美雪と綾~気持ち悪い自分とシャンプー~ 後編
日が落ちて、気温がぐっと低くなる頃。
粉雪がちらちらと降り始め、傘をさすほどではないがより寒さを際立たせている。
「……さむっ」
手を擦り、美雪は華百合高校の校門前に立っていた。
街灯に照らされている美雪。赤いマフラーを巻き、少し頬を赤らめていて嬉しそうな表情をしている。
「……今日は早く終わるって言ってたな」
美雪は、街灯に照らされた白い吐息をジッと眺めていた。
寒さで冷えた頭で、クリスマスイヴのことをふと思い出す。
綾と街に出たあの日も、粉雪がちらついていた。
街でマフラーを探しながら歩く美雪の隣で、ニコニコと笑顔で話しかけてくれる綾の姿。緊張しすぎてうまく返事ができない美雪。
でも、ただ楽しかった。綾と二人で街を歩いているだけなのに楽しかった。
寒さに耐えきれずに入った小さな喫茶店。
綾のコートとマフラーを脱ぐ姿にボーっと見惚れてしまい、そこで美雪は思わず言ってしまった言葉。
先生のマフラーが欲しいな。
吐いた言葉は呑み込めない。
美雪は慌てて撤回しようとするが、綾は少し困ったような嬉しいような顔をしながらマフラーを持ったまま考えている。
そして、少し黙った後に美雪の目を恥ずかしそうに見つめながらこう言った。
洗ってからでもいいですか……?
「……ぇへ」
あの日から何回も何回も、クリスマスイヴの日を思い返してはニヤニヤとしている美雪。
美雪は自分であの発言は失敗だと思っていても、綾が了承してくれたことが嬉しくて嬉しくて、どうでもよくなってしまっている。
ニヤニヤとえへえへと笑っていると、校門に向かって一つの足音が聞こえてきた。コツコツと、ヒールの音である。
「……っ!」
美雪は急いで髪型を手ぐしで直し、鞄の中から小さな鏡を取り出して、身だしなみをチェックする。
コツコツと、足音は早足でどんどん近づいてくる。それと同時に心音がバクバクと激しくなってきた。
「美雪さん。お待たせしました」
校門を通って、少し息を切らした綾が現れる。
綾は、グレーのダッフルコートに白色のマフラーを首に巻いている。そして、手には白色の手袋もしていた。
「遅くなりました、すみません。寒かったですよね?」
「ううん、平気。先生の顔見たら、寒さなんてどっかいっちゃった」
美雪は綾の隣へ立つように、綾と美雪の肩と肩が触れる距離まで近づく。
「えーっ、何ですかそれ。じゃあ、行きましょうか」
「うん。話したいこといっぱいあるんだ」
二人は並んでゆっくりと歩き出す。
「ふふっ」
「ん? どうしたの先生」
「いえ、朝から元気がなさそうに見えましたが、今はとても元気そうなので安心しちゃいました」
「あ、あはは……」
今朝から元気が無かったのは、とても小さな事が原因であった。
このまま黙っていてもいいのだが、何故だか美雪は綾に言いたいという気持ちが溢れてくる。
「いや、あのさ……今から気持ち悪いこと言うんだけど」
「え? あ、はい?」
「今朝さ、チャットでシャンプー変えたって話してたじゃん」
「あー、はい。美雪さんが選んでくれたシャンプーが、とてもいい匂いだったので、つい嬉しくてチャットしちゃいました」
ニコニコと笑う綾の横で、美雪は少しバツが悪そうにしている。
今朝の綾からの報告は本当に嬉しかったのだが、それからの出来事が美雪の頭の中にこびりついて離れないのだ。
朝、綾に抱き着く茅沙の姿。綾の髪がとてもいい匂いだということを、他の人に知られたくないという独占欲。そんな汚い欲を醜く思う自分。
「えっと、その……本当はチャットだけじゃなくて、実際に会って一番最初に褒めたかったんだ。思った通り、先生の髪からいい匂いがするよって……」
でも、それは茅沙に先に言われてしまった。
そんなことで元気が無くなるなんて、なんて器が小さいんだと言われるかもしれない。だが、美雪はそんなことでも、嫉妬してしまうほど綾のことを想っていた。
「美雪さん……」
「あはは……気持ち悪いよね。ごめん……」
