2-4 塾講師は羅刹じゃない 結 


 土日を跨いで迎えた月曜日。授業まではまだ少し時間がある。

「さて、早速だが始めようか」

 タイムカードを切って間もなく、同じく早期に出勤していた室長が取り出したのは先日美咲から渡された暗号の紙切れだった。今日も今日とて、唐突極まりない始まり方である。

「これ、君は解けたんだよね?」

「なんとなく解法の見当はついてますけど、まだメッセージを読み解いてはいません」

「ふむ。私も今朝までは似たような段階だった。だが、いざ解読してみたら意味のある言葉にはならなかったんだ。この方法で間違いないと思ったんだがね」

 どういうことだろうか?

「一応、その手法をお聞かせ願えませんか?」

「役に立つかは分からんが、いいだろう」

 そう言うなり、室長は美咲の紙切れを俺の見やすい位置に移した。


『加賀美先生へ

 木2 火2 水4 月3 火5 月5

 水4 金4 火4 水2 月3 水1 金5

 よろしくお願いします。渡合美咲』


 さて、と話が切り出される。探偵役に憧れていたのは俺だけではなかったのかもしれない。

「これは前提としてだが、美咲は悪戯でこんなものを作る生徒ではない。だから、この暗号には何かしらの意図があると私は見ている」

 俺は頷く。まったくの同意見だった。

「では、改めて解読に移ろう。この置手紙にある曜日と数字はスペースで区切られている。安直だが、一つずつのセットで何かを現していると考えるのが自然だ」

 これまた、俺が思い描いていた解読方法と同じであった。

 この羅列が意味のある言葉を示しているのなら、ひとつひとつの組み合わせは対応する別の文字か何かに変換できるのかもしれない。それを繋ぎ合わせることでメッセージが見えてくる、というのがベタではあるけれど、よくある手法だろう。

 加賀美室長は教室のパソコンを起動した。デスクの下に置かれた本体が、ブゥンと地を這うような唸りを上げる。

「そうなると、欲しいのは各セットが指し示すものを明らかにする法則性だ。ところで門出君、曜日と数字の組み合わせといえば何を思いつくかい?」

 そうですねぇ、と思索を張り巡らせる。

 ぱっと思いつくものがいくつかあったけど、待ちきれなかったのか否か、俺が答えるのに先んじて室長はエンターキーを叩いた。

「そう、時間割だ」

 パソコンデスクの脇に添えられたコピー機から、一枚の紙が吐き出される。

 先日、パソコン画面越しに見た一週間の時間割が印刷されていた。マスの配置も同様で、横軸には月曜から金曜が左から、縦軸には一から五の数字が上から並べられていた。軸を除いたマス目は全て空欄である。

「見ての通り、美咲の手紙にあった数字の範囲は一から五。五限目まで授業がある相模原校の時間割とちょうど一致するのだよ」

 出来立てほやほやの時間割に、加賀美室長はペンを走らせる。キャップに結びつけられた三角形のアクセサリーがちゃりちゃりと音を立てた。宝物だというわりには、今にも千切れそうな勢いで振り回されている。

 一切それを気にする素振りを見せず、室長の視線は時間割に注がれている。

「マス目は全部で五×五の二十五個。これが二十六ならアルファベットを当てはめるのだが、今回はひとつ足りない。いろいろ考えてみたんだが、五十音表のア行からナ行が一番怪しいと思っている」

