第九話 悪魔の宮廷
アゼルスタン王国 王都ウィンザー 第三王立劇場
「国民の皆さん! 国際情勢はまたも混乱へと突き進んでいます。我が国に火の粉が降りかかる事すら想定せねばなりません。このことを念頭に置いた上で私の話を聞いて頂きたい」
ホールに集まった数百人とラジオの向こうにいるであろう数百万人に向かって、ウィリアム・ハルベス護国卿がそう切り出す。
国王の名の下にアゼルスタン王国の文武百官を率いるこの男は、演説の巧みさで知られていた。
「国家の守護とは、決して一人の英雄によって成しうるものではありません。過分にも護国卿に任じられている私ですが、国防における功績というのは実のところ微々たるものです」
まず彼は見た目にこだわった。
髪をオールバックでまとめ、よく整えられた立派な口髭と顎髭をたくわえ、最高級の衣服を完璧に着こなす。
それに公爵家の三男坊として身につけた気品と、二枚目俳優として劇場と社交界を賑わせた端麗な容姿が加われば、姿を現すだけで嬌声に包まれる護国卿閣下の完成である。
「では国を護りうるのは誰か? それはあなた方国民に他なりません! 国家は国民によって護られているのです。国民が国家を護ろうと思い、願い、行動して初めて、国家は国家の体裁を成して荒波に揺れる国際社会にて地面を踏み立つことができるのです! 確かに一人一人の力は微々たるものかもしれません。しかし決して無力ではない。思いだしてください、我々はそうして先の戦争を戦い抜いたではありませんか!」
そして見せ方にもこだわった。彼の講演には専属の演出家が同行し、事前に照明の当て方だの備品の配置だの録音用のマイクの位置だのといったことを細かに調整する。
それに加えて会場によっては舞台装置を活用して演劇さながらのパフォーマンスを行うことすらあった
「近い将来、再び皆さんの力が必要とされるでしょう。決して注意を怠らないでください、そして国難が我らを襲った際には、どうか力を貸してください。輝ける王国を護る為に!」
「輝ける王国を護る為に!」
「輝ける王国の為に!」
「輝ける王国を護る為に!」
最高潮に達した客席を舞台袖から冷めた目で眺める少年がいる。
彼こそ護国卿首席補佐官にしてアゼルスタン王国の異界人、エイイチ・カザンインである。
ハルベス護国卿の忠実で有能な片腕として世間に認識されている彼だが、その実護国卿に代わって実務を取り仕切っていることを知っているのは政権中枢にいる者だけだ。
つまるところ、ハルベス護国卿というのは城や教会の屋根にくっついているオブジェと同じで、見栄え以上の存在意義のない存在なのだ。
しかしながら国の頂点に立つにあたって、見栄えというのは非常に重要であり、人心を繋ぎとめるにはこれ以上ない逸材であると言えた。
自身には求心力がないことを理解していたエイイチ少年が、俳優上がりの壮年の色男を傀儡に選んだのはつまりそういうわけである。
「首席補佐、報告が……」
一人の秘書が駆け寄り首席補佐官に何やら耳打ちする。
「わかりましたすぐ向かいます。次席補佐、後は頼みます」
共に舞台袖で控えていたジェームズ・キャメロン次席補佐官に後を託し、首席補佐官はいずこかへ去って行った。
ウィンザー 情報院特別会議室
「ご苦労様です」
上座に着いた少年に四人の背広を着た男達が一礼をする。
「大まかな話は聞きました。開戦は確実ですね?」
「はい。こちらの資料をご覧下さい。陸軍の北部方面の部隊への指示書の写しです」
「ふーむ、なるほど……外務卿は?」
「外務院の方の指揮に当たっています」
「了解しました」
「どうしましょうか? またプロシアにリークしますか?」
「いえ、今回は大丈夫です。プロシアとて備えはしてあるでしょう。一突きで崩されるようなことはないはずです。痛い目を見たばかりですしね」
情報院特別会議室、又の名を悪魔の宮廷。
アゼルスタンの行政機関は、内務、財務、軍務、交通、外務、衛生、産業、司法、科学の九つの院から成る。少なくとも表向きはそういうことになっている。
他の六ヵ国同様、異界人エイイチ・カザンインから得た技術により発展を遂げたかに見えるアゼルスタンだったが、実は一気に苦しい立場に追い込まれていた。
