3-1 塾講師は親友じゃない 1


『友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらずあなたのことを好んでいる人のことである。』

 そう格言を残したのは、エルバード・ハーバードというアメリカの作家らしい。ちなみに俺は、彼の代表作を読んだこともないどころか作品名すら知らない。けれどもなぜかこの格言だけは不思議と頭に残っている。

 彼の定めた友人の条件は、概ね間違っていないんじゃないかと俺は思っている。これが全て当てはまってかつ『友達』の関係にないのなら、きっとその人は家族か恋人か、そうでなければ熱烈なストーカーだ。今後の付き合い方を考えた方がいい。

 それはさておき、実際に全人類が納得できるような友人の定義を決めるのは不可能に近いだろう。『宿敵と書いて友と読む』なんて突飛な思想もあるくらいだ。そんなものまで考慮すると、もう訳がわからなくなる。

 だからこそ俺は思う。『友達』という言葉はハーバード氏が論じたような明確な境界がないからこそ便利であると。そして、その曖昧さにつけ込んで『友達』という表現をいいように使っているのが、悲しいかな俺たち塾業界なのだ。

 それではここで、塾業界に古くから伝わる最低極まりない友達の定義を発表するとしよう。

『友達と書いてカモと読む』

 オマージュネタゆえの妙な語呂の良さが、また一層小憎らしい。



 友達紹介キャンペーン、という制度がある。

 学習塾が生徒を増やすために、友人紹介で入塾した新入生とその紹介者に謝礼を与えるというものだ。図書カードなどを用いるのが通例である。先ほどの最低な定義は、このキャンペーンの存在に由来している。

 あの定義、一体誰が考えたんだろうか?

 そして俺こと門出窓太かどでそうたの勤める神奈川塾相模原校かながわじゅくさがみはらこうも、来週にキャンペーンの始動を控えていた。

 しかしながら、アルバイト講師にとってそのキャンペーンの存在は極めて希薄だ。営業利益などの数字は正社員だけが気にするもので、せいぜい俺たちの役目は『ぜひ友達を塾に連れてきてね』と語尾に加えるくらい。俺も今の今まですっかり失念していた。

 大学での講義を終えた金曜の午後。

 暗号騒動の解決をもって幕を開けた今週が、早くも終わろうとしている。

「門出君。これを君に渡そう」

「これは……図書カード、ですか」

 俺が早々に出勤すると、加賀美かがみ室長は乱暴な手つきでピーターラビットの印刷されたカードを手渡してきた。三千円分、と記載されている。

「賄賂か何かですか?」

「違う違う。ほら、この前カモ……じゃなかった、新しいバイト講師として君の学友を紹介してくれたじゃないか。その報酬だ、自由に使うといい」

 なるほど、この人も業界に巣食う悪党の一人だったか。数少ない大学の友人をカモ呼ばわりした罪は大きい。

「あのキャンペーン、講師も対象だったんですね」

「人手不足が深刻なんだよ、うちは。人件費を払うためにコスト承知でキャンペーンを打つなんて、変な話だけどね」

 たしかに相模原校は先週まで正社員二人とアルバイト二人でなんとか回していた。時折、大型校舎の横浜校か本社から助っ人社員を借りてきたりもしていたけど、さすがに無理が生じてきたらしい。

 俺はありがたく図書カードを受け取る。

 子供のころはプレゼントの定番だったけど、働かずして三千円分の報酬は大学生になった今でも大きい。芽吹の参考書を買うために貯蓄しておこう。

 室長は何やら読み物にふけっている。生徒に配るはずの図書カードを横領して漫画を大人買いしたなどということはなく、よく見ればそれはつい先日まで俺の自宅にあった件の黒い日記帳だった。

「なんで室長がそれを?」

「春峰さんから借りたのだよ。彼女曰く『うちの兄さん時々すごく扱いづらいと思いますので、これをお役立てください』だそうだ。よくできた従妹じゃないか」

「人のプライバシーを何だと思ってるんだ……」

「春峰さんの言う通り、ここには君の原点が詰まっていてなかなか面白い」

 室長は日記帳に挟んでいた栞を抜き取り、意気揚々と音読を始めた。周囲にほかに誰もいないことが唯一の救いだった。



 水曜日

 陸上部長の水重君から『練習に来てくれ』と誘われ、なぜか二人で長距離を走ることに。息も絶え絶えになりながら着いたのは、夕焼けに染まる横浜の海。彼はすまし顔で俺の肩を支えながら『この景色を一緒に見たかったんだ……よしOK。ありがとな、本番もしっかり決めてくるぜ!』と朗らかに笑う。どうやら俺が付き合わされたのは、大会の後に後輩女子に告白する練習だったらしい。二度と行くか、というより、二度目がないように上手くいくことを祈う。頑張ってくれ。



