でさ、すごく人気があって売れてる作品に対してもさ、『辻褄が合ってない!』『リアリティがない!』とかケチ付けるのがいるじゃん。なんで? 人気があって売れてるってことは、それを『面白い』って感じてる人が

でさ、すごく人気があって売れてる作品に対してもさ、


『辻褄が合ってない!』


『リアリティがない!』


とかケチ付けるのがいるじゃん。なんで? 人気があって売れてるってことは、それを『面白い』って感じてる人がそれだけ多いってことだよね?


『面白ければ多少の粗は気にならない』


とか言ってるのがいるけど、なんで人気があって売れてる作品に対しても、もう数字の上で決定的に人気ぶりを証明されてるのに、まだケチ付けるのがいるの?


それって要するに、


『自分の価値観こそがスタンダードであり正しいと思いたい』


ってだけだよね?


でもさ、その、『自分の価値観こそがスタンダードであり正しいと思いたい』って欲求自体に、明確な基準がないよね? それって、どうなれば、


『自分の価値観こそがスタンダードであり正しい』


って言えるの? 売上? それとも、話題として取り上げられる回数? だけどそのどれも、すでに実際に人気があって売れてる作品については、客観的な数字として出てるじゃん。なんでそれを認めないの?


数字を認めないなら、『自分の価値観こそがスタンダードであり正しい』なんて、どうやって証明すんの? ねえ? どうやって証明するつもりなのか、教えてよ?


だけど、私自身は、そんなこと自体に何の意味も見いだせないんだよね。人気があって売れてる作品は、間違いなく<いい商品>なんだろうけど、


<私にとっていい作品>


かどうかは、また別なんだよ。世間的には人気があって売れてるって言われてる作品が、すべて私の好みに合うかって言ったらそうじゃないんだ。


世界的には評価の高いアニメ監督の作品のすべてが私にとって何度も見たいと思えるような作品かと言えば必ずしもそうじゃないし、


<漫画の神様>と言われる漫画家さんの作品のすべてが『面白い』って感じるわけでもないからね。


そう。同じ人が生み出してる作品でさえ、私の好みに合うものと合わないものがある。


売れて利益を出せば<いい商品>なのは事実でも、<私にとっていい作品>かどうかは、まったく別の話なんだよ。


私が面白いと感じて好きな作品であっても、世間的にはほとんど知られてないものだってある。


だけどね、私は、自分が面白いと感じる作品を他の人が同じように面白いと感じてくれなくても別にいいんだよ。それは別に、


<私自身に対する世間の評価>


ってわけでもないしさ。


自分が面白いと感じない作品を多くの人が面白いと言ってたって、自分が面白いと感じる作品を多くの人が一顧もしなくたって、そんなの、自分自身に対する評価じゃないじゃん。


そんなこと気にしなくたって。私の家族や身近な親しい人は、ちゃんと私を見てくれてるよ。


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