神殺しの勇者は剣を捨てた

白雪花房

序幕

始まる前に終わった物語

狂っているのは彼か、世界か

 その様は極めて、猟奇的だった。


 刃を突き立てた箇所から血が飛び散る。

 男は何度もシスターに斬りかかった。

 その勢いは誰にも止められない。

 教会は赤く染まった。


 修道士の青年はぼうぜんと、立ち尽くす。

 淡い月光が彼の青ざめた顔を照らした。


 ――『その神に喧嘩を売るんだろうが!』


 男の怒号が脳内で反響する。

 喉を切り裂くような叫びを皮切りに、殺戮は始まった。

 最初に斬られた者は、間違いを犯したわけではない。

 正しいことを告げたまでだ。


 ――『やめなさい。今ならば、許される。唯一神も慈悲をくださる。あなたの魂を浄化します。しかし、あなたが悪のままでいるのなら、いずれ地獄へ堕ちましょう』


 恐れずに立ち向かおうとした。

 だが、次の一言――


 ――『さあ、神を信じるのです』


 確固たる意思で放った言葉によって、全てが爆発した。


 男は感情に支配され、思いのままに剣を振るう。

 シスターは散った。赤い花のごとく。


 説得は失敗に終わった。

 彼女をめった刺しにした後は、次の獲物へと目を向ける。

 彼は静かに斬りかかった。

 それは惨劇。この世の地獄としか言いようのない光景。

 暗黒色に包まれた夜、一つの教会が地上から消え去った。


 ***


 酒場の扉が開くと同時に、呼び鈴が鳴った。

 中に客が入ってくる。

 若い青年だった。会うのは実に数年振り。あいも変わらず、やる気がなさそうだ。代わり映えがまるでしない。ただ、妙な装飾が加わっている。手首のバングルと、足首の紋章だ。


 彼はカウンターの席に座る。持っていた斧が、床に転がった。


「どこかで見た刺青だね。火の鳥かい?」

「なに隅々まで見てるんだよ? おばさん、気持ち悪いな」


 青年の苦言に対して、店主の女性は軽やかに笑い返す。


「水」

「酒くらい飲んでいきなよ」

「今日は水の気分なんだ」


 適当に答えつつ、視線を壁へと移す。

 手配書が貼ってあった。前に来たときにはなかったものだ。青年はかすかに目を細めた。


「気になるかい?」


 彼は手配書を凝視している。

 映っているのは、浅黒い肌をした男だ。奇抜な衣装が気になるが、顔立ちは精悍で、戦士の風格が漂っている。

 名はトラウム・エルフリーデ。


「哀れな人だよ。奥さんを亡くして、狂ってしまったんだろうね」

「狂った?」


 青年はグレーの瞳を持ち上げる。


「そうでなければ、死を否定しないよ。彼女はきちんと死ねたんだ。魂は浄化されたはず。それなのに、なぜ悲しむんだい? 喜ぶべきなのにさ。あげく、『この世界は間違っている。新たに作り直さなければならない』だってさ」


