第4話 天使は還る

震災から一ヶ月半が経とうとしていたゴールデンウィーク明けに、ヨコハマにある社宅にオレたち家族は引っ越しをした。


 そこには、カスミンの家族はいなかった。カスミンは元々住んでいたマンションに戻ったからだ。


 勝手にまた近所付き合いができるものと思い込んでいたので、それがわかった時はひどくがっかりした。


 学校にもカスミンはいなかった。


 オレは父さんに、カスミンの家は何処なのか会社に聞いて欲しいと頼んだ。その時の父さんの返事はなんとも頼りのないものだった。


 新しい学校で、オレの立ち位置は結構微妙だった。「震災の生き残り」として新しいクラスメートからは少しの間持て囃されたけど、それも直ぐに飽きられた。


 雨ばかり降る六月。


 父さんがようやくカスミンの新しい家の住所を聞いてきた。


「何でこんなに時間がかかったの?」

 とオレが聞いても、父さんは、


「個人情報って言ってな、同じ会社の人でも簡単には教えてくれないんだぞ」

 を繰り返していた。同じ会社なんだし直接聞けば良いじゃないか、とも言ったけどそれ以上のことは教えてくれなかった。


 カスミンの家は同じヨコハマでもオレの住む社宅からはかなり遠い場所に住んでいる事がわかった。電車で二十分。歩きを入れるとたっぷり四十分くらいかかる。


 あの町で列車に乗るって事は殆ど無かった。そしてあの列車は震災で車両も線路も流されて今は不通だ。オレは鉄道の乗り方も知らずにヨコハマに来てしまった。


 ある週末、オレは決心して母さんにカスミンの家に電話をさせて欲しいと言った。


 母さんは少し躊躇したが、何か操作をした後、


「ほら。ここに掛けなさい」

 と言って携帯電話を渡してくれた。


 通話のボタンを押す。

 呼び出し音が流れ始めた。一回、二回、三回。カスミンのおばさんは電話に出てくれない。


 結局途中で留守電に切り替わってしまった。


「あの、駿です。もし、この留守電を聞いていたら電話をお願いします」

 オレはそう言って通話終了のボタンを押した。


 母さんに携帯を返しながら、


「カスミンのおばさんから電話かかって来たら教えて」

 と強い口調で頼んだ。 


 だけどその日、カスミンのおばさんからは電話が掛かってくることはなかった。


 何かあったのだろうか…


 父さんや母さんの態度も引っかかった。カスミンの両親とオレの両親は上手く付き合いができなくなったんだろうか。それともほかに何か理由があるのか・・・


 次の日の朝、オレは意を決して電車に乗ってカスミンの家を訪ねることにした。


 本当は昨日ちゃんとおばさんに行くことを伝えてから行きたかったが、色々な違和感を払しょくするには行くしかない、そう思ったのだった。


 父さん母さんには何も告げず家を出てきてしまった。


 社宅から、近くの地下鉄の駅まで歩いて、切符を買おうとした。


「子供料金でいいんだよな?」

 のっけから初めて買う切符に戸惑っていた。

 最大の問題は、ヨコハマ駅で乗り換えをしなければならないことだ。


 自動改札に切符を入れるとすごい勢いで吸い込まれていったのでびっくりした。

 階段を降りると、直ぐに電車がホームに入ってきたので、オレは何の気なしにその電車に乗ってしまった。


 日曜日の朝の電車はそこそこの込み具合だ。オレはドア際に立って物珍しそうに中吊り広告を見たりしていた。

 週刊誌の広告には、福島の原発の事故の見出しが踊っていた。

