はじめての女(その6)
翌朝、浮多郎は三ノ輪の辻の乾物問屋へ出かけた。
店の前を竹箒で掃除をしている小僧と手代に、
「ちょいと前に、この店の二階にうら若い美人がいたそうじゃないですか。名前は、・・・え~と、何といいましたかね?」
浮多郎がたずねると、ふたりは顔を見合わせ、首を振った。
これは、「知らない」というよりも、「答えられない」という合図と見た浮多郎は、ずんずんと店の奥に入った。
帳場で算盤をはじいていた三太郎は、浮多郎を見ると露骨に嫌な顔をした。
「お化け長屋に、すごい別嬪さんが入ったそうじゃないですか」
楽し気に話しかける浮多郎の顔を、穴の開くほど見つめた三太郎は、
「若親分さん、もしそうなら真っ先にご案内しますぜ」
と、うまくはぐらかす。
「新人の味見は、浅草仲見世の俊吉さんと決めているのではないですか。その俊吉さん、神田明神下の高利貸の手島屋の本宅に押し込み強盗に入った上に、四人を殺した罪で死罪になるのが決まったそうです。・・・これは、昨日、奉行所で聞いてまいりやした」
それを聞く三太郎の顔は、みるみる蒼白になった。
「俊吉さんは、同じ俳諧仲間だそうですね。日ごろから、仲のよい俊吉さんは、いったいぜんたい、押し込み強盗なんぞするようなお方なんでしょうかねえ。しかも、縛り上げた四人の首の後ろの頸動脈を剃刀で切って、出血多量で死なせるなどという残虐な殺し方で殺せるものでしょうか?」
「いや、俊吉は断じてそんなやつじゃねえ」
「強盗などしない?それともひと殺しなどしないと?」
「両方とも、だ」
「では、冤罪だと?」
「そうだとも!」
「では、俊吉さんが、どうして神田明神下の手島屋の本宅などへ出かけたのでしょう?」
三太郎は、ここで詰まった。
「若親分。じつは、ここの乾物問屋の売上よりも、あのお化け長屋のほうの儲けが大きい・・・」
息も絶え絶えになった三太郎は、恨めしそうな顔になった。
「三太郎さんは、お化け長屋に召し捕りが入って、廃業する破目になるのが怖いのでしょう。でも、他の岡場所のように召し捕りなどしませんて。吉原で年季が明けても行き場のない女郎を、お化け長屋で引き取って、いわばひと助けをしているのを、奉行所もよ~く知っています」
それを聞いた三太郎は安心したのか、それとも俊吉の身を案じたのか・・・
「たしかに、佳代という別嬪が、女郎になりたいとやって来た。俊吉のやつ、いろいろ仕込んでいるうちに情が移って・・・。とどのつまりは、家にもどすことになり、神田明神下へ送っていった」
これで、俊吉が神田明神下へ連れていったのは、お化けでも幻の女でもないことが、分かった。
―次に向かったのは、日本橋の手島屋だった。
日本橋といっても、京橋に近い、間口が一間半ほどの呉服屋だった。
店先に反物を堆く積み上げて間口は狭い。
だが、店内の奥行きは鰻の寝床でけっこう広いが、ほとんど客はいなかった。
番頭と手代のふたりが手持ち無沙汰にしていた。
殺された手島屋の主人の吉太郎の倅の幸次郎さんを、と取り次ぎを頼むと、番頭は浮かぬ顔で浮多郎を見つめた。
懐の十手をチラと見せると、得心したのか、「昨日から顔を出していません」と答え、奥座敷へ浮多郎をいざなった。
「神田明神下の本宅で、旦那さまと奥さまはじめ四人が殺された、と聞いた幸次郎さんの動転ぶりは並大抵のことではありません。知らせがあってから出かけてばかりで、とうとう昨日はもどって来ず・・・」
番頭の話によると、番頭は通いで、住み込みの手代が奥座敷を使い、二階を幸次郎がひとりで使っているという。
「どこか行く当てはありますか。なんなら、あっしがひと回りしてきてもいいですが」
今の浮多郎は、どんな些細な手がかりでも喰らいついてやろう、とダボハゼのような心境だった。
「そうですか、それはありがたい」
番頭も渡りに船と誘いに乗った。
幸次郎は独り身だが、あちこちに女がいるという。
いちばん行きそうな、三か所を聞き出して、出かけようとしたが、
「ところで、手島屋の大旦那が殺された夕刻に、幸次郎さんはこの店にいましたか?」
ふと思いついた浮多郎が、たずねた。
番頭は、目を白黒させたが、
「幸次郎さんは大旦那さまのほんとうの子ではありません。跡継ぎがいないので、奥さまの房州の里から養子をもらったのです。ただ最近、店の金をくすねて遊び歩く悪い癖がついたので、大旦那さまは勘当しようとしていました」
初めて会った目明し風情に、こんな内情をぺらぺらとしゃべるとは、驚きだった。
番頭は、何か幸次郎に怪しい影を見ているのか?
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