一ミリもありませんな
そんなわけで、異世界で疑似親子が最終的に結婚しちゃう話書いちゃおっと。
うけけ♡
ただ、
『子供を養える程度の経済力と器があるってのを、ずっと傍で見てきて、しかもたぶん、その人の裏も表も見てきて、その上で好きになれる相手と結婚して何が悪い?』
とは思いつつ、同時に、それを自分にもできるとか思い込んで、
『子供のうちから唾付けとこう』
とか考えるような輩が出てくる心配をしてるってことなら、なるほど私も分からないでもない。そんな、フィクションと現実の区別もつけられない輩は、私も嫌いだ。
だから、
『子供を育てるってのは、安易に考えててできることじゃない』
っていうのは描写したいと思ってる。私自身が子供を育ててきて、そのためにどんなことを考えてきたのか、考えてるのか、心掛けてきたのか、努力してきたのか、実行してきたのか、徹底して描きたいとは思うかな。
『子供のうちから唾付けとこう』
なんてくだらない考えで真似しようとする輩が読んでるだけで、
『自分には無理だ!』
と思うようなくらいのをね。
私が考えてきたこと、考えてること、心掛けてきたこと、努力してきたこと、実行してきたことをそのままやれるなら、好かれる可能性が<微レ存>くらいは有り得ないこともないかもしれないってのをさ。
でもなあ、そこまでやっても息子が私をそういう意味で好きになってくれる可能性があるかと言ったら、
「一ミリもありませんな」
とはっきり答えるよ。私の息子は私のことを<母親>以外の何者にも見てないのが分かるし。
親子としての情が確立されればされるほど、そこに<恋愛感情>が入り込む余地がなくなっていくのは確かなんだよなあ。
恋愛感情を持てるのは、結局、相手を<他人>だと思えばこそなんだって感じる。血の繋がった親子で相手を他人として認識してるとか、寂しいよね。ってか、私は息子にそんな風に思われてたら悲しいよ。だから恋愛感情とか一ミリも入り込む余地もないくらいに親子でいられてるなら、そっちの方が誇らしい。
こう考えると、逆に、
『血の繋がってない他人である』
というのは、<恋愛感情>が入り込める余地としてこれ以上ない理由かもしれない。
それか、『最初からもう恋愛感情しかない』か、ね。
ちなみに私は、実際に血の繋がりのある<近親恋愛物>は、ごめん、生理的に無理。だからそういうのは読まない。見ない。
でも、血の繋がりがなくて、だけど仮にも家族で、ってことで葛藤する話は、嫌いじゃない。
そんなわけで私が書く<おねショタもの>は、全部、血の繋がりはないんだよね。
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