「なぜ前半なんです?」

「国語辞典を横から見てもらえれば一目瞭然なのだが、日本語はア行からナ行で始まる言葉の方が圧倒的に多いのだよ」

 教室から手近な国語辞典を手に取る。確かに、五十音の前半の行の語句を扱っているページの方が分厚かった。

 室長は時間割の空欄に平仮名を当てはめている。小学一年生の時に扱った五十音表に倣い、右上から左下に向かって『あ』から『の』が埋められていく。

「最後に、この表通りに暗号を変換して出てきた文字がこれだ」


 き ち せ ぬ と の

 せ え て し ぬ さ お


「ほらね、意味不明だろう? 一応ハ行からワ行でも試したのだが、これも意味のある言葉にはならなかった。私はもうお手上げだ」

 加賀美室長は椅子の背もたれに寄り掛かると、ふぅとため息をついた。強張っていた肩からも力が抜けている。

「あとは君に任せたよ。でもその前に、そろそろ電気ポットが鳴り出す頃合いだ。口が乾く前に紅茶でも淹れてきたらどうだい?」

「ええ、そうします」

 俺は講師控え室に紙コップを取りに向かう。

 室長の分も要るかどうかは聞かなかった。何せ、今の話がなければ俺はこの暗号を解読するに至らなかったと言っても過言ではない。是が非でも、ここは功労者へのお茶も献上させてもらおう。



 さて、と紅茶で潤した口を開く。

 以前とは異なる茶葉を使っているのか、香りの深みが心なしか増していた。

「そもそも、なぜ渡合さんは暗号を用いたのでしょうか。遊びでないとするなら、理由はたった一つに絞れます」

「他人に簡単に読まれないようにするため、だろうか?」

「はい。それしかないはずです」

 芽吹の言葉によれば、美咲曰く『室長にしか読めない』とのことだった。それは『解読のカギは加賀美室長だけが握っている』とも言い換えられる。

「そのひとつが、先ほどの時間割を使うというアイデアかと思われます」

 先週金曜の夜、室長にメールを送った時。俺は相当な見当違いをしていた。

 曜日と数字の羅列を解くカギは、てっきりカレンダーにあると思っていたのだ。しかしそれは、手元に件の日記帳があったために得た着想である。

 俺にとって曜日と数字で真っ先に思いついたのはカレンダーだけど、室長に最も身近なものは時間割だったのだ。

 教室に貼り出されるのは当日の時間割のみ。しかし、加賀美室長は週単位での時間割を塾内で唯一用いていた。『室長にしか読めない』原因のひとつは、まさしくそこにあった。

「ふむ。それなら、なぜ私の解読法ではメッセージに辿り着けなかったんだ?」

「おそらく、万が一にも他の人が読めてしまうことを恐れたのでしょう」

 実際、中学などでは似たような週単位の時間割表を使うのが一般的だ。生徒たちなら、先ほど作成したような対応表を思いつく可能性は十分存在する。

「だから、渡合さんはもう一段階細工を施した。そしておそらくその解読法を、何かしらの形で室長だけに伝えているはずです。思い当たる節はありませんか?」

「私は何も伝えられてないぞ?」

「直接とは限りません。例えば、渡合さんはこの暗号の他にもう一つ、不可解な行動を取っている。それも今週中に。断定はできませんが、そこに鍵があると俺は踏んでいます」

 あっ、と室長が小さく声を上げた。しばらく机の引き出しを漁ったのち、一枚の紙を取り出す。

「きっとこれだ。間違いない」

 それは先週分の振り替え授業の申請書だった。

 時間割を組み立てるのは室長であるため、生徒一人一人がどの授業をどの時間帯に振り替えるかは室長と本人以外が知ることはない。俺たち講師が知るのは、先週の箕輪先生のように、当日にイレギュラーな授業があるか否かだけである。

 申請書には、次のように記されていた。


『今週の授業を、以下の通りに変更をお願いします。 

 月3→火1(理科)

 水2→木3(数学)

 水4→木1(英語)

 木2→火3(社会)

 金5→金2(国語)

 よろしくお願いします。渡合美咲』


 これで決まりのようだ。ここまで来れば、解読は秒読みである。

 暗号部分を、申請書の通りに曜日を入れ替えていくと次のようになった。


 火3 火2 木1 火1 火5 月5

 木1 金4 火4 木3 火1 水1 金2


 そして、先ほどのア行からナ行の対応表を用いて平仮名に変換する。これで浮かび上がったものこそが、美咲の伝えたかったメッセージなのだろう。


 つ ち か た と の

 か え て く た さ い


「『土方殿つちかたどの、変えて下さい』……土方先生を授業の担当から外してほしいということか? 直接言ってくれれば済むものを、どうしてこんな回りくどい方法で――」

「きっと、知られたくなかったんだと思います。室長以外には」

 土方先生は侍や鬼と称されるほど厳しい先生だ。一時期の俺と同じく、人によっては苦手に思うこともあるだろう。

 ただ、苦手であることを口に出すのは時に憚られる。箕輪先生のタケノコの下処理や加賀美室長の高所恐怖症ならまだしも、今回は対象が人間だ。万が一にも本人や第三者が聞いていたら、と思うとなかなか言い出しづらい。

