はじめての女(その4)

その夜、神田明神下の番屋に「近くの屋敷でひとが死んでいる」と、手島屋の本宅をたずねて来た客が届け出た。

神田の詰所の役人が急行し、奥座敷で主人夫婦と小間使いと小僧の四人が殺されているのを見つけた。

提灯をかざすと、刀か何かで斬り殺されたのか、暗い座敷一面は血の海だった。

主人夫婦の上に折り重なるように倒れている男に息があったので、とりあえず詰所の牢屋に運び入れた。

翌朝、奉行所の若い同心の村田勘四郎と検死の役人が、高利貸の手島屋の主人・吉太郎の本宅を改めた。

主人夫婦をはじめ四人は、縛られた上、首の後ろを切られ、出血多量で死んでいるのが分かった。

箪笥はすべて乱雑に開けられ、手文庫などはきれいさっぱり持ち去られていた。

同心の村田は、押し込み強盗が家人を奥座敷に集めて、金の在り処を聞き出してから殺害したと見立てた。

次に番屋の牢屋にいる中年の男を調べた。

「手にこんなものを握って、倒れていました」

番太郎が差し出したのは、血まみれの剃刀だった。

「これで皆殺しにしたのか?」

牢屋から引き出され、剃刀を突きつけられた俊吉は、

「何のことでしょう?」

と答えると、村田同心の拳が飛んできた。

「何をすっとぼけておる。お前の剃刀かと聞いておる!」

「いえ、あっしのモノではありません」

立ち直ったところで、二発目の拳が飛んできた。

「この剃刀で皆殺しにしておきながら、みずからの所業に驚いて、失神したのだろう。そうにちがいあるまい!」

「何のことか皆目見当がつきません。佳代という家出女を明神下の実家に連れて来て、屋敷に上がり込んだところで、不意に気を失ったのです」

「嘘をつけ!あの家に女などいなかった。いたのは、殺された四人と、倒れていたお前だけだ。お前が下手人に決まっておる」

噛みつくようにいう村田同心に、

「どうか、よくお調べください。あっしは、殺しなどしておりません」

ようやく事情の呑み込めた俊吉は、必死にいい返した。

―小伝馬町の典獄に放り込まれた俊吉は、ここで酷い仕打ちを受けた。

『地獄の沙汰も金次第』とはよくいったもので、髪とか下帯の中に金を隠し持って入牢し、典獄の同心と牢名主にそれなりの金をつかませないと、ひどい目に会うのはよく知られている。

不意に捕縛された俊吉は、たいして金の持ち合わせがなかったので、牢屋の男たちに袋叩きにあった。

臭い便壺のそばで、痛さに唸り声をあげて一夜を過ごすことになったが、翌日は取り調べがなかった。

―その翌日、俊吉は典獄の小部屋で、村田同心の調べを受けた。

「俊吉、お前はあきれた大嘘つきだな!」

いきなり拳が飛んできた。

「倅の伸吾も、三ノ輪の乾物問屋の三太郎も、『佳代という女は知らん。見たことも聞いたこともない』と口を揃えていっておる」

やっとからだを起こした俊吉が、血のにじむ唇を手の甲で押さえ、

「あ、いや、佳代ではありません。小百合です」

というと、「何を馬鹿なことを!」と、二発目の拳が飛んできた。

「そもそも、手島屋には、娘というものがおらん。いるのは、息子だけだ」

唖然とした俊吉は、唇を咬んで押し黙るしかなかった。

・・・牢にもどった俊吉は、入牢者どもに、再び殴る蹴るの仕打ちを受け、頭を抱えてうずくまるしかなかった。

『佳代がいなかっただと。・・・たしかに、この手で抱きしめた佳代が』

牢屋に海老のように転がった俊吉は、それが救いの主かのように、両の手をじっと見つめた。

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