 習っていない漢字もたくさんあったけど、ニュースでも放射能の話題がよく出ていたのでなんとなく放射能と病気の関係に関するものだと分かる見出しもあった。


「放射能は目に見えないのか。じゃあ防ぎようがないなぁ」

 オレがそんな独り言を言っているうちに隣の駅に到着し、大半の人が降りて行った。車内はガラッと空いた。そして扉が再び閉まるとオレは自分の失敗に気づいてしまった。


「あれ、この駅、ヨコハマ方面とは反対の駅だよ」

 オレはよく確かめもせず、反対の方向へ行く地下鉄に乗ってしまっていたのだ。


 次の駅で降りればいいか、と考えながらまたさっきの週刊誌の中吊り広告を見ようと振り返ると同じ車両の遠くの席に、あの見慣れた姿をオレは見つけたのだった。


「カスミン、なんでこんなところに!」

 車内の乗客は、いきなり大声を上げたオレの事を見てきっとびっくりしただろう。


 でも構ってはいられなかった。カスミンはおじさんおばさんと一緒だった。


「どうして? 駿ちゃんがなんでこの電車に乗っているの?」

 それはオレも聞きたい。


「あ、いや、オレ、カスミンに会おうと思ってカスミンの家に行こうとしてたんだ」

 おばさんは困り顔をしてこう言った。


「駿君、昨日はごめんなさいね。電話かけ直せなくて。この子のことで少し忙しかったから」


「いえ、大丈夫です」


「駿君、お父さんから神住のことを何か聞いてないか?」

 今度はおじさんがオレに尋ねた。


「いえ、なかなかおじさんの家の住所が教えてもらえなかったので何かあったのかな、とは思ってました」

 二人は沈黙してしまった。


 そして、おじさんは静かに言った。

「駿君、このまま、一緒に来てもらえるかな? お母さんには僕が言っておくから」


「わかりました。オレは大丈夫です」

 そう答えた。カスミンが口を開いた。


「駿ちゃん、手紙・・・」

 え、なんで手紙の話が? 


「読んでくれなかったのね」

 カスミンは悲しそうな目をした。


「ごめん、もう二度とカスミンには会えないと思ってあの手紙、オレ捨てちまったんだ」


「でも何でここにいるのよ!」


「父さんの研究所が津波で流されたから、父さんもヨコハマ勤務になったんだ」

 そうオレがいうと、今度はカスミンはおじさんに食ってかかった。電車の中だから抑え気味にではあったけど。


「パパと同じ会社ってこと? パパ、なんでそのことを黙っていたの?」 


「ごめん、神住。パパも駿君のお父さんには神住の話をしたんだ。そうしたら駿君のお父さんは・・」


「えっ、どういうことですか?」

 カスミンのおじさんの口から出た話は、オレを奈落に突き落とすほどの衝撃だった。

 オレは知らなかったんだ。

 

 手紙を捨てたからだ。


 カスミンは《急性リンパ性白血病》という病気に罹っていた。いわゆる白血病だ。


 父さんは、カスミンのおじさんに、

「駿と神住ちゃんがまた縁があったら、きっと会えると思います。ですから今は神住ちゃんの治療に集中してください」と言ったらしい。


 おじさんによれば父さんが教えた住所は完全に嘘で、お父さんの勤務地なんだそうだ。


 カスミンは、クスノキに登った日の夜から体がだるかったり、風邪を引いたみたいになることが多くなったらしい。


 何度か町医者に通ったけど、


「よく寝て、栄養摂って。薬出しておいたから」

 みたいな診断ばかりでようやく二月に原因が分かったそうだ。

 それってほとんど一年だ。早くわかっていればもっと早く何とかなったんじゃないか?


