『リアル』『リアルさ』『リアリティ』。言い方変えても、結局は、『自分の好みを押し付けたい』だけなのには変わりないよ。その辺りの匙加減そのものが個人の好みでしかないからさ
『リアル』『リアルさ』『リアリティ』。言い方変えても、結局は、
『自分の好みを押し付けたい』
だけなのには変わりないよ。その辺りの匙加減そのものが個人の好みでしかないからさ。
だって、人気がある上位の作品に『リアリティがない』って言っても、その辺の『リアルさ』とか『リアリティ』に拘った作品が上位に来ないってことは、つまり、
『リアルさとかリアリティは求められてない』
ってことじゃん? 『それぞれの書き手の技量に大きな差がない』ってことだったらなおさら、
『設定ガバガバでも好みに合う作品が面白いと感じる』
っていう何よりの証拠じゃん。その事実を認めたくないから、
『設定ガバガバの作品を好んで読んでるような奴は、フィクションを分かってない』
ってことにして、
『分かってる自分、カッコイー!』
したいだけなんでしょ?
そうやって自分をageて他人をsageたいだけなんでしょ? それが情けないって言ってんの。私の子供達がそんなことしてたら、お説教ものだよ。
どの程度のリアルさやリアリティが好みなのかなんて、人それぞれなんだから、そんなことを持ち出しても意味ないんだよ。
だいたい、その手のことを言ってる人は、自分が面白いという作品を挙げようとしないよね? なんで? なんで自分が面白いと思う作品を挙げないの? 自分が『リアリティがある』と感じる作品を挙げても、ケチ付ける人がいるからでしょ?
それが分かってるのに、なんでまだそんなこと言ってんの? 自分が『リアリティがあって面白い』とか感じる作品でさえ『リアルさがない!』とか言ってケチ付ける人がいる事実をなんで無視すんの? どの程度のリアルさとかリアリティなら気にならないとかなんて、人それぞれなんだよ。
『面白ければガバガバでも気にならない!』
とか言ったって、その『何を面白いと感じるか?』ってこと自体がもう人それぞれなんだから、
<はっきりした基準なんか存在しないし作れないっていう現実>
を認めるのがそんなに怖いの?
自分の好みに合う作品を自分が楽しんでればそれでいいだけなのに、なんで、
<自分の好みこそがスタンダード>
ってことにしたいの? そんなに世間から認められたいの? なんで? 自分の家族に、自分の身近な人達に認められてないから?
だとしたら、そうやってありもしない<自分の好みこそがスタンダード>って概念を追い求めて無為な時間を過ごすのって、<家族の所為><身近な人達の所為>ってことだよね?
私はそれが嫌なんだよ。そんなことで私の子供達が他の誰かが楽しんでる作品にケチを付けて疎まれるのが嫌なんだ。
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