第7話 子羊の落とし物
私は子供の頃、好きな食べ物がたくさんあった。
お母さんが作ってくれたオムライス、からあげ、クレープ。
誕生日やお母さんが休みの日は凝ったものを作ってくれて嬉しかった。
でも必ずそういったイベントの後に、嵐のようなイベントが起きる。
フラグを折るように、それは回避できなかった。
泣いてるのはだれ?
私?ちがう――
ああ。
◆
わんわんと泣き喚く声と怒鳴る声が聞こえて、私は目を覚ました。
隣室の誰かが、うるさいなあと文句をもらした。
眠気眼のまま廊下を見ると、そこにはゴスロリの売り子とちいさな羊角を生やした少女がいた。
「チャッキー返してよお、おねえちゃあん」
「ダメよ!これは売り物なの。ただでやれるもんですか」
「ちがうよお、この子、チャッキーだもん。わたしの、チャッキーだもおん」
ゴスロリ売り子に怒鳴れながらも、ひるまずに幼女が泣きながら売り子に食いついている。寝起きの私は初対面のときより怖がらずにゴスロリ売り子に声を掛けた。
「どうしたの?」
「ああん?……ってあんた。"金のない"オキャクサン。この子が売り物とろうとしたのよ」
「売り物……」
そう強気で突っぱねるゴスロリ少女の手中にあるのは、中央の紐が×印に縫われたボタン目のクマのぬいぐるみ。体はツギハギのパッチワークで、色はドス黒いザクロのような色でボロボロだ。
なんとなく状況を察して、私はしゃがむ。
「これ、あなたのなの?」
「ぐすっ……うん」
嘘を言ったように見えなくて、私はゴスロリ売り子に尋ねた。
「あなた人の物とったの?」
「言いぐさ悪いわね。私は失くしものを回収して、売るのが仕事なの」
「でもそれこの子のでしょう?返してあげてよ」
「それができないつってんの。星の銀貨で買いなさい」
「あのねえ、こんなちいさな子から物盗んで悪いとおもわないの。何歳よ」
飽きれて思わず煽るような言葉を使ってしまったが、ゴスロリ売り子は鼻をならして嗤った。
「ああ――ね。客人、あんたまだ新規ね」
にやりと意地悪い笑みで、ゴスロリ売り子はずいと子供に迫った。
「子供はいいわねえ。なんも知らないから、泣いて喚けばなんでも手に入るとおもってる。でもここではそうはいかないの。このむかつくおねえちゃんもやさしいおねえちゃんも、あんたも、対価がなきゃ全部奪われて終わりよ――業に入っては業に従え。」
豹変した表情に、子供も私もびくりと言葉を失くす。
まるで光のない、瞳孔を開いたラズベリー色の目は次に少女を庇うように立っていた私を捉えた。
「あんたもさあ、子供庇て善人みたいなツラしてるけどそんな薄っぺらい仮面、ここにきた時点でボッロボロなんだよ。ここに正義も善もない、嫉妬、強欲、色欲、暴食――ただの欲望しかないんだ」
コツ、と底の高いエナメルの靴が私の裸足にあたる。
「ここであんま――死人をつけあがらせんなよ?」
売り子は私の耳元で、しずかに囁いた。
「うわあ、怖いねー女って」
ざっと寝台のカーテンが開いて、ふいに赤毛の不良君が出てきた。
「あんたさ生理前?ガキ相手にカリカリしちゃってまあ、朝からうっさいんだけど」
「はあ?なによあんた――!!」
「チャッキー返してよおおお」
「うわ……」
助っ人の登場にありがたい、とおもったのは、ほんの一瞬だった。
本能でこの二人は引き合わせちゃいけない組み合わせだと悟った。
余計面倒くさいことになった、と私はすぐに思った。
―――――『 う る さ い な あ 』。
だれかが、―― つぶやいた。
その時。
「おい、何事だ」
凛と響いた声に、私は我に還る。
透き通るような銀髪に黒い帽子、黒詰の制服。
車掌さんだ。
「やーだ車掌!巡回きてたのおー?」
車掌さんに気づくなり、売り子は真っ先に車掌さんに飛びついた。
その変わりように私は釈然としない。
「なんでもないわよーちょっとあのガキが私のぬいぐるみをひったくろうとしてえ」
「シャルロッテ。たしかに紛失物回収および返却はおまえの仕事だが就寝中の客人が多い中騒ぎを起こすのは頂けない」
シャルロッテ、と呼ばれた売り子の都合のいい解釈を、車掌さんはきっぱりと遮断した。
「みんなどうせ起きないんだからいいじゃない」
「だとしてもだ。この一件は上司に報告する」
「はああ!?ちょ、やめてよ!!!あいつに言うのだけは勘弁して!」
「なら新参者を揶揄うのは大概にしろ。おまえの悪い癖だ」
「……チッ」
「はあ。なんでもこうも乗務員はどいつも歪んでるんだ」
私の気持ちを代弁するように、車掌さんはぼやいた。
二人のやりとりを唖然と終始見守っていた私たちに、車掌さんは向き直る。
「君は起きたのか」
「ええ、まあ」
「その子は俺が預かる。紛失届に確かに彼女の所持品はリストアップされているが、その子の持ち物はその子自身が取り返さないといけない」
車掌さんが羊角の少女を引っ張ろうとしたが、少女はぐいと私の背中に引っ込んだ。
「……やだ!お、おにいちゃん、怖い……」
「きゃっはっははは!あんたほんと好かれないわねえ!」
「シャルロッテ。貴様にだけは言われたくはない」
「おねえちゃんがいくなら、いく」
羊角の少女は私の後ろに引っ込んだまま、手をきゅっと握った。
