神殺しの勇者は剣を捨てた(4章まで)
白雪花房
序幕
始まる前に終わった物語
狂っているのは彼か、世界か
その様は極めて、猟奇的だった。
刃を突き立てた箇所から血が飛び散る。
男は何度もシスターに斬りかかった。
その勢いは誰にも止められない。
教会は赤く染まった。
修道士の青年はぼうぜんと、立ち尽くす。
淡い月光が彼の青ざめた顔を照らした。
――『その神に喧嘩を売るんだろうが!』
男の怒号が脳内で反響する。
喉を切り裂くような叫びを皮切りに、殺戮は始まった。
最初に斬られた者は、間違いを犯したわけではない。
正しいことを告げたまでだ。
――『やめなさい。今ならば、許される。唯一神も慈悲をくださる。あなたの魂を浄化します。しかし、あなたが悪のままでいるのなら、いずれ地獄へ堕ちましょう』
恐れずに立ち向かおうとした。
だが、次の一言――
――『さあ、神を信じるのです』
確固たる意思で放った言葉によって、全てが爆発した。
男は感情に支配され、思いのままに剣を振るう。
シスターは散った。赤い花のごとく。
説得は失敗に終わった。
彼女をめった刺しにした後は、次の獲物へと目を向ける。
彼は静かに斬りかかった。
それは惨劇。この世の地獄としか言いようのない光景。
暗黒色に包まれた夜、一つの教会が地上から消え去った。
***
酒場の扉が開くと同時に、呼び鈴が鳴った。
中に客が入ってくる。
若い青年だった。会うのは実に数年振り。あいも変わらず、やる気がなさそうだ。代わり映えがまるでしない。ただ、妙な装飾が加わっている。手首のバングルと、足首の紋章だ。
彼はカウンターの席に座る。持っていた斧が、床に転がった。
「どこかで見た刺青だね。火の鳥かい?」
「なに隅々まで見てるんだよ? おばさん、気持ち悪いな」
青年の苦言に対して、店主の女性は軽やかに笑い返す。
「水」
「酒くらい飲んでいきなよ」
「今日は水の気分なんだ」
適当に答えつつ、視線を壁へと移す。
手配書が貼ってあった。前に来たときにはなかったものだ。青年はかすかに目を細めた。
「気になるかい?」
彼は手配書を凝視している。
映っているのは、浅黒い肌をした男だ。奇抜な衣装が気になるが、顔立ちは精悍で、戦士の風格が漂っている。
名はトラウム・エルフリーデ。
「哀れな人だよ。奥さんを亡くして、狂ってしまったんだろうね」
「狂った?」
青年はグレーの瞳を持ち上げる。
「そうでなければ、死を否定しないよ。彼女はきちんと死ねたんだ。魂は浄化されたはず。それなのに、なぜ悲しむんだい? 喜ぶべきなのにさ。あげく、『この世界は間違っている。新たに作り直さなければならない』だってさ」
嘆かわしい・愚かしいというように、女性は語る。
それがこの世界の常識。当たり前の価値観。
けれども、青年にとっては釈然としなかった。
悩みこんだ様子で沈黙した後、彼は口を開く。
「知り合いか?」
「よく来ていた。貴族にしては、珍しい」
「貴族、ね」
グラスをいったん、机に戻す。
「それで、なにをしようとしたんだよ? その人は」
青年が尋ねると、店主は静かに語りだす。
「七つの大罪を冠する悪魔たちが、いただろう?」
七つの大罪。
特徴的な単語を耳に入れて、青年の眉がピクリと動く。グラスを握る手にも、力がこもった。
「まずはあれの封印を解く。それからそいつらの持っている力を結集して、世界を滅ぼすんだとさ」
「いったん更地にするとして、誰が再構築するんだよ?」
「彼は、おのれを指さしたね」
真剣な顔をして、店主が口を動かす。
「『我が神になればいいのだろう?』とね。あの子、本気なのかね? その気になればあの方の代わりになれると、本当に思ったのかね」
視線を落とす。
目にも影が落ちていた。
「あんた、強いのかい?」
「強さにだけは、自信があるよ」
「だったら頼むよ」
店主は顔を上げる。
苦々しい表情を浮かべながらも、穏やかな口調で。
「殺してやっておくれ」
道を外れた者を救うには、殺すしかない。
慈悲深く、祈りを込めた表情で、店主は求める。