 嘆かわしい・愚かしいというように、女性は語る。

 それがこの世界の常識。当たり前の価値観。

 けれども、青年にとっては釈然としなかった。

 悩みこんだ様子で沈黙した後、彼は口を開く。


「知り合いか?」

「よく来ていた。貴族にしては、珍しい」

「貴族、ね」


 グラスをいったん、机に戻す。


「それで、なにをしようとしたんだよ? その人は」


 青年が尋ねると、店主は静かに語りだす。


「七つの大罪を冠する悪魔たちが、いただろう?」


 七つの大罪。

 特徴的な単語を耳に入れて、青年の眉がピクリと動く。グラスを握る手にも、力がこもった。


「まずはあれの封印を解く。それからそいつらの持っている力を結集して、世界を滅ぼすんだとさ」

「いったん更地にするとして、誰が再構築するんだよ?」

「彼は、おのれを指さしたね」


 真剣な顔をして、店主が口を動かす。


「『我が神になればいいのだろう?』とね。あの子、本気なのかね? その気になればあの方の代わりになれると、本当に思ったのかね」


 視線を落とす。

 目にも影が落ちていた。


「あんた、強いのかい?」

「強さにだけは、自信があるよ」

「だったら頼むよ」


 店主は顔を上げる。

 苦々しい表情を浮かべながらも、穏やかな口調で。


「殺してやっておくれ」


 道を外れた者を救うには、殺すしかない。

 慈悲深く、祈りを込めた表情で、店主は求める。


「あの子、まだ夢を見ているんだよ。目を覚まさせてやっておくれ」

「殺してくれ、とはね」


 青年の口元に苦笑がにじんだ。

 やはり、この世界は狂っている。


「頼めるかい?」

「悪いが断るよ」


 即答だった。

 彼は席を立ち、机にコインを置く。


「頼まれたものは請け負わない主義なんだ」


 斧を拾い上げ、冷淡に告げる。

 青年は酒場を出ていった。



 森に入る。

 手配書の男への興味は、失せていた。

 彼はただ自由に生きていたいだけである。なにものにもとらわれず、気まぐれに、フリーダムに。とにかく楽に生きたかった。

 無限の停滞を望む。戦いという名の刺激など、欲していない。


 なお、青年の望みは、あっけなく打ち砕かれた。


「ゲッ」


 顔が歪む。

 視線の先、蒼い影の中から男が近づいてくる。手には剣。刃には血の色。

 彼が手配書の男である。図らずも遭遇してしまった。


「なんだ。せっかくここまで逃げてきたってのによぉ。結局、誰かいやがるじゃねぇか。なんだ? お前も我の理想を否定するってか?」


 闇の中で彼の瞳が爛々らんらんと輝く。やけに澄んだ色をしていた。それが極めて異様で、青年は身をすくめる。

 とはいえ逃げ腰になるほどでもない。落ち着いて言葉を投げかける。


「想いは、悪くはないと思うよ」


 ただし、『理想』という単語を出されると、ムッとしてしまう。

 理想を追い求めても撃沈するだけだ。

 現実だけが全てであり、正義。

 青年は心の内側で男の全てを否定した。


「君の信念は滑稽じゃないけど、無謀だと思う」


 率直に感想を述べる。


「言っておくけど、倫理観はどうでもいいんだ。ただ、常識的な感覚からすると、君の行いは危険すぎる。倒されるべきだ。どうせ僕も殺すんだろうし」

「ああ、そうかい!」


 途端にトラウムは憤慨する。


「いいぜ、やってやろうじゃねぇの」


 右腕を動かし、手のひらを広げる。


「我が魔力に理想の実現を求める。虹色の四角よ、世界を塗り替えろ」


 指の先から四角い物体が出現。それは二人を囲うようにして広がる。

 刹那、枠の外側が消失した。


「仮想空間展開。我が力は強大なり。からの領域にて、我に届く牙はなし。この術をもって、我が正義を証明する」


 つまり、【仮想空間の中では自身は無敵だ。それはおのれが正しいからだ】と、彼は言っている。


 虚言の可能性はあった。

 ためしに斬りかかる。

 一足で距離を詰め、斧を振るう。

 当てた。


 しかし、男は平然と立っている。

 巨大な岩のようにびくともしない。

 彼の体には傷はなく、したり顔で青年を見下ろしていた。


「ああ、ダメだこりゃ」


 投げやりに言い捨てる。


「それじゃあバイバイ」


 あっさりとあきらめ、手を振る。

 そこへ男が迫る。攻撃。剣が青年の肉体をえぐる。

 傷口から派手に血が吹き出した。体から力が抜けていく。目を伏せ、倒れる。どさり。彼は赤く濡れた地面へ落ちた。


 瞬間、仮想空間が崩れる。

 青年の死亡を確認。術式がリセットされた。


「存外、弱ぇじゃねぇか。ガラクタがよ」


 屍を見下ろし、すぐにそらす。

 敗者に用はない。背を向け、立ち去ろうとした。

 まさにそのとき。

 青年の足首――火の鳥の形をした紋章が、ルビー色に輝いた。


 妙な気配がして振り返る。

 同じタイミングで、青年が立ち上がった。


 体は血に濡れている。殺したはずだ。それなのにまだ、息をしている。

 灰色に濁った瞳には、熱がない。光はある。生命力を感じる。それでいて、相手は人形にように直立していた。


 トラウムも棒立ちとなる。驚きのあまり声も出ない。

 彼が突っ立っている間に、青年の肉体は治っていく。

 赤のラインが消えて、肌にはミルク色が戻った。


「なんだ。貴様、何者だ! 化け物め!」


 顔に大粒の汗が浮かぶ。

 にじむ視界。

 動揺で揺らぐ心と体。

 恐怖に駆られながら得体の知れないものに、刃を向ける。

 けれども遅かった。


 攻撃を仕掛けようとしたとき、男はすでに斬られていた。

 斧が肉体を割り、血が飛び散った。青年のときよりも派手に大きく、大地を濡らす。

 トラウムはなにも分からぬまま、地面に転がっていた。目は見開き、恐怖の感情を顔に張り付けたまま。


「悪いな」


 言葉をかける。

 無感情な声だった。


「僕、怠惰なんだよ」

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