 だから美咲は、声を発することなく室長だけに伝えられる暗号という方法を取ったのだろう。

 もしかしたら、度重なる振り替え授業も、土方先生に当たらない時間帯を探すためでもあったのかもしれない。

 加賀美室長は顔を上げた。

「君は美咲の理系科目担当だったね。本人からは何も聞いてないのかい?」

「はい。ただ、もしやとは思っていました」

 きっかけは箕輪先生との帰り道だった。

 その日に美咲が発したという『今回は箕輪先生が担当なんですね。嬉しいです』という台詞。聞いた当初はかなり凹んだけれど、冷静に考えてみれば箕輪先生は以前国語を講じていたように文系科目担当だ。ならば比較対象は俺ではなく、必然的に土方先生になる。

 そうか、と室長は小さく呟いた。

「この件をどうするかだが、まだ土方殿には伝えないでおくよ。意外と気落ちしやすいんだ、アイツ。とりあえず、今日の様子を見て決めようと思う。美咲の要望も叶えてやりたいが、土方殿と私の努力が報われないのは悲しいからね」

 あー悲しい悲しい、と室長は嘆く。

 その口元が小さくにやけているのを俺は見逃さなかった。

 あれは何かを企むときの顔だ。

「策があるんですね?」

「ああ。あのなまくら侍に、とっておきの付け焼き刃を贈呈するよ」

 暗号騒動の仕返しだと言わんばかりに、室長の表情は自信に満ちていた。

 


 土方先生も交え、本日の授業も四限目まで滞りなく行われた。

 続く五限目に俺の担当する授業はない。しかし、加賀美室長に電話番を頼まれたためロビーにて残留中である。程よく疲れた脳内は『早く帰りたい』という願望で満ちていた。

「門出先生。少しお時間宜しいですか?」

 ふいに呼び止められた。顔を上げて確認するまでもなく、野太い声と丁寧な口調から土方先生だと分かる。相変わらずその姿は二十四には見えない。

「はい。どうかしましたか?」

「先日、私が青二才だった頃の話を聞いたそうではありませんか」

 急に背筋が凍りつく。もしや、記憶が無くなるまで痛めつけられたりするのだろうか?

 しかし、予想に反して土方先生の表情は穏やかだった。

「配属が決まったあと、加賀美室長は未熟だった私に『先に生まれたと書いて先生』だと教えて下さいました。しかし私は思うのです。それと同時に『先を生きる』と書いても先生である、と」

 おお、と思わず声が漏れた。今まで考えたこともなかった解釈である。

「加賀美室長は私にとって紛れもなく『先生』でした。先行く背中に憧れ、追いかけたいと何度も思いました。しかし、私は別のやり方を選んだ。何故だか分かりますか?」

「……いえ、さっぱり」

 俺は首を横に振った。

 確かに、室長と侍氏は持ち味の異なる講師だ。こんな方向に成長を遂げるとは予想外だったという話は、室長から既に聞いている。

 侍氏は鋭い瞳の中に温かさを湛えていた。

「私が目指しているのは、加賀美室長そのものではなく室長を支えられる存在なのです。前から引っ張っていくのではなく、後ろから皆の気を引き締める。彼女では務まらない役割をこなせる、そんな副室長でありたいと常々思っています」

