5-2 塾講師は完璧じゃない 2


 日野原中のバザーは、既に幕引きを終えていた。

 けれども敷地内は無人ではない。祭の終わりを名残惜しむかのように立ち話に花を咲かせる地域住民や、バザーに使用したテントやビニールシートを片付ける若い衆で未だ溢れかえっている。

 息を切らして到着した俺をめざとく見つけたのは、そのうちのひとりだった。

「おーい窓太! ちょっと手伝ってくれないかな、テントを畳むのに人手が足りないんだ」

 誰かと思えば、学友にしてバイト仲間の銀次である。

「すまない、今それどころじゃなくて――」

「ぱぱっと終わるからさ、お願いだよ」

 両の手のひらを合わせて、上目遣いで頼んでくる銀次。あまりの可憐さに、思わず二の句が継げなくなる。こいつは自分の外見を疎ましく思っている反面、その『活用方法』を心得ているから厄介だ。

 それに、銀次は案外押しの強いタイプだ。理由を探して断る方が時間を要することになりかねない。

「分かった。少しだけなら手伝う」

 結局、ぱぱっと終わるとの言葉を信じて俺は折れた。案の定、天使のような微笑みが返ってくる。

「ありがとう! 窓太ならそう言ってくれると思ったよ。じゃあ早速テントの足を持ち上げるから、軍手をはめて持ち場についてもらえるかな」

 銀次の投げた軍手が、放物線を描いて俺の手に収まる。こっちこっち、と誘導する銀次のあとを俺は追った。

 それにしても手際がいい。

 持ち上げるのを待っている若い男性たちに、銀次はてきぱきと指示を出している。俺も配置についたところで、全員がテントの足に手を掛けた。

「いくよ、せーのっ!」

 銀次の掛け声を合図に、巨大なテントが持ち上がる。

 こんな調子で計二つ、テントをグラウンドの隅まで移動させた。

「いやぁ助かったよ。ありがとね、窓太」

「随分と手馴れてるんだな。地域の人たちともうまく連携してたし」

「そりゃ毎年やってるからね」

 毎年、とな。

「もしかして銀次って、この近辺で実家暮らし?」

「そうだよ。あれ、言ってなかったっけ?」

 初耳だった。多分、芽吹との共同生活を明るみに出さないために、俺が意図的に家庭環境に関する話題を避けてきたことが原因なのだろう。

 共にテントを担いでいた男衆が、銀次に一声かけて次の力仕事へと向かう。勇ましいその姿を、銀次はいつもの笑顔で見送った。明らかに年上の屈強な男たちに対しても、全く臆する様子はない。むしろ、地域の若者たちの中心に銀次がいるようだった。

「みんなこの街が好きなんだ。進学や就職で地元を離れても、結局ここが一番落ち着くからって戻ってくる。格別華のある街じゃないんだけど、なんというか、空気感が心地いいんだよね」

 銀次の優しい目は、片付けの傍ら至る所で談笑する老若男女へと向けられていた。

 この街は、銀次が言うほど華がないわけではない。大学やJAXAの研究所が建ち並ぶ街並みは十分特徴的と言える。

 それでもこの街には不思議な温かさがある。だからこそ地元で育った人々も、大学や研究所に通う目的で移り住んだ人々も、こうして一堂に会して祭りに興じるのだ。

「まあ、加賀美室長が戻ってきたのは偶然みたいだけどね」

「……室長もこの町が地元だったのか?」

「うん。僕と同じ日野原中の先輩なんだってさ。僕は毎年バザーの片付け手伝ってるから、お互い面識ない状態でばったり会っていたかもしれないね」

 驚いた。どうりで地域事情や学校行事に関して詳しいわけだ。

 銀次の話によれば、加賀美室長は大学進学を機に相模原の町を出たらしい。まだ発展途上の神奈川塾に就職して、全く意図せず地元の新校舎の室長として戻ってきたそうだ。

 人に、地域に、歴史あり。

 そして、歴史を幾重にも積み重ねて交差させた結果、今がある。

「それで窓太、なんか急いでなかったっけ?」

「ああ、すっかり忘れてた。銀次、芽ぶ……春峰さんを見かけなかったか?」

「春峰さんって中三の芽吹ちゃん? それなら、さっきひとりで歩いているところをすれ違ったよ。あれから三十分と経ってないからそう遠くには行ってないはずだけど……また何か厄介事?」

