掌編ふたつ

秋はシュミーズ



「秋ってさシュミーズだね」と言う友の真意を永遠にわからないまま、また秋が来る。

九月の初め、まだ夏を思わせる痛い陽射しと、時折吹く心地よい風。たまにツクツクボウシの声が聞こえる。草むらでは秋の虫の音。今は夏と秋の狭間なんだ。彼女がこの世を去ったのもちょうどこの時期だった。


まだコロナウイルスが日本で流行する前、私たちは時折馬鹿みたいに朝まで飲み明かした。いつもお酒を飲むと多弁になる私と寡黙になる彼女。彼女はタバコをくゆらして、私の他愛ない話を静かに聞いていた。

あの日も私たちは安居酒屋で飲み明かした。可愛げなく二人ともハイボールで乾杯した。週末だったから「今週もお疲れ様」と言い合った。いつも通り、私は喋りまくった。彼女は終始笑顔で聞いていた。話が私の彼氏の愚痴になったところで彼女は突然言ったのだ。

「秋ってさシュミーズだね」と。「なにそれ?どういう意味?」と私が訊くと、彼女は首を横に振ってなんでもないよと言って笑った。すぐにまた話は彼氏の愚痴へと戻った。

駅前での「またね」が最後の別れになった。あれは絶望だったのか、それとも希望だったのか。彼女は朗らかに笑っていた。


感染症が日本全土を襲って、私たちの「またね」は叶うことはなかった。不思議と私たちは糸が切れたみたいに連絡を取り合うことがなかった。

そして、去年の九月。彼女はこの世去った。朝、彼女の母親から娘が自殺したという内容の連絡がきた。私は言葉の意味がさっぱりわからなかった。今まで何も知らされずに突然人が一人この世からいなくなるなんて経験したことがなかった。しかし、彼女は死んだのだ、しかも、自ら死を選んだのだ。


「秋ってさシュミーズだね」彼女の言葉が脳裏をよぎった。あの日以来ずっと忘れていたのに、説明してくれなかったこの言葉が、何か遺言めいた重大な重みを持って蘇った。

程なくして私は彼女の家に行き、線香をあげた。遺影はかすかに微笑んでいた。

こんな形での「またね」なんて望んでなかった。私は悲しいはずなのに、涙が出ないことがより悲しい気持ちにさせた。しかし、それは彼女の死が悲しいのか、それとも、単に泣けないから悲しいのかわからなかった。


そして、今年も秋が来る。感染症は依然猛威を奮っていたが、少しずつ日常を取り戻しつつあった。私は昼間から一人、彼女とよく行ったあの安居酒屋に来た。あの日愚痴った彼氏とはとっくに別れていた。ハイボールを頼む。相手がいないけれど、虚空に向かって乾杯をする。

「秋ってさシュミーズだね」か。やっぱり意味がわからなかったけど、いつかわかる日が来るのではないだろうか。いや、来なくてもいいのかもしれない。

私は吸ったことがないのに、タバコに火をつける。彼女がいつも吸っていたピアニッシモ。不味かった。たくさん噎せた。もう絶対タバコは吸わないとひとり誓った。

居酒屋を出ると外は夕暮れ。風が少し冷たく感じる。空が夕焼け色の鮮やかなグラデーションを作り美しい。唐突にああ、何となくシュミーズっぽいと思った。思ってからシュミーズっぽいってなんだ?と自問したら、なんだか笑けてきた。笑けてきたから、駅前で誰もいないのに「またね」と言って私は帰った。



削除されたい羽虫の気持ち



ちいさな羽虫がBackspaceキーの中に潜り込んでいった。削除されたいのかな。削除してあげてもいいけど、キーボードに羽虫の死骸が眠っているっていうのも少し気味の悪いものだ。羽虫は出てくる様子はなかった。

土砂降りの雨の後、静かな風が窓から入ってきて心地よい。その心地よさに思わず眠くなる。午後九時。普段はとっくに布団に入っている時間だった。

私は眠気を噛む殺して羽虫に構わず小説の続きを打ち込んでいった。一万字以内の短いものばかりを書いてきた私は今書いている小説が一万字を少し超えたことに少なからず胸が高鳴っていた。

あ、Backspace押しちゃった。まあ、Backspaceキーを押さずにパソコンを使うのは難しいよね。特に私はタイピングがそこまで得意ではない。ブラインドタッチがかろうじてできるレベルだ。ミスタッチも多い。羽虫はどうなっただろうか。死んでしまったか、それともまだキーの下で大冒険をしているか。とかとか、羽虫に思いを馳せていたら、キーボードに入ったやつと同じ虫と思われる羽虫が二匹机の上を歩いていた。私はギョッとした。二匹どころか何匹も同じ羽虫がうろうろとしていたからだ。網戸が開いていないかすぐに確認。網戸は閉まっていたがちいさな羽虫だから網戸をくぐり抜けてきたのかもしれない。一匹どころではないとわかったら小説を書いている場合ではない。私はティッシュを片手に一匹ずつ羽虫を屠った。さっきまで土砂降りだったからこの家に逃げてきたのかもしれないと思うと同情しないこともないが、家に居られても困る。

十匹は屠ったと思う。私は死骸だらけのティッシュをゴミ箱に放り投げる。見事ホールインワン。合掌。なむなむと口で言ってみる。私は仏教徒どころか特定の信仰がないので、果たしてこのなむなむは何か意味があるのかと考えたが、要は気の持ちようである。しなくてもいい殺生を十回もしたのだ。多少は縁起を気にしたりする。

小説を書く気は失せていた。今日はもう寝よう。パソコンをシャットダウンして、パタンと閉じてから、キーボードの羽虫を思い出した。あいつ、どうなったんだろう。とっくに死んだかな。だとしたら十一回の殺生をしたことになる。でも、生死不明なのでカウントはしない。そもそもBackspaceの中に入っていったんだから、消えたい願望があったのだろう。虫だって消えたくなるのか。わかるわ、その気持ち。私もBackspaceがあったら入りたい。とかなんとかちょっぴりセンチメンタルになりながら、電気を消してお布団に潜り込む。


朝。起き抜けにパソコンを起動させる。羽虫はやはりいなかった。私が削除しちゃったんだね。十匹の仲間たちともにこの家へやってきて、ひとり消えることを選んだ羽虫。削除されるってどんな気持ちだろうか。もちろん、羽虫は応えない。削除されちゃったんだから。私は小説の続きを打ち込んでいった。下手くそなブラインドタッチで、何度もBackspaceを押した。その度に羽虫の声が聞こえてき……いや、聞こえてこなかった。


おわり。

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詩と掌編小説 入間しゅか @illmachika

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