 なんとも土方先生らしい。

 けれども、やはり知らないのだろうか。

 彼は目標を既に成し遂げている。その証拠に、本社に無理を言ってまで加賀美室長は右腕である土方先生を必要としていたのだ。

「だから、人にも自分にも厳しくあり続けているんですね」

「はい。室長が明るい雰囲気を保つ傍ら、強く正しく生きる手本として『先生』を務め上げる。それが私の役目ですから」

 険しい表情が一瞬だけ緩んだような気がした。それを見て、俺は確信する。

 土方先生は厳しいだけの鬼などではない。

 俺や芽吹と同様に勘違いされやすいものの、上司や生徒を思いながら自らの先生としての道を貫く、立派な塾講師なのだ。



 そういえば、と土方先生はパソコンデスクの引き出しから大きめの封筒を取り出した。中身は何やら紙束がぎっしりと詰まっている。

「加賀美室長からの頼みで、返ってきた模擬試験の結果を確認してほしいとのことです。門出先生もご覧になりますか?」

「はい、ぜひとも」

 記載されている日付は三月の末。俺も採点には関わっているけれど、全員分をはっきり見たことはない。ありがたく拝見させてもらうことにする。

 おぉ、と隣席から声が上がった。

 土方先生が見ていたのは美咲の結果だった。横から覗いてみれば、以前の模試の結果と比較したデータが真っ先に目に留まる。国語の点数が一段と跳ね上がっていた。

「すごい上がり幅ですね。今回の最高値じゃないですか?」

「ええ。喜ばしい限りです」

 そういえば、美咲の文系科目は土方先生が担当していた。

「彼女、授業中は苦い顔をしても一切弱音だけは吐かず、宿題も小テストも着実にやり遂げていましたから。厳しい言葉をかけたこともありますが、渡合さんの努力は誰よりも間近で見ておりました。本当に、よく乗り越えたと思います」

 突如背後から、ばさりと何かが落ちる音が生じた。

 振り返ると、教室から通ずる扉の前に目を大きく見開いた美咲の姿があった。共に授業を受けていた心寧も一緒である。

 一冊のノートが美咲の手からずり落ちていた。おそらく、さっきの音の正体はこれなのだろう。

「あ、あの……数学の質問があったんですけど、加賀美先生から今くらいの時間帯に門出先生に聞くように言われて、それで……別に、立ち聞きするつもりはなかったんですけど……」

 あわあわと狼狽える美咲に、土方先生は試験結果の紙を手渡す。

「素晴らしい結果です。よく頑張りました」

「ありがとう、ございます……!」

 緊張しつつも美咲は嬉しさを表情に露わにしている。

 ああそうか、と俺は納得した。

 土方先生の最大の美点は、厳しさを裏付ける正しさにある。手厳しい指導の後だからこそ、彼の本心からの称賛は生徒たちの心に届くのだ。

 加賀美室長の策略は、その美点をさらに引き出した。

 以前本で読んだことがある。直接褒められるよりも自分が褒められているのを偶然聞いてしまう方が、より本音らしさが増して効果的なのだ、と。

 今回生じた『偶然』は、明らかに加賀美室長が手ぐすね引いていた。土方先生や美咲をロビーに集めたのも、思い返してみれば全て室長の指示である。

 全てを予見していたかのようなその手腕に唸りながら、俺は最後の仕事に取りかかった。この秘策が功を奏したかどうかを確かめなければならない。

「結果に関する詳しいアドバイスは加賀美室長から貰っておいで。数学の質問は、授業が終わったら聞くことにしよう」

「……はい!」

 駆けて行かんばかりの勢いで美咲は教室へと戻っていった。

 苦手に対して、一番簡単なのは見なかったことにして逃げるという方法だ。しかし、あえて向き合うことで初めて浮き彫りになる事実も少なからずある。そこに苦手払拭の鍵が眠っていることもあるかもしれない。

 だからこそ、向き合い方を見誤ってはいけないのだ。

 一度舞い落ちた桜の花びらが枝先に戻ることはない。収穫期を逃したタケノコは二度と食べられない。苦手も同様に、完全に縁を切ったら最後、もう一度向き合うのは困難である。苦手払拭の鍵が潜んでいたとしても、永遠に見つけることは難しくなってしまう。

