太平記

結局時の流れって、アレやな

『太平記』 不詳 室町時代


後S河

 「な、北条くん、ええ感じであかんくなってきたんちゃう?」


後T羽

「あー、高時やろ、アレはヤられる思うわ。」


後U田

「ほっほっほっほっ、左様でおじゃりますな。」


後T羽

「ほんま長う、かかったわ。」


後S河

「せや、後T羽くんなんか、打倒鎌倉とかゆうて、承久の乱、やってんけど、瀬田でグダグダやったやんな?」


後T羽

「え?まって?そもそもやで、後S河くんが、平家しばいたれや!ゆうて、頼朝をけしかけたんが悪いんちゃう?そっからやで、武家がいちびりよったんは。」


後U田

「ほっほっほっほっ、左様でおじゃりますな。」


後S河

「せやかて、源くん、三代であかんくなったやん?あん時、後T羽くん、勝ってはったらなぁ。」


後T羽

「やかましわ!壱岐の海に沈めたろか?」


後U田

「ほっほっほっほっ、左様でおじゃりますな。」


後T羽

「……なんやねん、アンタ。さっきからアホの一つ覚えで、混ざってくんの、やめて?」


後S河

「あ、こいつな、なんや知らんけど、敵のH園くんから『末代の英主』とか褒められはったの、鼻にかけてはんねん。」


後T羽

「うっわ!ウザ!悪いけど、あっち行ってもらえます?」


後S河

「あかんねん、こいつな、息子がここんとこの主役の後D醐くんやねん。」


後T羽

「はぁ?なんやねん、それ。

あんな、あてらおってこそのアンタの息子やで?わかっとんか、ゴラッ!いてこますぞ!」


後U田

「いやぁ、なんや知らんけど、うちの後D醐が、武家の幕府をなんやすぅとか聞きましてなぁ。

いやまぁ、後T羽先輩かて無理やったさかい、うちの後D醐になんやでけるとは、ちぃとも思わしまへん。せやけどまぁ、なぁ。息子のことやし見てみよかゆうて思いましてん。

まぁ、後T羽先輩かて無理やったんやから、うちの後D醐にでけるなんか、ちぃとも思われへんのんですけども。

ほっほっほっほ!」


後T羽

「うっわ、なに?こん人、北条くんと似たり寄ったりのウザさや!」


後S河

「いや、さっきこの本、先読みしてみたらな、確かに討幕はすんねんけど、結局源くんの子孫の足利くん、出てきはって、後D醐くん、あかんくなってん。その上、朝廷な、本格的に南北に分かれてんな。」


後T羽

「うっわ、それ、最悪ちゃう?」


後S河

「で、後D醐くん、さっきのH園くんから『王家の恥』言われんねん。今だけやさかい、そっとしてあげといて?」


後T羽

「あ〜、時の流れって、そんなもんやんな。」


後U田

「ほっほっほっほっ、左様でおじゃりますな(涙目)」



『太平記』 不詳 室町時代



爰に本朝人皇の始、神武天皇より九十五代の帝、後醍醐天皇の御宇に当て、武臣相摸守平高時と云者あり。此時上乖君之徳、下失臣之礼。従之四海大に乱て、一日も未安。狼煙翳天、鯢波動地、至今四十余年。一人而不得富春秋。万民無所措手足。倩尋其濫觴者、匪啻禍一朝一夕之故。元暦年中に鎌倉の右大将頼朝卿、追討平家而有其功之時、後白河院叡感之余に、被補六十六箇国之総追補使。従是武家始て諸国に守護を立、庄園に地頭を置。彼頼朝の長男左衛門督頼家、次男右大臣実朝公、相続で皆征夷将軍の武将に備る。是を号三代将軍。然を頼家卿は為実朝討れ、実朝は頼家の子為悪禅師公暁討れて、父子三代僅に四十二年にして而尽ぬ。其後頼朝卿の舅、遠江守平時政子息、前陸奥守義時、自然に執天下権柄勢漸欲覆四海。此時の大上天皇は、後鳥羽院也。武威振下、朝憲廃上事歎思召て、義時を亡さんとし給しに、承久の乱出来て、天下暫も静ならず。遂に旌旗日に掠て、宇治・勢多にして相戦ふ。其戦未終一日、官軍忽に敗北せしかば、後鳥羽院は隠岐国へ遷されさせ給て、義時弥八荒を掌に握る。其より後武蔵守泰時・修理亮時氏・武蔵守経時・相摸守時頼・左馬権頭時宗・相摸守貞時、相続で七代、政武家より出で、徳窮民を撫するに足り、威万人の上に被といへ共、位四品の際を不越、謙に居て仁恩を施し、己を責て礼義を正す。是を以て高しと云ども危からず、盈りと云ども溢れず。承久より以来、儲王摂家の間に、理世安民の器に相当り給へる貴族を一人、鎌倉へ申下奉て、征夷将軍と仰で、武臣皆拝趨の礼を事とす。同三年に、始て洛中に両人の一族を居て、両六波羅と号して、西国の沙汰を執行せ、京都の警衛に備らる。又永仁元年より、鎮西に一人の探題を下し、九州の成敗を司しめ、異賊襲来の守を堅す。されば一天下、普彼下知に不随と云処もなく、四海の外も、均く其権勢に服せずと云者は無りけり。朝陽不犯ども、残星光を奪る、習なれば、必しも、武家より公家を蔑し奉としもは無れども、所には地頭強して、領家は弱、国には守護重して、国司は軽。此故に朝廷は年々に衰、武家は日々に盛也。因茲代々の聖主、遠くは承久の宸襟を休めんが為、近くは朝議の陵廃を歎き思食て、東夷を亡さばやと、常に叡慮を回されしかども、或は勢微にして不叶、或は時未到して、黙止給ひける処に、時政九代の後胤、前相摸守平高時入道崇鑒が代に至て、天地命を革むべき危機云顕れたり。倩古を引て今を視に、行跡甚軽して人の嘲を不顧、政道不正して民の弊を不思、唯日夜に逸遊を事として、前烈を地下に羞しめ、朝暮に奇物を翫て、傾廃を生前に致さんとす。衛の懿公が鶴を乗せし楽早尽き、秦の李斯が犬を牽し恨今に来なんとす。見人眉を顰め、聴人唇を翻す。此時の帝後醍醐天王と申せしは、後宇多院の第二の皇子、談天門院の御腹にて御座せしを、相摸守が計として、御年三十一の時、御位に即奉る。御在位之間、内には三綱五常の儀を正して、周公孔子の道に順、外には万機百司の政不怠給、延喜天暦の跡を追れしかば、四海風を望で悦び、万民徳に帰して楽む。凡諸道の廃たるを興し、一事の善をも被賞しかば、寺社禅律の繁昌、爰に時を得、顕密儒道の碩才も、皆望を達せり。誠に天に受たる聖主、地に奉ぜる明君也と、其徳を称じ、其化に誇らぬ者は無りけり。

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