「あの子、まだ夢を見ているんだよ。目を覚まさせてやっておくれ」
「殺してくれ、とはね」
青年の口元に苦笑がにじんだ。
やはり、この世界は狂っている。
「頼めるかい?」
「悪いが断るよ」
即答だった。
彼は席を立ち、机にコインを置く。
「頼まれたものは請け負わない主義なんだ」
斧を拾い上げ、冷淡に告げる。
青年は酒場を出ていった。
森に入る。
手配書の男への興味は、失せていた。
彼はただ自由に生きていたいだけである。なにものにもとらわれず、気まぐれに、フリーダムに。とにかく楽に生きたかった。
無限の停滞を望む。戦いという名の刺激など、欲していない。
なお、青年の望みは、あっけなく打ち砕かれた。
「ゲッ」
顔が歪む。
視線の先、蒼い影の中から男が近づいてくる。手には剣。刃には血の色。
彼が手配書の男である。図らずも遭遇してしまった。
「なんだ。せっかくここまで逃げてきたってのによぉ。結局、誰かいやがるじゃねぇか。なんだ? お前も我の理想を否定するってか?」
闇の中で彼の瞳が
とはいえ逃げ腰になるほどでもない。落ち着いて言葉を投げかける。
「想いは、悪くはないと思うよ」
ただし、『理想』という単語を出されると、ムッとしてしまう。
理想を追い求めても撃沈するだけだ。
現実だけが全てであり、正義。
青年は心の内側で男の全てを否定した。
「君の信念は滑稽じゃないけど、無謀だと思う」
率直に感想を述べる。
「言っておくけど、倫理観はどうでもいいんだ。ただ、常識的な感覚からすると、君の行いは危険すぎる。倒されるべきだ。どうせ僕も殺すんだろうし」
「ああ、そうかい!」
途端にトラウムは憤慨する。
「いいぜ、やってやろうじゃねぇの」
右腕を動かし、手のひらを広げる。
「我が魔力に理想の実現を求める。虹色の四角よ、世界を塗り替えろ」
指の先から四角い物体が出現。それは二人を囲うようにして広がる。
刹那、枠の外側が消失した。
「仮想空間展開。我が力は強大なり。
つまり、【仮想空間の中では自身は無敵だ。それはおのれが正しいからだ】と、彼は言っている。
虚言の可能性はあった。
ためしに斬りかかる。
一足で距離を詰め、斧を振るう。
当てた。
しかし、男は平然と立っている。
巨大な岩のようにびくともしない。
彼の体には傷はなく、したり顔で青年を見下ろしていた。
「ああ、ダメだこりゃ」
投げやりに言い捨てる。
「それじゃあバイバイ」
あっさりとあきらめ、手を振る。
そこへ男が迫る。攻撃。剣が青年の肉体をえぐる。
傷口から派手に血が吹き出した。体から力が抜けていく。目を伏せ、倒れる。どさり。彼は赤く濡れた地面へ落ちた。
瞬間、仮想空間が崩れる。
青年の死亡を確認。術式がリセットされた。
「存外、弱ぇじゃねぇか。ガラクタがよ」
屍を見下ろし、すぐにそらす。
敗者に用はない。背を向け、立ち去ろうとした。
まさにそのとき。
青年の足首――火の鳥の形をした紋章が、ルビー色に輝いた。
妙な気配がして振り返る。
同じタイミングで、青年が立ち上がった。
体は血に濡れている。殺したはずだ。それなのにまだ、息をしている。
灰色に濁った瞳には、熱がない。光はある。生命力を感じる。それでいて、相手は人形にように直立していた。
トラウムも棒立ちとなる。驚きのあまり声も出ない。
彼が突っ立っている間に、青年の肉体は治っていく。
赤のラインが消えて、肌にはミルク色が戻った。
「なんだ。貴様、何者だ! 化け物め!」
顔に大粒の汗が浮かぶ。
にじむ視界。
動揺で揺らぐ心と体。
恐怖に駆られながら得体の知れないものに、刃を向ける。
けれども遅かった。
攻撃を仕掛けようとしたとき、男はすでに斬られていた。
斧が肉体を割り、血が飛び散った。青年のときよりも派手に大きく、大地を濡らす。
トラウムはなにも分からぬまま、地面に転がっていた。目は見開き、恐怖の感情を顔に張り付けたまま。
「悪いな」
言葉をかける。
無感情な声だった。
「僕、怠惰なんだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます