4-2 塾講師は韋駄天じゃない 2
実行委員による対応は、極めて迅速だった。
用具置き場を確認したところ、本当に優勝旗はなくなっていたらしい。閉会式の進行に関わる問題であるため、その捜索は急務として話が進んでいるようだ。
今は、体育祭を中断させずして如何に優勝旗を探すかを論点としているらしい。
「次の競技は予定通り執り行おうと考えてます。実行委員の人員的には可能ですね?」
「ええ。一年生と二年生のリレーは少人数の審判で足りるから、シフト表の変更はしなくてもなんとかなるわ。手の空いた実行委員を優勝旗の捜索に割きましょう」
赤いハチマキの男子生徒(どうやら彼が体育祭実行委員長らしい)と、白いハチマキの芽吹。それぞれ片手にプログラムとシフト表を携えながら、テキパキと物事を決めていく。
「それでいいですよね、佐内先生」
「あ、ああ。もう君たちに任せる。責任は私がとるから、あまり周囲に迷惑をかけないように配慮しながら好きにやってくれ。私も出来る限り協力しよう」
「ありがとう、先生。それじゃあ委員長と先生は、次の競技に向けた事前確認と指示の用意を。私は委員の招集を放送委員に依頼してくるわ」
まるで台本が用意されているかのような手際の良さに、周囲の委員はおろか佐内教諭まで開いた口が塞がらない様子だった。
優勝旗の蒸発。
それは体育祭において絶対にあってはならないトラブルだという意識が、責任者である委員長と当事者である芽吹を突き動かしているのだろう。
紅組と白組、最高責任者と一般参加者。
先ほどまで睨み合っていた両者による的確な指示に、他の委員たちは素直に従うほかないような状態だった。
実行委員長や芽吹の奮闘の甲斐あって、どうにか体育祭の進行は滞らずに済んだ。表面上、トラブルは起きていないという状態を保ちながら、水面下では委員たちによる捜索が続いている。
優勝旗の失踪は芽吹と実行委員、佐内教諭に加えて、本部テントの脇で一部始終を見ていた俺と加賀美室長しか知らない。
「ふむ。それにしても惚れ惚れする仕事捌きだな、君の従妹。事務員としてうちで雇えないだろうか?」
「ダメですからね。まあ正直、受験生の手も借りたいレベルで人手不足なのは山々ですが……って、何撮ってるんですか?」
室長のビデオカメラは、本部テントの内側に向けられている。グラウンド上の中学一年生のリレーを撮影するつもりは毛頭ないらしい。
「ああ、なんというか……ほら、どうせならこの事件を記録に残そうかと思ってね」
そんなことだろうとは思ったけど。
なおも、室長は嬉々とした表情で語る。絵に描いたような野次馬根性がそこにあった。
「ほかの親御さんのカメラはグラウンドに釘付けだし、一台くらい裏で起きていた珍事の顛末を追っててもいいんじゃないか?」
「まあいいですけど……あまり不審がられるような行動は謹んでくださいね。下手すりゃ疑われますから」
「心配ない。その時は、きっと誰かが抜群の推理力で助けてくれるだろうからさ」
室長が首だけをこちらに向ける。
肩にかかる重力が、一瞬で何倍にも膨れ上がったかのような感覚。室長から重荷を押しつけられるのはもう何度目にもなるけれど、未だに慣れない。というか慣れたくない。慣れてしまうかもしれない現状が怖い。
「……帰ってもいいですか?」
「何を言ってるんだ。奇怪な謎を引き寄せては糧にするというのが、君のいつものスタイルだろう?」
俺は食虫植物か何かか。
「ついでに、旗の捜索に君の力を貸してやってもいいんじゃないか?」
「それは……やめておきます。彼女らに任せましょう」
正直、今回ばかりは乗り気になれない。
塾の運営が絡んだ仕事の範疇ならまだしも、この件は完全なるプライベートだ。それに加え、佐内教諭の許可のもと芽吹たちが真剣に問題解決に当たっている。普段から職場で『自主自立』を掲げている手前、部外者が首を突っ込むというのも気が引ける。
これは、佐内教諭と生徒たちが決着を付けるべき問題なのだ。
だから俺たちは、テントの端から行方を見守っているだけでいい。それ以上もそれ以下も、彼女らには必要ないだろうから。
俺の考えを汲み取ってくれたらしく、室長からこれ以上無茶が飛んでくることはなかった。
「それもそうだな。君の従妹もいることだし、頭脳なら足りてることだろう。たまにはこうして、親友や親類の晴れ舞台を大人しく高みの見物というのも悪くない」
「そうですね」
同感だった。
あえて相違点を挙げるなら、『晴れ舞台の舞台裏』と言った方が的確かもしれない。
体育祭実行委員を統率していた委員長と芽吹が、本部テントに戻ってきた。
未だ、優勝旗は見つかっていない。しかし、委員長が人数分のトランシーバーを体育倉庫から引っ張り出したことが功を奏し、捜索はかなり効率的に進んでいるらしい。あと十分足らずでグラウンド全域が調べ終わるそうだ。
「ありがとうございます、春峰さん。あなたが手伝ってくれて助かりました」
「そう。お役に立てたなら良かったわ」
若干の疲れが見える委員長に対し、涼しそうな顔で芽吹は答えた。
「あまりに手馴れてたので驚きました。ひょっとして、前の学校でも似たような経験を?」
「いいえ。責任ある立場で指示を出したりするようなことはしなかったけど……うちはトラブルに事欠かない家系だから、知らず知らずのうちに対処に慣れてしまったのかもしれないわね」
相変わらずビデオカメラを本部テントの中に向けて構えている室長に、肘先で小突かれた。大変不本意である。
実行委員長は一瞬だけ小首を傾げていたものの、とくに長々と気に留める様子もないようだった。
「そうですか。出来ることなら次は最初から同じ立場であなたと仕事をしてみたかったのですが……どうやら生憎と、その機会は訪れないようです」
「あら、そんなことをなぜあなたが断定できるのかしら?」
「おや、まだ自白する気になれないのですか」
芽吹の眠そうな表情の奥に、うっすらと緊張の色が浮かんだ。
「自白って、何を?」
「決まってるでしょう。今回の優勝旗蒸発事件の犯人――それがあなただからですよ。三年二組、春峰芽吹さん」
指を突き付けるでもなく、声を荒げるでもなく。
虚空に投げかけた独り言のようにゆっくりと、委員長はそう告げた。
俺はまったく理解が追い付いていない。芽吹が犯人だって? 一体何を根拠に……それ以前に、堂々と言い切った委員長の様子が今までの自分の行動と重なって、羞恥のあまり顔から火どころか火山も噴火を辞さないレベルである。
俺が妙なむず痒さに苛まれる中、芽吹は毅然たる佇まいを崩さずにいた。
「それは一体、どういうことかしら?」
「順を追って説明しましょう。まず、優勝旗を借りる指令が書かれた紙片は確かに実行委員で用意しました。僕の記憶が正しければ、その文面は『対象物:優勝旗、借りる場所:用具置き場』だったはずです。しかしあなたの持つ紙は『借りる場所:優勝クラス』となっている。つまりは偽物です」
「確かに、そう書かれてるけど」
「我々はお題の用紙を、走者が競技中に取り出すための箱に入れる際も慎重に行いました。それこそ偽物が紛れ込む隙がないくらいには。となれば、それが入れられたのは競技中しかない。春峰さん、確かあなたは第一走者として最初に箱に触りましたよね?」
「ええ、そうだったわ」
「ここまで来れば結論は一つ。この偽物の紙を箱の中に入れることができたのは春峰さん、あなたしかいないんですよ」
なるほど、確かに筋は通る。
委員長の言う通り、芽吹は午後一番の競技・三年生による借り物競走の第一走者だった。他の走者が続々と借用と返却を行う中、芽吹だけ探しても見つからないということで最下位に回されてしまったのだ。
紙片に記された文面をここから確認することはできない。でも、二人が異を唱えていないところから、確かな情報であるには違いない。
話をまとめると、委員長は例の紙片を芽吹が競技中に仕込み、そのまま取り出したと考えているらしい。
何故だろうか、妙な引っ掛かりを覚える。
その正体について考えを巡らせていると、テントの中に聞き知った声が響いた。
「違います! 芽吹ちゃんが犯人だなんてありえません!」
両の拳を握り締めて、必死に声を振り絞る塾生・美咲の姿があった。人見知りの激しい彼女にしては、思い切った行動である。
「だいたい、なんで芽吹ちゃんが優勝旗なんて盗むんですか!」
「そうは言われましてもねえ。違うと言い切れる根拠がおありですか?」
「違うとは言い切れないけど、今の推理を覆すことはできるよー」
続いて本部テント内に現れたのは、これまた塾生の心寧だった。その表情は美咲のそれとは異なり、普段通りの余裕に満ちている。
二人とも白いハチマキの結び目が華やかにアレンジされていた。おそらくは芽吹の手掛けたものだろう。
「覆す、ですか?」
「うん。さっき委員長は『最初に箱に触ったのが芽吹だったから』みたいな理由で怪しんでたよね? でも実行委員以外で最初に箱に触ったのはめぶきちじゃないよー」
「……どういうことです?」
「だって午前中にも行われてたよねー、一年と二年の借り物競走」
そういうことか。
借り物競走は、何も午後一番の三年生の競技だけではなかった。午前中に他の学年が競技に臨んでいたのを、俺もしっかり見ている。そして、おそらく指令の書かれた紙片が入れられていた箱は学年をまたいで使い回されていることだろう。
もし下級生の誰かが紙片を入れ、それを芽吹が偶然引き当てたのだとしたら。委員長の推理した真相は大きく覆る。
委員長が言葉に詰まっている隙に、心寧はここぞとばかりに畳みかけた。
「それにさー、偽の紙片を入れた人が優勝旗を紛失した犯人と同一人物も限らないよね? 確かに優勝旗に関する不思議なことが二度も起きてるのは偶然とも思えないけどさー」
「うむ……それなら、あなたたちは誰が犯人だとおっしゃるのです?」
「そこまでは分からないよー。だって私たち、めぶきちがなかなか戻ってこないから探しに来ただけだもん」
委員長と美咲・心寧による口論寸前の状態はなおも続いている。周囲からも、何かが起きていると勘づいた保護者たちの目が向けられていた。視線が集中する中、俺はふとあることに気が付く。
芽吹の姿だけが見当たらない。
先ほどまで本部テントの中にいたはずだけど、どこに消えたのだろうか。
しばらく周囲を見渡す最中、誰かが俺の背中をちょいちょいと突いた。
「……芽吹」
しいっ、と人差し指が立てられる。
「兄さん」
芽吹はうっすらと笑みを浮かべて、校舎の方を指さしながらささやいた。どうでもいいけど、兄さんと呼ばれたのがひどく久しく感じた。
「ちょっと歩きましょう。一緒に」
歓声鳴りやまぬグラウンドとは対照的に、校舎の周囲はひっそりと静まり返っている。まるで巨大な生き物が冬眠する様子を眺めているかのようだった。
その内外を隔てる昇降口の前に、強面の警備員が仁王立ちしている。
「えらい厳重だな」
「毎年体育祭の日に、無関係な大人が決まって一人は侵入するらしいの。だから今年から、警備会社に頼んで封鎖させてるって佐内先生が教えてくれたわ」
ここでも不法侵入ときたか。
「佐内先生なら一人で打ち倒せそうな気もするけど」
「先生も忙しくて手が回らないんでしょう。『頑張れるのは若手のうちだけだから』ってずっと言ってる」
これはまた随分とあの人らしい。
盗難とかの犯罪は起きてないらしいから侵入のことは大ごとにはしてないけど、と芽吹は付け加えた。
校舎の外をぐるりと一回りし、再びグラウンドに出る。
四月とは思えないような灼熱の午前中に比べて、いくらか冷涼な気候だった。お昼時は暑さに顔をしかめていた保護者たちの表情まで、涼しさを取り戻している。風も出ており、各クラスの学級旗は豪快なうねりを見せていた。
旗、といえば。
「芽吹。優勝旗って、どんなやつ?」
「あら。やっぱり兄さんも気にかけてくれていたのね」
「気にかけてるというか、俺はてっきり旗を探すために連れ出されたんだと思ってたから」
あれだけ近くでひと悶着起きていたら、一部始終は嫌でも目に入る。
「それで、どんな旗なんだ?」
「見た感じは甲子園で使うような、赤とか黄色とかの普通の優勝旗ね。一応、日野原中の名前と校章が入ってるわ。私もちらっとしか見てないから、細部までは覚えていないけど」
想像していた通りだった。
先ほど調べてみたところ、その類の旗は通販サイトで十万は下らない値が付いていた。実行委員長や芽吹がどうりで焦るわけだ。
「本来なら、委員長が言っていたように用具置き場にあったのか?」
「よく知らないけど、どうもそうらしいの。委員の人の話によれば、閉会式でしか使わないから旗と柄を別々に置いておいて、閉会式の直前に組み立てるって言ってた。今回なくなっていたのは旗だけで、柄は用具置き場に残ってたわ」
「……珍しい保管の方法だな」
「旗立て台もあるにはあるのだけど、かさばるから使っていないそうね」
聞けば、普段から柄と旗は別々に保管されているらしい。旗は埃が付着しやすいため、箱に入れられたまま体育倉庫の奥で年に一度の体育祭の日を待ちわびているそうだ。
なるほど。それならば。
「柄がついていないなら、持ち出すのは楽かもしれないな」
「でも、そうとも限らないの。保管場所の用具置き場は、ずっと二人以上の実行委員による監視の目があったから至難の技だと思うわ。さっき委員たちに確認したところ、誰もなくなってるのに気づかなかったらしいし」
また別の難しさがあるのか。
これでもない、あれでもないと唸りながら練り歩く。誰も彼も、グラウンドで行われる競技に釘付けであり、外側にいる俺たちの存在を気にも留めない。普段は厄介事や催し物の内側にいることが多いため、こうして一歩引いた立ち位置からの景色は新鮮だった。
そんな折、芽吹が含み笑いと共に放った一言に、俺は思わず驚いて顔を上げた。
「でも意外だったわ。今回は手伝ってくれないと思ってたから」
……やってしまった。
今回は首を突っ込むまいと決心したはずだったのに、いつの間にか渦中で考えに耽ってしまっている。『自主自立』のモットーが聞いて呆れる。
やっぱり俺は、外側でじっと見ているのは性に合わないのかもしれない。高校時代についた悪癖が今もなお、染み付いて離れないのだ。
「そのつもりはなかったけどさ。見つからないとマズいんだろ?」
「そうね。かなりマズいかも」
こうなってしまっては後には引けない。自らの背負う呪いを厭うのは後だ。
「芽吹。例の紙片、見せてくれないか?」
「いいわ。はいこれ。ずっと握り締めてたからだいぶ萎れてしまったけど」
差し出された紙を、ぐいと睨む。芽吹や委員長の言う通り、『対象物:優勝旗、借りる場所:優勝クラス』との文言しか書かれていない。
……よく考えるんだ。
消えた優勝旗、偽物の紙片。借り物競走、用具置き場。閉鎖された校舎――
体育祭で目にした諸々が、脳裏を駆け巡る。しかし、全てをひとつに繋ぐにはまだ至らない。優勝クラス、厳重な警備、分離しての保管。そして――
「物事の外側……あっ」
一陣の閃光が、軌跡を描いて迸った。
そうか、そういうことか。
「何か分かったのかしら?」
「ああ。きっと優勝旗は、今頃校舎の中に――」
「ありがとう兄さん!」
俺が言いかけた途端、芽吹は走り出した。あっけにとられている隙に、華奢な体ですいすいと観衆の間を駆け抜けていく芽吹の姿はあっという間に人ごみの中に消えていった。
大丈夫、行き先に心当たりはある。俺は来た道を引き返してそこへと向かった。
走ること数分。体育祭実行委員の本部テントの中に、芽吹の姿はあった。
「みんな! 校舎の中を探すの手伝ってほしいのだけど、いいかしら?」
「……はて、競技中は立ち入り禁止のはずでは?」
「いいから! そこにあるって確かな情報が入ったの! 佐内先生、何人かを連れ立って捜索に当たってくれないかしら。先生の頼みなら、警備の人も開けてくれるはずだわ」
「分かった。よし、本部テント内にいる数名の委員諸君に告ぐ! 校舎の中に突入するから付いてこい!」
威勢のいい掛け声と共に、捜索隊は校舎の方へと駆け出した。
その場に残った芽吹は俺の姿を見つけると、人差し指で校舎の方角を何度も指し示し始める。俺も行った方がいい、ということだろうか。
昇降口の警備員に事情を伝え、校内に上がる許可を得た。先行する捜索隊は、もう方々に散ってしまっているのかその姿は既に見えない。
「兄さん、校舎内のどこにあるのかまで分かるかしら?」
「一応予想は付いてる。だけど、数回しか中に入ったことはないからどの教室がどこにあるのかは今一つ自信がなくて」
「それなら任せて。私が案内するわ」
はい、と手が差し伸べられる。小さな白いその手を、俺は握り返す。
この温もりと景色に、既視感を覚えた。
「あの時とは真逆ね」
「あの時?」
「覚えているかしら。私が兄さんの高校の文化祭で迷子になったとき、こうやって手を引いて案内してくれたの。もう三年も前なのね。忘れちゃったかしら?」
いや、今でも覚えている。件の日記帳を読む前から、はっきりと。
そして芽吹の方も、忘れてなどいなかった。状況も性格さえも一転してしまったけれど、当時の記憶はしっかりと残っているようだ。
だからこそ、尚更不思議で仕方がないのだ。あの時の芽吹の笑顔は、思い出だけを残してどこに消えてしまったのだろうか。何が芽吹を変えてしまったのか。
「まあいいわ。思い出話は後回しにしましょう。兄さん、優勝旗の在り方を教えてちょうだい」
「分かった。あくまで推測だが、おそらくは――」
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