第八話 とある復興大臣の戦争

 レジオン王国首都パレス 首相官邸地下壕 執務室

「プロシア西方軍集団……特別区より北東十キロの地点で進撃を停止しました……」

「…………わかりました」

 執務机の奥、高官達に囲まれるようにして、まだ少女と言ってもよい年頃の女性が座っていた。


 普段は上品ながらも快活な印象の美女なのだが、連日連夜の壮絶なストレスと激務によって、死体と言っても違和感が無いほどに憔悴している状態ではその面影は無かった。


「あの……首相、どうか気を強く……」

「何を言ってるの? そこまでやる必要ないでしょ」

 首相補佐官のボルドーの言葉に若き首相は噛み付くように応じる。



「だってこれは全部夢なんでしょ。そう、全部夢! そうじゃなかったらドッキリだよドッキリ。奇襲で前線が大混乱したのも、その隙を突いて後方に強襲上陸されたのも、出撃した北方艦隊が対艦ロケットで叩き沈められたのも、上陸阻止を試みた沿岸遊撃軍が八十センチ砲でほぼ壊滅したのも、その時の航空戦の損害比が十対一だったのも、上陸部隊と前線の部隊に挟まれた陸軍の主力が抵抗もままならないまま投降したのも、それを見たアゼルスタンがとっとと単独講和したのも、陛下の退位とハルギタニアの割譲を条件に降伏せざるを得なかったのも、全部、全部夢だよ! なんで! なんで誰も夢だって言ってくれないの! 幻に過ぎないって! ねえ!」


 普段の礼儀正しい態度からは到底信じられない幼児さながらの駄々に高官達は言葉が出ない。


「……すみません。取り乱しました。身支度をしてきます」

 すぐにいつもの調子を取り戻し、力なく立ち上がって部屋を出て行く首相を、皆押し黙って見つめていた。




「う……ん? ああ、夢か……」

 腹痛にしばし顔をしかめ、目を開けると、そこは自室のベッドの中だった。


「ご主人様? 大丈夫ですか?」

「ええ大丈夫。心配しないでください」

 腹を押さえながら寝室を出てきた主人の体調を案じて声をかける使用人にそう答え、着替えるよりも早くキッチンに向かう。


「寝る前にあんなの見たのがいけなかったかな……」

 独り言を呟きながら戸棚の一角のやや奥まったところのしまってあった錠剤ケースを引っ張り出し、一番右に入れた錠剤を二錠ひっつまむや口に放り込み、そのまま水を流し込んだ。


 それが、リツエ・オキタ復興大臣の、胃痛と共に目覚めた朝のルーチンワークであった。



 昨夜就寝直前に、アウグスティヌス沖海戦の映像を使用したアドリア海軍のプロパガンダを見てしまったのがいけなかった。

 沿岸近くで航空戦力に蹂躙される海上戦力というシチュエーションがダブったせいもあってか、プロシア戦時の北方艦隊の惨事が脳裏から離れず、そのままの状態で就寝した結果、あの屈辱的な降伏文書に調印しに行く時の夢まで見ることになってしまった。


 あれから半年。一度は治した胃潰瘍を再発させている暇などない。



 そのことは彼女自身がよく理解していた。が受けた仕打ちを思えば、忌まわしい文書に調印したことなどなんでもないことくらい。


 先の戦争での講和の条件は大きく五つあった。賠償金の支払い、係争地であるハルギタニア(プロシア名ファルゲラント)の割譲、パルス以北へのプロシア軍の一時駐留、首相始めとする一部高官の不定期の公職追放、そして国王の退位であった。



 もともと穏健派寄りで、国民からの衰えない人気こそあるものの、一人では脅威にならないと判断されたリツエは、早々に公職追放を解かれ復興相に返り咲いたが、彼は違った。


 敬うべき主君であり、志を同じくする同志であり、共に内戦の危機を乗り越えた戦友であり、何かにつけて世話を焼いてくれた兄であり、あのようになりたいと思う憧れの人であった彼。


 絶対王政の頂点にいながら誰よりもその歪みを理解していた彼、リツエを庇い貴族からの中傷まがいの批判を一身に受けていた彼、計画が失敗しようと文句一つ言わず根気強く待っていてくれた彼、武装蜂起寸前だった革命派との交渉に供も付けず身一つで乗り込んでいった彼、パルスにプロシア軍の攻撃の手が及び、王族だけでも南方へ避難をという打診を受けた際に兵士ばかりか大臣達より先に逃げられるかと突っぱねた彼。


 リツエと大差ない若年ながらも的確な洞察力と時に発揮される大胆さ、そして王にふさわしい大器でもってレジオン王国を纏め上げ、率いてきた国王モーリス七世は、退位を強制されたばかりでなく終戦から半年経った今なおプロシア軍監視下での軟禁状態にあった。


 そのカリスマ性を危険視したプロシア軍によって、僅か二歳で即位させられた息子や太后として国を繋ぎとめようとしている妻にすら会えず、北の古城に閉じ込められている。



 確かにリツエは穏健派で戦争にも積極的ではなかった。だが、民意を受け「勝てる」と判断して、最終的に開戦の判断を下したのは他ならぬ彼女であった。


 彼女の甘い見通しがこのような事態を招いたと言われても反論のしようがない状況だ。



 今、大陸全土が大きく揺れている。リツエが自身の不始末を付けるのは今をおいて他に無いのだ。


 若き復興相の戦争はまだ終わっていない。

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