美雪は、少し綾から距離を取る。
綾を気持ち悪い自分から遠ざけたかったのだ。このまま気持ち悪い自分が、綾の事を汚してしまいそうな気がして。
「……っ、えい!」
しかし、綾はそんなことなど気にする様子もなく、美雪の腕に抱き着く。
「先生!?」
右腕に感じる綾の温もりと、柔らかな感触。寒さで冷えた体のはずなのに、体全体から汗がジワリと滲んでくる。
ギュウっと抱きしめてくる綾に、美雪はどうすることもできない。
「そんなことありません! 美雪さんは綺麗で、可愛くて、かっこよくて、優しくて
、凛々しくて……!」
「え、えっと、何言ってるの!?」
「つまり、美雪さんが思っているようなことを、私は思っていないってことです」
グイっと顔を近づけて、綾は美雪の目をまっすぐに見つめる。街灯で照らされて光る綾の瞳に、美雪はドキッとしてしまう。
「う、うん……そう、だよね」
ドキドキと激しく鼓動する心臓と、右手に感じる感触に先ほどのまでの嫌な感情が何処かへと飛んで行ってしまう。
「でも、美雪さんが悲しんでしまったのは事実ですよね。うーん、美雪さんの嫌な気持ちを解決するには……」
だが、そんな気持ちなど知らない綾は、何かを考えている。
美雪は早くこの状況をどうにかしたいが、綾の抱きしめる力は緩む気配など無く、ずっと密着している。
恥ずかしくてどうにかなりそうな美雪だったが、このまま離れるのも嫌だという思いも相まって、何も言い出せない。
「分かりました! では、今から銭湯に行くというのはどうでしょうか!」
「え?」
「私は家に寄ってから銭湯に、あのシャンプーを持っていきます。ね、そうすればお風呂上りで一番に美雪さんに報告することができますよ!」
ギュウっとさらに美雪に抱き着く力が強くなる。
「えっと、待って待って、先生なんかテンションおかしいよ」
「あれ、ダメでしたか……?」
キョトンとした顔で、少し残念そうに美雪へ問いかける。その顔を見た美雪は、思わず笑ってしまう。
「ぷっ、あはははは」
「え、何か可笑しかったですか?」
「ううん。ありがとう、先生。もう大丈夫だよ」
「ん? はい?」
何か納得ができないが、美雪が元気になってよかったと思うようにする。
「でも、先生とお風呂かぁ。それいいなぁ」
「でしょ! お風呂はいいですよぉ。この前に見つけた最新のオススメの銭湯をいくつか紹介しますよ!」
お風呂の話になると、目に見えてウキウキとし始める。美雪は、お風呂の話になると子供のように無邪気になる綾も好きである。
「えーっ、銭湯もいいけど」
「はい?」
美雪は少し意地悪をしたくなったのか、抱き着く綾の耳元に口を近づける。
「せんせーの家のお風呂で、一緒に入りたいなぁ」
「え……」
美雪は自分で言ってすぐに恥ずかしくなって顔を真っ赤にしてしまう。
だが、綾も美雪から囁くように言われた言葉に赤面している。
「えっ……と」
「あ、あはは。冗談だって先生!」
すぐに茶化すように笑いながら誤魔化す美雪だったが、綾はそんな美雪の態度とは正反対にモジモジとしている。そして、美雪の手を優しく握る。
「明後日の……日曜日でよければ……いいですよ」
粉雪の降る夜道に、沈黙が訪れる。
二人の歩みは止まり、互いの心音が重なる。
しばらくすると、美雪は綾の手を握り返す。
「……いいの?」
「はい」
「えへへ……悪い先生だね」
「美雪さんこそ、不良生徒ですからね……」
このまま離れる様子が無い二人は、またゆっくりと歩き出す。
「私は不良じゃないもん」
「えーっ、その綺麗な金髪は不良じゃなくて何ですか」
「金髪が不良って、せんせー古いよ」
「古い!?」
いつもより密着している二人の言い争いは、いつもよりも多く続いている。
美雪と綾~気持ち悪い自分とシャンプー~ END
ユリノ花園 上条 こうすけ @Mecha-kamizyou
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