少女はあくまで没個性的だった

怠惰な勇者

 肉体が燃えていた。

 視界を炎がちらついている。

 肺は熱く、呼吸が苦しい。

 四肢の感覚はすでに麻痺している。

 焦げた臭いが鼻についた。


 冬の凍てつく日。

 雪が降り積もる広場にて、勇者は処刑される。

 暗転した空では赤き月がギラつく。

 火にくべられた罪人を、人々は血走った目で睨みつけていた。


「ああ、よくも! よくも、余計な真似をしてくれたな!」

「我々は信じていたのだ。貴様も約束したはず! 必ず、この世界を救うと! その結果がこの始末!」

「今度こそ、終わりだ。我々は災厄にのまれ、全滅する」

「貴様が、貴様こそが、真なる邪神だったのだ!」


 嘆き。怒り。怨嗟。阿鼻叫喚。

 彼らの声は火の音にかき消されて、聞き取りづらい。

 視界を煙が覆っているせいで、顔すら確かめられなかった。


 それでも、皆の感情は伝わってくる。

 音ではなく色として。

 赤く色づいた感情が荒波のように、胸を襲う。


 憎悪の渦に呑まれてなお、青年は無感情だった。

 無表情のまま、燃えゆくおのれを俯瞰するだけ。

 恨みはない。

 彼らの気持ちは分かる。

 なにせ裏切ったのはこちらのほうなのだから。


 絶望的な世の中だった。

 草木は枯れ、川が干上がり、疫病が蔓延。

 不作が続き、人々は飢え、死に絶えていった。


 国を災厄が襲う中、一人の青年が立ち上がる。

 彼は成り行きで聖剣を引き抜くと、一人の相棒を連れて、旅立った。

 元凶を排するための冒険である。


 市民は勇者を信じていた。

 否、すがった。

 彼が、彼だけが唯一の希望だったからだ。


 けれども結果は違った。

 勇者は神を殺した。


 彼が凶行に及んだのは、血迷ったからではない。神が元凶であったからだ。なにぶん相手は邪神の類。人類にとっては害となる。

 彼は災厄を防ぐために、泥を被った。ただそれだけの話である。


 しかしながら、民は事情を知らない。

 それではさらなる災厄が降り注ぐだけだと、自暴自棄になった。


 罪は罪。

 勇者もそれを認める。

 同時に些細なことであるとも、理解していた。

 彼はおのれの所業に関して、気にしていない。

 もしも討った神と再会しても、友達のように挨拶ができる。


「久しぶり」と。


 今は、それよりも――


 脳裏をかすめた。

 足元を散らばる真紅の羽根を。血に濡れたおのれの手を。

 決して思い出したくはないのに、まぶたの裏に張り付いて、離れない。

 それは重い罪。取り返しのつかない、忌むべきこと。

 そのために彼は死なねばならなかった。


 かくして青年は灰となる。

 生命は輪廻し、新たな生を受けた。

 誕生した場所は、同じ世界ではなかった。少なくとも彼にとっては。


 その世界は緑こそ豊かだが、活気は少ない。民は絶望し、死を求めている。獣は魔力を持ち、人々を駆逐。人類は追い詰められていた。


 しかし、勇者はなにもしない。

 全てがどうでもよかった。

 今はおのれの名すら、忘れている。

 両親は自分を捨て、勝手に去ってしまった。

 今は生きているのかさえ、分からない。


『汝、本当に勇者か?』


 体の内側から、声がかかる。

 自身に巣食う悪魔――怠惰の罪を冠する不死の鳥だ。

 彼女の呼びかけによって、意識が現実に引き戻される。


「記憶は確かだよ」


 ハッキリと答えた。


『怪しいな』

「なんでそう思うんだよ?」

『汝、恨んではおらぬのだろう? 自身を処刑し、手のひらを返した者共を』


 全ての事情を知った上で、彼はおかしいと、彼女は指摘する。


『本当は勇者ではなく、汝の言う「相棒」ではないか?』

「なおさらおかしいよ」


 青年は首を横に振る。


「あいつなら、僕よりも怒ると思う」


 災厄の元凶を倒すために相棒と旅をした日々は、今でも鮮やかに蘇る。

 だがその感覚は、彼との日々が過去になったことを、示していた。

 しかしながら、郷愁を覚えるほどではない。全ては過ぎ去った後なのだから。


『汝よ、素直に真なる感情を口にしておくものだ。人間味がないと思われるぞ』

「それこそ無駄だよ」


 火の鳥の忠告を、軽く流す。


「自分の本当の気持ちなんて、分からないよ」


 凍てつく夜に処刑されたとき、果たしておのれはなにを思ったのか。

 強いていうなら、なにもなかった。

 なにも得られず、空っぽになったような気分。

 こんな結末で本当によかったのかと思いながらも、どうでもいいと妥協する。

 それが運命なのだと、分かっていたからだ。


「それよりも、だ」

『なにじゃ?』


 言葉に応じる。

 柔らかな女性の声で。


「夢を見たんだ。君のせいだろ?」

『なにゆえにそう思うのじゃ?』


 彼女は露骨に嫌な感情を声ににじませる。


「いや、君って火の鳥だし」

『フン』


 また機嫌を悪くした様子。

 唇を尖らせる姿が、想像できる。


 実際に彼は見たことがある。火の鳥の、人間としての姿を。


 ある日、彼は目的もなく、灼熱の砂漠を歩いていた。

 そこへ美女が姿を現す。

 褐色の肌にシースルーの衣装。踊り子のような格好はセクシーで、エキゾチックでもあった。

 瞳は焔色に輝き、同色の髪はゆらゆらと揺らめいていた。


「よいところに現れたな。汝、妾と共に行く気はないか?」


 突然の物言いに、青年は口を閉ざす。

 一緒に行くとは果たして、なにの意味なのやら。


「その身を妾に引き渡すがいい」


 手を差し出す。


「現在は魂だけの存在でな。肉体を持たぬのじゃ。ゆえに妾は宿主を探していた。おのれと似た気配を持つ者をな」


 彼女の物言いは高圧的ではあったが、どこか切実な思いも秘めているようにも思えた。


「へー。別にいいよ」

「え?」


 軽い調子で答える。

 女は拍子抜けしたように固まった。


「君がそうしたいなら、好きに使えばいいよ」

「存外、あっさりとしているのじゃな」


 唇をへの字に曲げながら、つぶやく。


「よかろう。これより汝は妾の器じゃ」


 女は緋色に塗った唇をつり上げる。

 鋭く尖った牙が覗く。


 かくして青年は火の鳥と契約を結んだ。

 足首には赤い紋章が浮かび、相手はおのれの中に飲み込まれる。

 しかし、どうしたことか、彼はいまだに自我を保ったままでいた。


 変わったことといえば、小鳥がバングルを届けにきたことくらい。

 バングルにはめられた宝石が、点滅したこともある。呼び出しを告げる光だ。

 しかし、無視を続けた。

 以降はそれっきり。

 なにも起こらぬまま、時は流れていった。


 無駄な時間はいつまでも続く。

 今日もクリスは旅と称して、神聖なる森を歩いていた。

 目的はなく、日常も変わらない。

 そう感じたときだった。


 急にどこからか悲鳴が上がる。

 高い少女の声だった。

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