「……その様子だと懐かれてしまったようだな。よし、君もついてこい」
「え、車両間移動していいの?」
「俺が同行しているなら問題ない。行くぞ」
「あ。じゃあ俺もついでに行くわ。ここにいるとこの地雷女うるさそーだし」
「はあ?なんなんマジでおまえ!!」
「うっわうるせえ」
「そうだな。君が一緒にいても他の乗客に迷惑被るのは厄介だ、ついてこい」
遠回しに不良君にを咎めながら、車掌さんは了承した。
言われるがまま、私が一同とその場を後にしようとしたその時。
「あんたさあ嫌いでしょ、ホントは」
売り子が私の傍で、また囁いた。
「だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁいっきらいな癖に」
「な、にを……」
言葉が喉でつかえる。
彼女の、顔を見るのが怖くて私は振り向かないまま尋ねた。
私の耳元で、彼女は低く、やさしく、囁く。
「子供」
***
「すまないな」
「え……なんですか、急に」
前を向いたまま、車掌さんは唐突に謝罪した。
「俺が離れている間、なにかと面倒ごとに巻き込まれてるようだ」
「まあ、それは否定しませんね。事実だし」
「……すまん」
「なんですか、やめてくださいよ気持ち悪い。あっ」
「……いや気にしてない」
「気にしてそう」
こんな人でも一応気を遣ってくれてるのだろうか。
あの犬に絡まれた日や眠れなかった晩のことといい、いちいち見回りにきてくれたとか。
なんとなく都合よく解釈しそうになって、私は話を戻す。
「まあ、でもじっとしているより動いてる方が気楽です。ここにいるとおかしくなりそうだけど、誰とも関わらない方がおかしくなりそう」
「そうか」
「怒らないんですか?」
「なにがだ」
「私があまり乗客と話すの、よく思ってなさそうだったし」
「客同士の会話を遮るような規則はない。あの野犬に絡まれたように半端物は侮蔑は受けるだろうが、それは俺の知ったことじゃない。乗客同士の喧嘩や窃盗はご法度だが」
「ふうん」
「……変わったな」
「なにがですか?」
「君のことだ。もとから理屈っぽい、他人に興味のない子供に見えたが……」
言いかけて、車掌さんはそのまま前に進む。
誰かの背中の案内があっても、通路はすごく長く感じる。
「そういえば、かぼちゃ頭さんから聞いたんですが」
「なんだ」
「ここにいる人たちって全員記憶があるんですよね?」
「だいたいな」
私は、何気なく聞いた。
「車掌さんはなんで死んだんですか?」
「覚えていない」
さらりと、車掌さんはそう言い切った。
後ろから間髪入れず、不良君が言う。
「じゃあおまえも、こいつと同じってことじゃん」
「そうだな。ただ彼女は戻れる余地がある。俺は無理だ」
「ふーん。働いてるから?」
「そうなるな」
車掌さんは立ち止まり、ぼんやりと窓の外を見やる。
夜空よりも深い、底なしの海のような瑠璃色の瞳は、あの晩のように果てのない夜空に、なにかを探しているように見えた。
「次の車両を確認してくる。おまえたちはここにいろ」
車掌さんの指示で私たちは座って待機することにした。
立ち去る車掌さんの様子を気になった羊角の少女が、私の袖をぐいと引っ張って見上げた。
「ねえ、おにいさん帰れないの?かわいそうだよ……」
ああそっか。帰れないのは、かわいそうなのか。
死んだのは、かわいそうなのか。
浅はかで、純真な、同情。
彼がどう、生きたかも知らないで。
苦しんだ経緯は、想いは、だれにだって理解できないのになんでそんなことが言えるのか。
子供は、残酷だ。
「おねえちゃん、いたっ……いよ」
私はつい、少女の手を強く握っていたことに気づいて慌てて手を離した。
「ご、ごめんね。お姉ちゃんちょっと手が疲れちゃったかも……」
「どうしたの、おねえちゃん……?だいじょうぶ?おかお、しろいよ」
「おまえ大丈夫か?顔色悪いぞ」
「うん、ちょっと……酔ったかもしれない。はは」
「笑いごとじゃねえだろ、その顔。死人みてえだぞ、とりあえず座っとけそこ」
不良君は目の前にあった空席の紫色のソファを指さした。
「へえ……ふりょ――赤毛君、不良なのに優しいね」
「不良なのにってなんだその言い草。すげえ偏見だし、不良って優しいだろ。俺不良だけど」
「赤毛君でも変なこというんだね」
「うっせえな。いいから横なってろ」
「それじゃ、お言葉に甘えまして……」
どうしてだろう。
さっきまで平気だったのに、急にお腹が痛くなってきた。
「おねえちゃん、だいじょぶ……?」
私を覗きこむ可愛い顔に、私は必死に愛想笑いを浮かべた。
「ちょっと、おにいちゃんと一緒にいてくれるかな」
「おにいちゃん?しろいほう?あかいほう?」
「えーっと赤、かな……」
「うん、わかった!おにいちゃん、おてて!」
「お……?おう」
向かい側にいた不良君はわけもわからず、少女の手を握り返す。
『―――こども、きらいなくせに』
売り子の、シャルロッテの言葉が、頭からこびりついて、離れない。
このちいさな羊といるのは、苦しい。
私を小衝く 、この猜疑心は、いったい何。
おなかが、いたい。
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