 木曜日

 新聞部長の木村さんから、演劇部のお宝映像を探してこいと頼まれる。放送部長・火野さんから渡されたテープに入っていたのは五年前の自作戯曲『十一人のシンデレラ~サッカー部発足編~』。主演俳優の華麗な足さばきに演劇部長・月本君も驚嘆する中、突如現れた陸上部長・水重君から衝撃の一言が。

『あれ、ケガでサッカーを辞めた俺の兄貴なんだぜ』

 その後のお兄さんへの取材で、全校が涙した伝説の校内新聞が完成した。その裏で、ひとりの男が校了まで無休で働かされていたことは誰も知らない。二度と行くか。



「青春だな」

「どこがですか」

「なんというか、君の周りには今も昔も人が集まるね」

「多分、俺の周囲にたまたま物好きが多いだけです」

「それは君の友人たちに失礼だろう。あくまで私の推測だが、他ならぬ君だからこそ友人たちは物事を頼み込んでいたんじゃないかな。君ならどんな些細なことも全力で乗っかってくれる。こないだの合格実績や暗号の件だってそうだ。そんな君に彼らは惹かれたんだよ。ただの労働力とか便利屋とかカモとか、そんなことは思っていなかっただろうね」

「……だといいですね」

 加賀美室長は顔を上げると、ふふっと笑みを溢した。

 先述の通り、友人の明確な定義は定めようがない。

 けれども、もし加賀美室長の言ったような関係を、高校時代を彩ってくれた彼らと築けていたのなら。それは誰が何を言おうと『友人』の関係にあったと信じたい。何より、俺は彼らの(大抵厄介ごとに巻き込んでくるという)素性を知りつつも楽しい日々を共に送ってきたのだ。ハーバード氏の定義にもしっかり準じている。

 俺は手元の図書カードに視線を落とした。

 先日俺が紹介した新人講師は大学入学後に出来た友人で、まだ出会ってから日も浅い。いずれ彼とも、三千円分図書カードの何倍も価値のある絆を築けることを期待するとしよう。

 ああそうそう、と室長は再び俺に向き直った。

「君が連れてきてくれた新人の教育は任せておくれ。一瞬で一人前の講師に仕立て上げてやる。だから君は引き続きカモ……じゃなかった、講師や生徒をじゃんじゃん集めてほしい。この校舎が大きくなれば、本社に対する私の立場もぐっと上がるだろう。期待しているよ、門出君」

 なんというか、全てが台無しだった。



 一限目の授業が開始する直前。

 チャイムを遮り、加賀美室長は教室に集まった生徒たちの前に立った。連絡事項があるとのことらしい。

「諸君ッ! 今日は何の日か心得ているかい?」

 胸を張って得意げに振る舞う室長。それに対し、生徒たちはいたって静かだった。加賀美室長の問いにピンとくる答えが思い浮かばないようで、何かあったかしらと隣席と相談を始めている。

 なぜだろう。嫌な予感がする。例によって根拠はないけれども。

「ぬ、抜き打ちテストとか、ですか?」

「違ぁうッ!」

 おそるおそる答えた美咲を室長は一蹴した。ヒッと小さく悲鳴を上げた美咲には目もくれず、叫んだままの形相で室長の視線がこちらに向く。嫌な予感、的中。

「門出先生なら分かるだろう?」

「いえ、さっぱりです。四月中旬なんで『大志を抱く日』みたいなのがあった気がしますけど」

「ハズレだ。まったくどいつもこいつも……四月十六日は私の誕生日だ! テストには出ないが各自覚えておくように!」

 まばらな拍手が起こる。振り切った加賀美室長のテンションに、誰も追いつけていない様子であった。

 その後も諸連絡が続く。

 トピックの中心は、中三生を対象とした進路希望調査に関しての話だった。

「前にも伝えたと思うが、今週末の日曜が回答締め切りだ。あくまで現時点での希望でいいが、しっかり書いて提出しておくれ」

「あれ、日曜も塾開いてるんすか?」

 きょとんとするエースに対し、室長はため息を溢す。

「こないだも再三確認しただろう? 君たちのメールアドレスにアンケートフォームを送ったから、空欄をうめて返信してくれれば問題ない。ちなみに、校舎には誰もいないから間違って来ないように」