 だから俺たち講師は願うのだ。一度でいいから、取り返しがつかなくなる前に苦手分野と向き合って欲しい、と。

 教室の中から微かに美咲の声がする。『こないだお願いした件なんですけど、やっぱり――』との言葉に、俺は拳を固く握り締めた。本日中というタイムリミットに、危うくも間に合ったようだ。

「ねー、あんちゃん」

「兄ちゃんって呼ぶな」

 もう一人、生徒がロビーに残っていたことを完全に失念していた。

「なんでさっき兄ちゃんがアドバイスしてあげなかったのー? それって完全に職務放棄じゃない?」

 少し癪に聞こえるけれど、事情を知らない心寧からすればそう見えるのかもしれない。

 のそり、と背後に動きがあった。心寧の口から甲高い悲鳴が小さく上がる。野太い声が、すぐさまそれをかき消した。

「そうですか。なら、倉橋さんには僭越ながらわたくしからアドバイスを差し上げましょう。まず、国語の一問目ですが――」

「ひいぃ、土方殿つちかたどのには頼んでないですからー! 兄ちゃんも見てないで助けてよー! 兄ちゃんの鬼! 修羅! 悪魔! 悪鬼羅刹!」

 背中にかかる悲鳴を俺は完全に無視した。土方先生の厚意に口を挟んで無下にしたくはない。第一、心寧の点数もそこまで悪くはないのだ――苦手科目の国語を除けば。

 今回は目一杯、苦手と向き合ってもらおう。



 勤務を終えてアパートに戻る。

 ただいまと呟く声に、今日は返答があった。

「おかえりなさい……あら、もうこんな時間なのね」

 ダイニングテーブルに座した芽吹は、またもや俺の高校時代を綴った日記帳を読みふけっていた。そんなに面白いか、それ。

 土日で作りすぎたタケノコ料理の残りを温めながら、帰り道で生じた疑問を芽吹にぶつけてみる。

「芽吹って、苦手なものはある?」

「なます。独特の匂いがもうダメね」

 即答だった。確かに、俺もあまり得意ではない。

「それと、もう一つあるのだけれど……黙秘しておくわ」

「なんだそりゃ」

「秘密を抱えてたほうが女は魅力が増すって、加賀美先生が言ってた」

「何を教えているんだか、あの講師は」

 立てて加えて、室長の言葉となると説得力は途端に皆無である。

「今日のところはもう寝るけど、またこの日記読ませてね。おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」

 芽吹は読んでいた日記帳をぱたりと閉じて、自らの部屋へと帰った。

 机の上に置き去りにされたその日記帳をぱらぱらとめくる。確かあれは、俺が高校一年で芽吹が小六の頃だっただろうか。

 記憶の通りに、そのページは存在した。


 文化祭二日目

 東京から来てくれた従妹の芽吹に校内で遭遇する。なんと迷子になったらしい。仕方なく部活のシフトを投げ出して、目的地である講堂に案内した。演劇部の戯曲『十一人のシンデレラ~地区予選編~』がどうしても見たいのだそうだ。

「ほら、着いたよ。何か困ったらまた頼ってくれ」

 なぜか粋がった俺に対し、芽吹は眩しい笑顔で答えた。

「ありがとね、窓太兄さん!」

 その後、部活の先輩から無断で抜け出したことをこっぴどく叱られた。

 いつもなら『二度と行くか』と締めるところだが、あの笑顔を見られるならもう一度くらい頼られてもいい。


 共同生活が始まる前、最後に芽吹に会ったのがその時だった。文化祭後、生物部の部長に就任してからの俺はかなり忙しく、親戚の集まりにもなかなか顔を出せない日々が続いた。

 俺は芽吹の眠る部屋に視線を送る。静かな寝息が聞こえた。



 この生活が始まってから、解決に至っていない謎が一つだけある。

 久方ぶりに再会した春峰芽吹は、俺の記憶の中の少女とまるっきり性格が異なっているのだ。

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