October 珈琲は月の下で
少しどころかかなり冷たくなった風がカーテンを揺らす午後10時半。もっと幼い頃なら寝る時間だったのだが,今や勉強の時間となっている。机に書き込みのある問題集や式に筆算,文字が踊るノートを並べて,今はその上にシャーペンが放り出されている。眠るのを防ぐために飲んでいる砂糖入りのコーヒーを片手に明日の提出課題の残りを数えれば,大分減っていたので日付が変わる前には寝ることができるだろう。
コーヒーを一口飲んで,シャーペンを持ち直す。まさに問題を解こうとしたそのとき,静かだった部屋に控え目に着信音が鳴り響いた。音の発生源に目を向ければ,机の隣に置いてあった高さのない本棚の上でスマホがわずかに振動している。ディスプレイが見知った名前を表示しているのを見て,やる気の邪魔されたような気がした俺は,いつもより低い声で電話に出た。
「もしもし。」
「もしもし?
スマホから届く声は,いつもとはほんの少し違って聞こえる。どこ?と端的に返せば,かさかさと紙が擦れる音がして程なく少し前に解き終わったばかりの問題とそれより前のページに記された数問の問題番号が告げられた。
「結構な量やな。」
ぼそっと呟けば,
「ごめんやん。頑張ってんけど,解けへんかったん。」
と言い訳が返ってきたので聞かなかったことにした。
「ありがとう!これでやっと終われる。」
声だけでの説明は難しくお互いの手元を映した画面にはたくさんの式と文字が整然と並んでいる。時計の長針が最初の電話から一周回ろうとしているのを見て,もうこんな時間なのかと気づいた。
「よかったわ。これで終わりなん?」
そう聞けば,あともうちょい。と眠そうな声が返ってくる。「ふーん」なんて適当に言いながら目の前のカップを手に持つ。教えている間にも少しずつ進めた課題はもうあと一息で終わりそうだ。スマホから聞こえる眠そうな声に影響されないよう,コーヒーを一口飲む。そんな小さな音に気がついたのか,「なんか飲んでんの?」という声と共に画面から手が消える。
「コーヒー飲んでる。」
そういいながら画面にカップを映せば,向こう側からはなんとも頓珍漢な答えが返ってきた。
「あっ,月出てるやん!」
「飲みもんの話やなかったん?」
そう問えば,コーヒー飲んでんねやろ?と言われたため,わりとちゃんと聞いていたらしい。
「寒いから窓締めに行ったら見つけたし。報告しよって。」
カーテンの隙間から見た月は確かに雲がかかっていない,丸い月だった。
「今日満月やっけ?」
「ううん。昨日。でもほぼ満月ちゃう?」
と,公式は覚えていないくせに月齢は覚えていたらしい相手は,淀みなく答えた。
「それ覚える脳で,公式覚えたら?」
「いや,ちょっと無理あるかな?あっ,コーヒー飲んでんねやろ?ブラック?」
露骨に話題を変えてくるのに,少し笑いながら,「砂糖入ってるけど。」と答えておく。
「砂糖だけ?フレッシュ使わんの?大人やな。うん。」
1人で納得している電話相手にまた少し笑いながら,コーヒーを一口飲む。カップの残りもあとわずかだ。
「課題のこってんねやろ?」
「うん。ありがとうな,夜遅まで付き会うてもらって。おやすみ。」
「おやすみ。」
そう返せば画面から一冊ノートが消える。
通話が終了したことを確認し,スリープモードにする。
今度こそ。そう意気込みまたシャーペンを目の前のノートに走らせた。
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