終章

「何でおまえ生きてるのメリルローズ」


 メルが地下に潜った後で何やらいろいろあったらしく、肩から上を真っ赤に染めたエリアルは、アンバーに支えられて泉にやってくるなり横柄な態度でそう尋ねた。


 ユニの指パッチンにより強制的に泉の淵に送還され、半ば放心状態だった一同は、その一言で弾かれたようにメルを見つめた。


「……ええと……なんでだ? シア様」


 よくわからないけどユニにちゅーされただけで解放されました、とは言いたくないメルは、具体的な解説をシアに求める。唯一落ち着き払っていたシアは、まあつまり、と肩を竦めて両手を空に向けながら言った。


「君らは全員、騙されていたってことさ。先祖にね」

「……先祖?」


 きょとんとアリスは呟く。見渡した全員が同じような顔をしているのを確認してから、シアは滔々と語り始めた。


「つまりさ、ユニが食うのは、人間の〝命〟じゃない。〝命を賭してもいいという覚悟〟のみなんだ」

「はい、意味がわかりません! だったら最初からそう言えばいいじゃん! ドッキリ趣向なの!? 悪趣味!!」

「はい、いい質問だね、スノウ君。まあ、ユニが悪趣味なのはそうなんだけど、それ以前にね。構造的欠陥とでも言おうか……必要なのは〝覚悟〟だけでも、その〝覚悟〟を得るにはやっぱり、本当に命を賭けるという状況が必要なのさ」


 元気に手を上げたスノウの質問に、シアは淀みなく答える。

 胡坐をかいた膝に肘をついて頭を支えたエリアルは、なるほど、と疲れたように呟いた。


「だから『|神に所望された娘(サクリファイス)』なんて物々しい呼び名の生贄を要求する、なんて伝承が伝えられてるのか。……その情報の監督はシア殿、あんたがしてるってことか?」

「そういうこと。ちょこちょこ記録を改ざんしたり、当事者たちの記憶をちょっといじったりしながらね。ユニが食事をするのは数十年に一度のことだし、まあ、不完全ながら何とかなってるよ、今のところ」

「つまり我々は……というか、主にアリス様とメル様は、偏食な神に振り回されただけ、ということか。……はた迷惑な神もいたものだな」

「ちょっとそこに俺も入れといてくれネイプルス。すげえ脱力感半端ねえわ、これ」


 珍しく本当に疲れたように顔を伏せたエリアルに、シアは弁解するように言った。


「たしかにユニの〝食事〟は面倒だけど、実際に命を食らう神もいるし、人の悪意なんてのを糧にする神だっている。ああ、髪の毛を食うってのもいたな、辺境に」

「かっ髪の毛!? おそろしい!!」


 がばりと頭を押さえるアンバーをエリアルが殴る。それに笑ってから、シアは続けた。


「ま、そんなわけでね。ユニだって好き好んで面倒な食事を好むわけじゃない。神だって世界に作られた不完全な生き物なんだ。大目に見てやってくれよ」


 何となく円座になっている一同を見渡して言うシアに、うん、と頷いたアリスは、ふと思い当たったようにシアを見つめて言った。


「なあ、アルテミシア」

「なんだい?」

「うん。あのな、アルテミシア」

「だから何さ」

「……そうか。やっぱりシアは『アルテミシア』なんだな」

「……!」

 驚いたように、シアはユニの眷属の証なのだろう、金色の目を瞠る。

「アルテミシアって……誰ですか? それ」

「メルも〝記録〟は読んだんだろう? ユニに命を――いや、〝命を捧げる覚悟〟を捧げた最初の一人、フォルベインの始祖。それがアルテミシアだよ」

「………………ええ!? ってことはこのガキご先祖様なんですか!? ていうか女だったんだ!?」

「……最後の一言は余計じゃないかな、メル」


 はあ、と息を吐いたシアは、皆が続く言葉を待っていることを察すると、面倒そうに説明を加えた。


「ざっくりした建国史くらいは知ってるだろ? 僕が生まれた三百年前には、この辺りの土地の先代の神は死んでいて、大地は乾いて荒れ果てていた。そんな中でやっとユニが生まれた。ユニはまあ、今回と同じく、言ったわけだ。――我に命を捧げる覚悟はあるか、とね」