 その報告に俺は安堵した。まだ近くにいるなら、尚更ここで道草を食っている暇はない。

「ありがとな銀次。こっちこそ助かった」

 銀次を残して、俺は踵を返す。一刻も早く芽吹を探し出さなきゃならない。

「窓太!」

 駆け出した背中に、銀次の声が跳ね返る。振り返れば、沈む夕日よりも眩しい銀次の笑顔が数歩離れた距離にあった。

「どうした?」

「窓太が何を抱えてるのか、僕には分かんないけどさ」

 すぅ、と銀次は大きく息を吸った。

「解決した暁には、また僕に話聞かせてね!」

「ああ、約束する」

 俺の返答を見届けて、銀次は地元の仲間の輪へと戻っていった。



 銀次と別れた後、俺はグラウンド周辺を探して回った。

 幸いにも体育祭の日に一度芽吹と一周しているために、どこに何があるのかはある程度なら分かる。しかし、まだ近辺にいるだろうという銀次の情報以外に手掛かりはない。仕方なく、家路につき始めた人の波を注視しながら歩く。

 辺りを見渡しながらも、さっきから聞こえてくる妙な声がやけに耳につく。

「どぉりゃぁぁぁっ!」

 一人だけ、まだ祭の只中に取り残されている輩がいるらしい。

 一定の間隔を刻むその声は、次第に大きさを増していく。まるでその発生源が徐々にこちらへ迫っているかのように。

「よいしょぉぉっ……うぅ、助けて門出先生……」

「何やってるんだ、箕輪先生」

 見かねて振り向けば、レンガ二つを溶接して合わせたような大きさの鉄塊が地べたに置かれている。その後ろで息を切らしているのは、これまた同僚の箕輪先生だった。

「……それは?」

「テントの足に置くおもりだよ。あたしも片付け手伝ってたんだけどさぁ、こればっかりはどうにも重くてね。そうだ、ばったり会ったついでに、これ体育倉庫まで持ってってくれない?」

 はぁ、とため息が出る。

 芽吹の捜索が最優先事項だけど、名指しで頼まれては断りづらい。

「分かった、一個くらいなら引き受ける。急いでるから、残りは別の人に頼んでくれ」

「いやぁ、さすがは門出先生。気が利くねぇ。ちなみにそれで最後の一個だから、よろしく!」

 俺はしぶしぶ地べたの鉄塊を持ち上げる。想像以上に重い。よく見れば『20kg』とおもりに彫られていた。

 ……箕輪先生は今までこれを一人で持ち運んでいたのか?

 唯一の救いは、体育倉庫までの距離がそう長くないことだった。負担の少ないように持ち替えて、箕輪先生と共に倉庫まで向かう。

「箕輪先生は、このバザー来るの初めてなんだっけ?」

「うん、そうだよ。あたしも今年越してきたばかりだからね」

 言われてみれば、以前親御さんから仕送りが送られて来ていることを聞いたような気がする。とすれば、箕輪先生は一年目にもかかわらず地元の輪に既に溶け込んでいたことになる。面識のない人たちの間に『片付け手伝います!』と割って入り、すぐに信頼を得て任されるというのはそう簡単なことではないだろう。

 誰に対してもフレンドリーなのは、俺にはない箕輪先生の取り柄だ。

「前から聞きたかったんだけど、いろんな人とすぐに打ち解けるコツとかってあるのか?」

「コツかぁ。うーん、あんまり考えたことはないかな」

 ないのか。才能のなせる業なのかもしれない。

「あ、でも絶対に、一緒に話してる人の立場に立って考えることはやってるかも。ほら、授業とかでも『分かんない』って言われたらどこがどう分かんないのか、生徒の視点から考えたりするけど……授業に限らず、それを意識したら誰とでも話が弾むかも。あとは一歩踏み出す勇気!」

 実に箕輪先生らしい答えだった。

 俺も、生徒の視点に立つことは心掛けているけれど、箕輪先生のそれは誰しもを卓越している。どんな生徒にも『この人なら自分のことを理解してくれる』と思わせるだけの技術がある。それを日常にも応用しているならば――いや、逆に日常で培ったものを授業に応用しているのか?

 気づけば体育倉庫に到着していた。おもりを置いて肩が軽くなるかと思えば、まだのしかかられるような感触が腕に残っている。体育倉庫の重い扉を閉めるのもやっとの作業だった。

「ありがとね、門出先生。あたしはこれから帰るけど、門出先生は?」

「まだ日野原中に残る。ところで箕輪先生、春峰さんを見かけなかったか?」

「うーん、春峰さんなら……あっ、そういえばさっきおもりを運ぶの手伝ってもらったよ。門出先生と同じように、急いでたから一個だけだけど。その後はたぶん、校舎の方に行ったような気がするなぁ」