 おお、と思わず感嘆の声が出た。

 どうやら最近の進路希望調査はインターネットを用いて行うらしい。確かにこれならデータをまとめやすく紙を紛失することもない。そのうえ、土日を使ってしっかり保護者と相談しながら回答できるという利点もある。

 とはいえ、ずいぶん時代が進んだものだ。

 感心しているうちに室長の号令で授業が始まり、ほどなくして室長の号令で授業が終わる。

 二限目を控えた休憩時間中。中三生の座席近辺は、進路の話で持ち切りだった。

「なぁ。前に約束したように、俺たち三人同じ高校に行けるといいな。俺はお前らと一緒にまたバスケやりたいからさ」

「……そうだね。それならエースはもう少し努力が必要だけど」

「うっせえ! 偏差値の十や二十なんて、すぐ追い抜いてやる!」

 案の定、一番賑わいを見せているのはバスケ部三坊主だ。

 彼らの坊主頭は『中一の頃に三人でヤンチャして怒られたから剃ったものの、それ以降バスケが妙に調子づいてきたから三人とも剃り続けている』という理由があるのだと最近聞いた。マリモのような青い頭も、彼らの絆の証なのかもしれない。

 その絆は、中学卒業後も紡がれ続ける予定らしい。彼らの約束が叶うことを、俺も心の内で願っている。

「ねーねー、めぶきちはどこに進学するのかなー?」

「どこだっていいわ。高校生活を楽しくするのは結局自分次第って、門出先生も言ってたし。あと、毎度会うたびに頬っぺたいじるのやめてちょうだい」

「芽吹ちゃんも先生も冷めすぎです……」

 心寧・芽吹・美咲の三人娘も、話題の中心は進路についてだった。相変わらず、謎のじゃれ合いが発生している。

 しかし、誰一人として高校名を言おうとはしなかった。

 たしかに志望校を公表するというのは、自分の学力や目標、場合によってはその先の将来像までをもさらけ出すことに等しい。彼らにとっては、かなりデリケートな話題なのかもしれない。

 だからこそ、今のうちに言っておかなければならないことがある。彼らが本当に『友達』の関係なら必要ないことだが、念のために一応。

「中三の皆は本心から行きたい高校をよく考えて選ぶように。どんな選択だろうと、俺たちはそれを尊重してサポートする。絶対に笑ったり、『諦めろ』なんて言わない。だから皆も、互いの選ぶ道を尊重することを心がけてほしいんだ。約束できるか?」

 はーい、と大きく声が上がる。それが聞ければ俺は満足だった。



 土日を挟んだ翌週月曜。事件は唐突に起こった。

「あら門出先生。娘がお世話になっております」

「こちらこそ。いつもありがとうございます」

 出勤する道中でばったり出くわしたのは美咲の母親だった。娘同様、たおやかな佇まいをしている。何度か塾舎で会ったことがあるため、すっかり俺とも顔なじみである。

「昨日も夜遅くまでお仕事なさってたみたいで、先生方には頭が上がりません。お体にはお気をつけくださいね。今後も娘をよろしくお願いします」

 急いでいたのか、言いたいことだけ残して美咲の母は去っていった。

 ……ん?

 俺は腕時計を確認する。月曜日、とあった。

 なら昨日は紛れもなく日曜日だ。それに加えて、確か加賀美室長は『土日は平常通り休校となっていて誰も来ない』と明言していた。

 しかしながら、美咲の母曰く『昨日も夜遅くまで』誰かが塾舎で働いていたらしい。

 これは、どういうことなんだろうか?

「謎の休日出勤者、現る」

 厄介な友人が寄って来るように、厄介な謎もまた次々に押し寄せてくるらしい。

「まったく、勘弁してくれ」

 この件について室長に相談すべく、俺は塾舎へと急いだ。

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