私が異世界物を書く理由
『自分の好みに合わない』のは、別にいいんだよ。好みは人それぞれなんだから。だけど、『自分の好みに合わないものが世間から評価されることが許せない』ってのは、どういう心理? 何がそこまでさせるの?
『自分の好みに合わない』のは、別にいいんだよ。好みは人それぞれなんだから。だけど、『自分の好みに合わないものが世間から評価されることが許せない』ってのは、どういう心理? 何がそこまでさせるの?
ホントに、どうあっても他人の好みにケチ付けたいって人がいるのが分からない。それでいったい、何が解決したの? 世界的に人気のあるロックバンドの楽曲にもケチ付ける人いるよね?
『自分の好みに合わない』のは、別にいいんだよ。好みは人それぞれなんだから。だけど、
『自分の好みに合わないものが世間から評価されることが許せない』
ってのは、どういう心理? 何がそこまでさせるの?
自分の好みに合わないものが世間から評価されることに対してキレて、いったい、何が変えられると思ってんの?
客観的に見たらいいんだよ。
例えば、私が面白いと思えない作品を面白いと思ってる人達に対して私がケチ付けて、それで何が変わると思える? 私の作品が売れるようになる? 私の作品を面白いと思う人が増えるようになると思う?
思えないでしょ? てか、むしろ私の方が煙たがられて、敬遠されるようになるっていう未来しか見えないんじゃないの?
つまりはそういうことなんだけどなあ。
『自分の好みに合わないからつまらない』
そんな主張をしてる人は信用できないよ。だって、その人の好みが自分と合ってる保障なんて、どこにもないじゃん。
私は私。他の誰かじゃない。他の誰かの価値観や好みじゃ、私の価値観や好みは測れない。他人の価値観や好みが私とは違ってても、何にも困らない。
だからさ、<作品>を生み出したい人は、他人の価値観や好みに惑わされずに自分の思った通りに作品作りをすればいいんだと思う。
<作品>と<商品>は違うんだからさ。
<商品>を作る場合は、当然、<売れるもの>にしなきゃいけないっていうのはある。だから私も、生み出した<作品>の中から<商品>になるものを選別してもらうことについては文句は言わない。
『私の作品を蔑ろにするな!!』
とは言わない。<作品>と<商品>は違うというのは分かってるからね。だいたいさあ、『売れなきゃ作品じゃない』ってんなら、アマチュア画家が描く絵は、<作品>じゃないの? 小学生とか中学生がコンクールに出してる絵は<作品>じゃないっての? 違うでしょ? <商品>ではないかもしれないけど、<作品>であることは間違いないじゃん。
<商品>を作りたいなら、商品を作らなきゃいけない。でも、<作品>を作りたいなら、自分の思うままに<作品>を作ればいいと思うんだよ。
でも、<商品>を作ってても、すべての商品がすべての人にウケる商品にはならないよね? それも現実じゃん。
その現実を見て見ぬふりする人間の<アドバイス>なんて、何の価値があるの?
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