「それ、いつの話?」

「ついさっきだよ。おもりを運び始めたころだから、二十分前くらいかも」

「ありがとう、助かった。また明日、大学で」

「うん、じゃあね!」

 挨拶もそこそこに、俺は校舎へと足を向けた。

 背後から聞こえてきた『明日は筋肉痛に気を付けてね!』との大声。果たして明日の授業ではペンを握れるだろうかとの心配を頭から振り払いながら、俺は足を速めた。



 校舎の付近には、バザーの主催者であるPTAと思しき人々が集って談笑にふけっている。その中に、俺もよく知る二人組があった。

「うちの美咲ったら、私が体育祭のビデオ映像を見てたら怒るんですよ。『恥ずかしいからやめて』って、顔を真っ赤にして」

 ひとりは、上品な出で立ちの貴婦人。そのたおやかな佇まいには見覚えがある。言葉の節々からにじみ出る気の強さは、娘にそっくりそのまま受け継がれている。

「それはどこのお宅も似たようなものでしょう。皆、そのような年頃なのかもしれませんね」

 もう一人は、剣豪を思わせる風格の男。所作のひとつひとつにも気品が滲み出ているのは通常営業であるものの、普段の険しい顔つきをいくらか緩めている。保護者の前だからなのか、はたまた祭の空気に当てられたからなのかは定かではない。

 それにしても、凄まじいマッチアップだ。

 片や強者揃いのPTAを束ねる役員の一人、片や泣く子も黙る相模原校の副棟梁。他愛もない話をしているだけだというのに、近寄りがたい何かを感じる。

「あら、門出先生。いらしてたのですね」

「……ええ、まあ」

 身を翻した途端に、見つかってしまった。観念して、話の輪に加わる。

「門出先生も、そういったご経験ありました? 私たちくらいの年齢ですと、中学生の頃なんてもう大昔ですから覚えていなくて」

 にこやかな美咲母は、中学三年生の娘がいるとは思えないほどの若々しさに溢れている。下手すれば、御年二十四の土方先生の方が年上に見えるほどだ。『中学生の頃は大昔』というのが冗談にしか聞こえない。

 だから俺は年齢のくだりについては触れず、身辺の話に徹した。

「そうですね、全くむず痒くなかったといえば嘘になります。ですが、それも人それぞれでしょう。芽吹なんかは、体育祭の映像を食い入るように見てましたし――」

「どうして、そこで春峰さんのプライベートの話が出てくるのです?」

 土方先生の三白眼が俺に向けられる。単純な疑問のつもりで聞いているのだろうけれど、こちらとしては全てを見透かされているような感覚である。

 やってしまった。年齢の話を触れないことにかまけていて、口が滑った。

「ええと、その……ついさっき、自分のスマホで映像を見ていた春峰さんとすれ違ったもので」

「そうでしたか」

 どうにか取り繕えたらしい。

 芽吹との共同生活は、可能な限りPTAに知られるのは避けたい情報だ。法に触れたりやましいことがあるわけではないけれども、佐内教諭が懸念しているように心配を唱える保護者の声は少なからず上がるだろう。

 細い綱を渡り終えて、全身に疲れが押し寄せる。

 短い沈黙を破ったのは美咲母だった。

「春峰さんってうちの子と同じクラスのお子さんかしら? 美咲ったら毎日、家で春峰さんの話をするんですよ。今の自分があるのは、春峰さんのお陰なんだって」

 これはまた、大きく出たな。

「あの子、中学二年までは物静かで引っ込み思案で、仲のいい友達も少なくて。私も心配してた矢先に、春峰さんが転入してきたんです。それから美咲は見違えるように芯の強い子になって、表情もどんどん明るくなって……門出先生。春峰さんは、一体どのようなお子さんなのでしょうか?」

 美咲母は、期待の眼差しを浮かべている。

 俺にではなく、おそらくまだ見ぬ芽吹に向けて。

 成績優秀で、常に眠そうだが男子からも可愛らしいと評される外見で、はっきりとした物言いが特徴的という話は美咲から聞いているだろう。だから俺に求められているのは、それとはまた別の情報。

 俺だって、芽吹について全てを知り尽くしているわけではない。そもそも一口に『こんな生徒です』と言い表す資格は持ち合わせていないとさえ思っている。

 けれども、これまでの話を総合すれば、ひとつだけ確かなことがある。

 相模原への転入、黒い日記帳、夜の公園での盗み聞き、優勝旗の一件、そして今回の失踪――

 芽吹は傍から見ていても一般的とはかけ離れた存在と言えるだろう。だけど、それらを根底で繋ぐ真意までもが常軌を脱しているとは限らない。

 思考が加速していく。

 共同生活、変化することへの執着、体育祭の映像、優勝旗事件の本当の狙い――

「あの、門出先生? 答えづらい質問でしたら無理にとは言いませんけれど……」

 考えに耽っていた俺を、美咲母は怪訝そうに見つめている。

 はっと我に返ると同時に、伝えるべき『春峰芽吹像』が整った。そして、きっとそれは美咲母が求めているものとは大きく異なっているだろう。だからこそ、聞き違えたと思われないようはっきりと声に乗せる。



「――春峰芽吹は、至ってごく普通の中学三年生です」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る