はじめての女(その8)
浮多郎は、霊厳島の料亭・丸高屋のことを教えてもらうために、門前仲町の浅太郎親分をたずねた。
「ああ、あそこね」
手土産の最中を脇によけて、親分はしばらく考えていた。
「料亭とは名ばかりの、怪しげな裏稼業のやつらの巣窟という噂だが・・・」
「賭場はどうです?」
「それもありだ。口の固い筋のいい客ばかり集め、五回に一回は勝たせて、じわじわと、それこそ真綿で首を絞めるように追い込むらしいがね」
「元締めは?」
「善市とかいうやつだが、素顔はいまいち見えてこない」
それだけを聞くと、浮多郎はさっそくその夜から張り込みをはじめた。
料亭とは名ばかりで、昼下がりに客はほとんど来ない。
賭場はご開帳していないのか、日が落ちてもおとずれる客はいない。
・・・暮れ六ツをだいぶ過ぎたころ、店の前に一丁の駕籠が止まった。
隠れた植え込みから前に進み、店の門灯の明かりで降りた客の顔をよく見た。
遊び人ふうの細身の男が、店の中へ入っていった。
年恰好からして、この男が幸次郎ではないか、と浮多郎は疑った。
一瞬、幸次郎をさぐりに丸高屋の裏手へ回ろうと思ったが、反転して駕籠かきのあとを追った。
「今の客を乗せたところへ、もどってくれ」
浮多郎を右手で十手を見せ、左手で小粒を先棒の駕籠かきに握らせた。
駕籠は、小名木川を萬年橋で渡り、大川沿いを進んだ。
新大橋を渡った駕籠は、浜町河岸で止った。
「親分さん、ここらです」
先棒が声を掛けた。
「さっきの客はどこで拾った?」
駕籠から降りた浮多郎が、草履をはきながらたずねた。
「へい、あの湯屋の前あたりで」
と駕籠かきが指さした湯屋の前まで歩くと、
「浮多郎!」
と、暗闇から不意にドスのきいた低い声が飛んだので、浮多郎はどきりとした。
暗闇を透かして見ると、黒頭巾を被った火盗の重野清十郎が、従者を従えて裏路地に立っていた。
「どうしてここへ?」
と、たずねられたが、それはこちらが聞きたいことだ。
霊厳島の怪しげな料亭を張っていたら、手島屋の倅の幸次郎が駕籠でやって来たので、その駕籠に乗せたところまで運ばせたらここへ着いた、と正直に話した。
「なるほど」
うなずいた重野だが、じぶんがなぜ浜町河岸にいるかはいわない。
そのまま、湯屋のすぐ隣の、「夢床」と墨書された障子戸を従者が引いたが、びくともしない。
従者が、障子戸の中ほどを小柄で切り取り、腕を差し込んで外そうとして手が滑ったのか、「からん」と心張り棒が土間に落ちる音がした。
「ちっ」
重野は、障子戸を乱暴に引き開け、鏡台を並べた髪結い床の突き当りの階段を、一目散に駆け登った。
浮多郎も続いた。
二階の灯りがふっと消え、「きゃあ~」と、女の叫び声が響いた。
障子戸を開け放つと、二階の窓の桟に飛び乗った裸の男が、こちらを振り向いた。
月の光を浴び、血まみれの剃刀をくわえた男の目は、野獣のような光を放っていた。
隣の家の屋根に飛び移った男を追い、浮多郎も飛んだ。
「御用だ」と、浮多郎は十手を構えた。
男は振り向き、剃刀をかざして威嚇した。
重野が続いて飛び移り、「床屋の兆次。観念しろ」と、抜刀して構えた。
下ではやはり従者が抜刀して、待ち構えているのを見た男は、いきなり裏の掘割めがけて飛び込んだ。
・・・三人で追ったが、ついに男を見失った。
夢床にもどって、二階を改めると、首の後ろを剃刀で切られた裸の女は、どくどくと血を流し、すでにこと切れていた。
―八丁堀の役宅で、浮多郎からことの顛末を聞いた岡埜は、その夜のうちに、捕り方を引き連れ、霊厳島の丸高屋を襲った。
博打に興じていた手島屋の幸次郎はじめ、そこにいた六人ほどを捕縛した。
・・・翌朝、幸次郎はすべてを自白した。
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