それが本当に決定的に影響するなら

なんて言うかさ、世の中には、何か事件が起こってから思い出したみたいに加害者や加害者の身内を責める風潮があるよね。でも私は、そういうのあんまり好ましいとは思わない。大事なのは、


『事件を起こさないこと』


でしょ? ゼロにはできなくても、減らす努力は必要だと思うけど? 


特に、加害者の親をはじめとした身内を叩くのは、それこそ、


<正義を騙った暴力>


だと思う。


だって、特定の誰かを狙い撃ちにしてない<一般論>ならともかく、具体的な事例において、加害者当人の行いは批判されるのは当然だとしても、その周囲の人が実際に事件に至るまでの間に何をしてたのか、あるいは逆に、何をしなかったのか、そんなの、赤の他人に分かるわけないじゃん。


だから私は、実際の事件については、それこそ一般論以外のことは言わないようにしてるんだ。


実際の事件における当事者の<責任>に触れるには、本当に当事者にしか分からないような詳細な情報がないと語れないよ。最低でも、裁判資料みたいなレベルの詳細な情報がね。


それについては、子供達にも伝えてある。おかげで私の子供達はネットの<炎上>には加担しない。ましてや、加害者やその周囲の人の個人情報を晒したり拡散したりなんてのにも加担しない。


そんなのは所詮、<正義を騙った暴力>だからね?


その上で改めて言うけど、<親の教育>なんてのは、よっぽど高圧的に連続的に繰り返し恒常的にやらない限り、子供の人格形成には大した影響はないっていうのは、実際に子供を育ててみた上での実感だよ。


口先だけで綺麗事を並べたって駄目なんだよ。それが本当に決定的に影響するなら、前にも言ったけど、<学校の授業でやる道徳教育>で十分だと思う。だけど、そんな人いる?


『学校の道徳の授業で人としての在り方を知りました!』


とか本気で言っちゃう人なんてさ。


まあ、中にはそういう人もいたりするかもだけど、そんなに普通にはいないよね? 少なくとも私はこれまでの人生の中で一人も会ったことないよ。そんなこと思ってる人なんて。


だから口先だけで言ってるだけじゃ駄目なんだよ。普段の態度や振る舞いの中で示さなきゃ。


口先で言ってることに説得力を持たせたければ、それこそ普段の行動で示さなきゃ。


ごく一部の発言だけをピックアップしたってその人の全てが分かるわけじゃない。綺麗事や美辞麗句を並べるだけなら小学生だってできるよ。


でもさ、ほんの数分で語り尽せるほど、説明できるほど、人間って単純な生き物?


違うでしょ?


表向きに語ってることだけがその人の全てじゃないでしょ?


ましてや断片的な情報で、その人の何が分かるって言うの?


長編一本分の分量の言葉を重ねても、私は全然、大事なことを語り尽くせた気がしないよ。


同じようなことを何度も触れてるように見えても、それぞれ違う方向からアプローチしてたりするしね。


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