 そこでシアは苦笑じみた表情を作った。遠い昔のことだろうに、今でもなお苦々しく思っているらしい。


「僕には姉が一人居てね。体が弱くていつも臥せっていた。父は迷わなかったよ。ユニの声を聞いたのは僕だったのに、役立たずの姉をユニの元へ送ると言った。誰も反対しなかった。姉すらもね。僕は全員に腹が立った。生贄を許容する家族にも、要求する神にも。だから、刺し違えてでも神に一発食らわせてやるって思って〈|神へ至る階(ロードステイル)〉を下ったんだ。そしたら」

「――そしたら?」

「……キスされた」

「は?」


 蚊の鳴くような声でぼそりと言い、シアは顔伏せた。フードから覗く頬は老獪な魔法使いに不似合いに、小娘のように赤い。


「だから、キスだよ、キス。メルもされただろう。ユニはああやって〝食事〟をするんだよ」

「キ……キス? ユニはたしか男神で」

「それはいいそれ以上何も言うな言わないでくれネイプルス」


 青い顔で懇願するメルに、ネイプルスは何かを察したように沈黙した。


「それで、キスされてどうしたんだ? シアは。覚悟を食われたって、無事なわけだろう、体は。どうしてユニの眷属になったんだ?」

「……だから……その、初めてだったし……責任を取らせようと」

「せきにん……」


 ぽけっと繰り返すアリスの隣で、つまり、とシェンナが唇に手を当ててまとめる。


「シア様はユニにキスをされてうっかり恋をしてしまったと――そういうことですか?」

「う、うわぁあああぁ!! はっきり言うな!!」


 まるっきりただの小娘のようになった元老獪な魔法使いに、今度はメルが質問を投げた。


「シア様とユニの馴れ初めはわかりましたけど……じゃあ、どうしてシア様は俺を女にしたんですか? エリアル様は見事にご先祖にハメられてたんでわかりますけど、シア様は、ユニの食事が命に関わらないことを知ってたんですよね? なのにどうしてアリスじゃなくて、手間暇かけてユニに逆らってまで、俺を行かせたんですか?」


 もっともなメルの疑問に、シアは今までで一番もごもごと口ごもった後、ぽつりと言った。


「だって……好みだって、言ったから」

「……はい?」

「だから、ユニがアリスを〈水鏡〉で見て、めちゃくちゃ好みだって言ったんだ!! 僕が何年も何十年も何百年もアプローチしてるのに外見年齢十六歳未満は興味ないってぜんっぜん見向きもしないくせに!! だから……っ」