確かに進んだ技術を得はしたものの、進んでいるのはあくまでこの世界を基準とした時の話。技術の毛色が違いすぎるラティウムはまあ置いておいても、他の五ヵ国が得た技術に比べアゼルスタンの得た技術はかなり遅れたものだった。
各国が電気式やディーゼル式の鉄道を導入した中、アゼルスタンの地を走っているのは煙突から煙を噴き上げる蒸気機関車であるし、各国がこぞって飛行機を飛ばすのを尻目に、アゼルスタンは飛行船を飛ばしている。
そんなアゼルスタンが活路を見出したのは諜報と外交の道であった。
政府はすぐさま外交院の大幅拡充を実行。そしてそれと並行して諜報を職務とする第十の院が極秘裏に設立された。
それが情報院である。
そんな存在自体が機密事項である情報院だが、この特別会議室へ出入りできる人間は七名のみ。
オブザーバー扱いである護国卿ウィリアム・ハルベスと外務卿トマス・ハーパーの二名の他、情報院四部署の局長である、公開情報局局長ショーン・デイビス、対人情報局局長オスカー・サフォーク、防護情報局局長パーシー・モルドレッド、技術情報局局長スティーブ・ペンドワンの四名で、最後の一人が情報卿エイイチ・カザンインであった。
彼の裏の顔は護国卿に代わり実務を取り仕切っていることだけでは無い。大陸一と謳われるアゼルスタンの諜報網を束ねる情報卿。
それが彼の二つ目の裏の顔だ。
しかし今、情報院への風当たりが強くなりつつあった。
その理由は先のプロシアとの戦争にあった。
情報院と双璧を成していた外務院は、戦争への参戦を口実にレジオンから技術支援を引き出し、更に技術不足を口実に正面戦力のほとんどをレジオン軍に担わせることに成功。その上戦況が不利になるや否やアゼルスタンにおけるプロシア企業の僅かな優遇を条件に早々単独講和を成功させる大戦果を上げた。
一方の情報院はと言うと大失態を犯していた。
およそ半年前の三月十四日、レジオンとアゼルスタンの名ばかりの連合軍は、冬季ながらも堅実な進撃を続けプロシア帝都ゲルスブルクまで約三百キロの地点に到達していた。
春になったのを機にここで一気に勝負を付けようとしたレジオン軍は「イタップ攻勢」を立案。敵首都まで四十五キロの地点まで一気に進出し趨勢を決しようとした。
ここで焦ったのがアゼルスタンだった。戦争が終わればレジオンからの技術支援を打ち切られる可能性が十分に考えられる。
アゼルスタンからすればこの攻勢は失敗して、戦争が長期化する方が都合がよかった。
そこで攻勢の情報をプロシア側にリークしたのだが、これが失敗だった。
プロシア軍はこの情報を元に乾坤一擲を期した一世一代の大博打に打って出たのだ。
レジオン軍の総攻撃開始の五分前、プロシア軍が一斉砲撃を開始、それと同時に機甲師団が一気呵成に突入。更に戦線後方への上陸展開を狙う海兵隊が海軍大洋艦隊と共に進発。戦史に残る大反攻作戦、「ヘレナ・プラン」の火蓋が切って落とされた。
そして結果レジオン軍は完全に瓦解。だがアゼルスタンは外務院が後始末に成功した為、結果だけ見れば実質勝ち寄りの引き分けと言える結果となった。
しかし当然情報院のメンツは丸つぶれである。
その上、友好関係にあったレジオンとの仲が一気悪化。今やプロシア以上に憎まれている節すらあり、外務院からは未だに恨み言を言われる。
イタップ攻勢の情報をアゼルスタンがリークしたというのが敵にも味方にもバレていないのが不幸中の幸いと言えよう。
それが公になれば、タダでさえ毎日のように罵詈雑言を浴びせられているパルスのアゼルスタン大使館がどうなるかは想像に難くない。
その再建費用と始末書の処分は情報院に回されたこともまた容易に想像がつく。
決して情報院に実力が無いわけではない。それは外務院も認めるところだし、悪魔などと称されているのもその証左だ。
名誉挽回に燃える悪魔達は渦巻く戦渦に口角をつり上げた。
本日も全戦線に異常なし 竹槍 @takeyari
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