、前世の記憶。

 使命を投げ出そうとしたときに、何度も「諦めるな」と呼びかけてくれた者がいた。

 かつて広い大地を共に旅した、相棒である。


 彼はもう存在しない。

 今の世界は、前世とは異なる。

 たとえ同じだったとしても、生きているはずがない。

 自分のように処刑をされたはずだ。


 だから、真の意味で彼を分かってくれる者はいない。

 その事実に、寂しさが加速する。

 春にしては冷たい風が、あたりを吹き抜けていった。


「どうしたの?」


 ジェシカが首をかしげる。


「いや、なんでもないよ。君が諦めるなら、それでいいかって」

『おい』


 半笑いで答えると、すぐさま火の鳥がツッコミを入れる。

 半分は冗談だ。

 ただし、遠い希望に手を伸ばし続けるのは、酷だろう。

 やめたいと願うのならば、彼は止めない。


 そう、意思が決定しようとしたときだった。


「もったいない。すぐ近くにあるというのに……」


 しわがれた声が鼓膜を揺らす。

 前触れも気配もなく、突然に。


「うわっ。いきなり、誰だよ?」


 脅かしを食らったように飛び退きながら、そちらを向く。

 手前には謎の老婆が立っていた。


「あなたは、誰?」


 ジェシカが小首をかしげる。

 クリスも知らない。

 この場にいる誰も、相手の正体を把握できずにいる。

 老婆は構わず、口を開いた。


「クリストファー・ガスリーだね」


 彼女が口にした名は青年の胸に、すとんと落ちた。

 自分の名だろうかと彼は考える。


「なんで知ってるんだよ?」

「唯一神から聞いたんだよ……。彼は、君を気にかけていたようでね」

「神が僕なんかに? いい人なんだな」


 青年は思考を放棄。

 素直に受け止めることにした。


「ガスリー? ガスリーと言ったのね」


 一方でジェシカは顔をしかめる。


「不吉だわ。大悪党と同じ姓だなんて」


 彼女の反応を見て、「あ」と思い出す。

 クリストファーの両親は悪党だ。騙し・盗み・殺し。欲望の赴くままに、悪事を成した。

 もっとも、悪意があったわけではない。

 やりたいことは我慢せず、邪魔な者は排除をした。それだけのこと。

 彼らは悪と呼ぶには純粋すぎるが、善と呼ぶには自由すぎた。


 ともかく、クリスタ-ファーは自身の血筋に関して、なんとも思っていない。


「僕はその息子だよ」


 開き直ったようにアピールする。


「普通はごまかすところじゃないの?」

「そうか? むしろ『らしい』って、思うよ」


 おのれも神殺しの罪を犯した身だ。

 悪党の息子になったのは必然だったと、結論づける。


「あなたはあなたってところかしら」


 つまらなさそうにジェシカはつぶやく。

 どうやら納得したらしい。


「それで、お婆さんはなになの?」


 流れるように尋ねる。

 いまだに相手の正体が気になるらしい。


「いずれ、君には伝わるよ……」


 老婆の視線がクリストファーへと向く。

 彼女の持つ茜色の瞳は、没個性的な少女を映さない。


「本当は見捨ててもいいのだがね……。ここで辞めるのは惜しいよ。今は協力しよう……」


 淡々と彼女は語る。


「泉の位置を、教えてあげよう……」


 老婆が迫る。

 断ったら最後、奈落へ真っ逆さま。

 恐ろしげな迫力を感じる。

 クリスは黙って話を聞く体勢に入った。



 とにもかくにも無事、泉の位置を教わる。

 二人は再出発を果たした。


「クリストファー、クリストファー……」


 移動中、少女がブツブツと青年の名をつぶやく。


「なんだよ、呪文みたいに」

「あなたの名前、長すぎるのよ。それに、しっくりこなくて」


 彼女と同じ感覚を、青年も抱いている。

 前世でトニーという名を持っているせいだろうか。

 おのれの名前だと認めてはいるものの、もやもやする。

 おかしな感覚だ。


「クリス。略してクリス。どうかしら?」

「いい名前じゃないか?」

「なによ。他人事みたいに」


 ジェシカは不満げだ。

 実際に他人事である。

 クリスことクリスファーは、達観していた。


 無駄話を続けながら森を進むと、泉が見えてくる。

 噂には聞いていたが実際に目にすると、神秘的だ。

 魔も悪も寄せ付けぬとばかりの、清浄な空気で満ちている。

 思わず簡単の声が出る。澄んだ瑠璃色に目が吸い込まれてしまいそうだった。

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