「……だから男である俺を身代わりに立てた、と」

「はた迷惑な話ですわね……」

「あなたに言う資格がありますか、オペラ」


 冷ややかな反応に、シアはやけになったように早口で続ける。


「だ、だってユニが本気でアリスに惚れたら困るじゃないか、アリスは良い子だしさ! それに、アリスだって僕みたいにユニを好きになるかもしれないし」

「いや、私は強姦魔に恋をするほど悪趣味じゃないよ、シア」

「男はちょっと強引なくらいのほうがいいだろ!? ていうか自国の神を強姦魔よばわりかいこの姫は! ひどいな!」


 その言葉を最後に、泉ににわかに沈黙が落ちた。


 各々が、胸に抱いた感情をなんと表現すべきが戸惑う中で、一番にそれを言葉にしたのはシェンナだった。


「……下らない。では、私は明日も仕事がありますので戻らせていただきますね。行きますよ、オペラ。特別に今夜は〈神宮殿サンクチュアリ〉に泊めて差し上げますから」

「ちょ、ちょっと引っ張らないでちょうだい!」

「明日は早朝稽古があったな。今からで何時間眠れるかはわからないが」

「いくら若くても徹夜はきついっすからねー。は~なんか全身が痛いや、何でかなぁー」

「じゃあ私たちも戻りましょうかー、エリアル様。早くちゃんと手当てしないと」

「後でいい。先行っとけ、アンバー」


 瞬時に目覚めたように、ばらばらと〈神宮殿サンクチュアリ〉を後にする背中をぼんやり見送る。


 メルとアリス、エリアルとシアだけが残されしんとした泉で、次に口を開いたのはシアだった。


「……まあ、とにかくおめでとう。これで君たちの未来は君たちのものさ。じゃあ、僕は片付けあるから戻るね。またそのうち遊びに来るよ。じゃあね」


 言い残し、泉にぴちゃりと触れたシアは、そのまま波紋だけを残して消えた。

 それを見届けてから、エリアルはふうと肩を落とし目を閉じて、呟くように言った。


「一発くらいなら殴らせてやるぜ、メリルローズ」

「……は?」


 唐突な言葉にエリアルを見るが、消沈したように下を向いた彼とは視線がかみ合わない。

 俯いたまま、彼は続けた。


「シア殿は違ったみたいだが、俺だけは本気でお前を殺すつもりだった。言い訳はしねぇけど、悪いと思ってないこともないこともないかもしれない」

「どっちですかそれ」

「悪かったよ」


 チンピラらしからぬ謝罪に戸惑って眉を寄せたメルは、傍らのアリスが困ったようにエリアルと自分を見比べているのに気付き、ええと、と頭をかいて息をついた。


「……いいですよ、もう。そんな血まみれの人殴ったってアリスに嫌われるだけですから。貸しにしときます」

「明日になったら忘れるけど、それでも?」

「はいはい。いいですよ、それで」

「……生意気だな、メリルローズ。まあいいや、ありがとな。あと、調子こいてアリスに手ェ出したらしばくからな」


 よろよろと立ち上がったエリアルは、メルの頭を乱暴に一度かきまぜてから、やはりよろよろと蛇行する足取りで上階へ去った。




 最後には、二人だけが残った。

 騒がしかった後の沈黙は一際静かに感じられる。


 しばらくの間、微かな水音にじっと耳を澄ませていたが、ふと目の前のアリスが小さく息をもらして笑んだのを見て、メルは首を傾げる。


「どうしました、アリ――……?」


 肩掛けをぱさりと被せられ、首を傾げると、アリスはええと、と困ったような顔でメルの顔の下を見た。


「――……うっわあ」


 追って視線を下げたメルは、自分が女物のドレスを着たままなことに今更気付き、自分で引いた。


「……なんだか、俺、最後までとことん格好つかなかったですね」

「そうかな? 格好よかったよ」


 泣きそうな気持ちでうな垂れれば、よいしょと隣に移動したアリスは、とん、とメルの肩にもたれて、えへへと照れたように笑った。


「メルは格好いいよ。さすが私の騎士さまだ」

「……お褒めにあずかり光栄です、姫君」


 ふっと笑って手を差し出すと、アリスは何も聞かずに指を乗せてくれた。

 細い指先にキスを落とすと、もう一度、照れたように笑う気配がある。


「……ねえ、メル。何だか思いがけないところに落ち着いたけど。……それでも君は、これからも、私の奥さんでいてくれるのかな?」

「え……?」

「それとも、傍にいてくれるというのは……そういう意味ではないのかな……?」


 不安そうにメルを見上げる、深い青の大きな瞳に、メルの鼓動はどくんと跳ねた。


「……まいったな」

「メル?」


 思わず呟けば、アリスはますます不安そうに大きな瞳を近づけてくる。


(――ああもう、かわいいな、くそ!)


 主君に恋をするだなんて、完全に父と同じ轍を踏んでいる。

 けれど、こちらを見つめる瞳には、もう嘘はつけそうになかった。

 観念して、後ろから強くアリスを抱き締める。驚いて振り向く唇に、そっと、掠めるようにキスをしてから、赤く染まった耳元に小さく告げた。


「俺はこれからもずっとあなたの妻ですよ、姫君」


 緩んだ青い瞳に向かい合い、もう一度唇を合わせようと顔を寄せた、その時だった。


 ――視界が、上下にぶれる。


「……うわああぁあああ!? な、ななな、なんで!?」

「半分……って……こういう意味だったのか、ユニ……」


 再び体に合うようになってしまったドレスの中を覗きこみながら叫ぶメルに反して、アリスはどうしてか納得したように呟く。


「え、えええ、ちょっとアリス、な、なんでそんな冷静なんですか!?」

「いや、うん……まあいいか、と思って。妻だし」

「い、いいんですか!?」

「うん。言っただろう? 君と一緒に居られるなら、私はもう何でもいいよ」


 ふふ、と笑ったアリスはそこで思いついたような顔をして、半泣きのメルに手を差し出した。


「これからもよろしくな、奥さん。――そして、騎士さま」

「――……っああ、もう……かわいいなあ、ちくしょう」


 肩を落として口に出せば、出会った時と同じ、無邪気な顔でアリスは笑った。

 つられて笑ってしまったメルは、恭しくその手を取って、誓いを込めてキスをした。

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王子殿下の愛妻騎士 三桁 @mikudari_han

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