 これから本格的な治療をするために、市大学の付属病院に入院するということだった。


 目的の駅に着いて、おじさんは僕を一緒にタクシーに乗せてくれて病院に連れて行ってくれた。


 大学病院は、見たことがないほど大きかった。


 オレは病院の一階の大きなロビーで、おばさんから、


「手続きをしてくるから、ここで神住と待っててくれない?」

 と言われた。


 オレは無言で頷いた。


 久しぶりにカスミンと話せる。けど、こんな時にオレはどんな声を掛けたらいいんだろう。

 すると、カスミンが少し微笑みながら話し始めたんだ。


「駿ちゃん、手紙にはね、『私はもうこの世からなるから、私の事は忘れてね』って書いたんだよ」

 その時のカスミンの気持ちを想像した。震えるほど辛い気持ちになった。


「カスミン、手紙の事、本当にごめんよ。でも治るんだよな?」


「わからない。この病気を治して元気になった人もいるのは知っているよ。でも、死んじゃった小さな子たちもいっぱいいるって」


「カスミンはきっと、大丈夫だよ!」


「うん、でも私、手紙を書いているときもう死んじゃうんじゃないかって決めつけてた。だから…」


「治せるよ! オレ、何でもするから。毎日神社に拝みに行くよ。近くに良い神社があるって‥」


「ありがと。でも、私は頑張れる『生きる望み』を持ちたいよ」

 カスミンの悲痛な表情を見ると、オレの言葉の軽さが恨めしかった。


 カスミンは、ずっとオレの言葉を待っていたんだ!


「カスミン。絶対に治して、オレと結婚してくれ!」

 自分でも何を言っているか分からなかったが、オレは叫んでいた。 


 近くに座っていたお年寄りが、


「あらあら、まあまあ、かわいらしいこと」

 と茶化すかのように言った。


 オレはお構いなしに、


「オレはカスミンのことが好きなんだ! 死なないでくれ!」

 オレは必死だった。やっと伝えられた。


「駿ちゃん、順番が逆だよ…先に結婚しようなんて…」

 カスミンは真っ赤になってちょっとふくれっ面になった。


「わ、悪い…センスなくてさ」

 ロマンチックじゃなくてごめん。カスミン。


「駿ちゃん、私もよ。ずっと駿ちゃんが好き。だから私が病気と闘うのをちゃんと見守ってくれる?」

 オレは涙が止まらなかった。


 もう、気持ちが溢れてしまって言葉にならなかった。

 隣のお年寄りも一緒になって泣いていた。


 運命は平等じゃない。それは分かっているけど、あまりといえばあまりじゃないか。

 だって、オレたちはあの津波から逃れて生き残ったんだ。


 今度だってカスミンなら乗り越えられる。

 オレはそう信じたい。


「オレも一緒に闘うよ。カスミンを一人にはさせねえからな!」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、カスミンは本当に治療を頑張った。

 オレたちは可能な限り写真を撮って、治療の過程をアルバムにしていった。


 抗ガン剤治療でカスミンの綺麗な亜麻色の髪が抜けてしまった時、オレも五厘刈りにして二人で写真に収まった。


 感染症予防のためにいつもマスクをして写っているのが残念ね、と言ったけど外すわけにいかないのでカスミンのマスクに口を描いてあげた。

 撮った写真をみて二人で大笑いした。


 誕生日に合わせて一時帰宅の時は、父さん母さんも一緒にカスミンの「正しい住所」のマンションに行ってカスミンを祝った。


 笑ったことばかりじゃない。カスミンは治療が辛くて泣いたり、オレに当たったりした。

 その後決まってオレに甘えてくる。


「駿ちゃん、本当にお嫁さんにしてくれるの?」

 甘えてくれるのは嬉しい。


「オレは嘘はつかないよ」

 カスミンを幸せにしたい。でも、それよりも早く寛解(全治まではいかないが、症状が収まっている様子)まで行って欲しいと願っていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 二年が過ぎた。またあの忌まわしい震災の日が近づいてきたある日、父さんからある事を告白された。


「父さん、会社を辞めることになった」

 目の前が真っ暗になった。


「なんで、そんな」


「父さん、田舎の研究員だっただろう。ヨコハマの人たちには受け入れてもらえなかったんだ」

 父さんは寂しそうに呟いた。リストラだった。オレたち家族は、結局震災で翻弄される運命なんだとオレは受け入れるしかなかった。


 ヨコハマにはつてがない父さんはあの町に戻って町役場で働くことが決まった。土木事務所だという。微生物の研究員だった父さんが何の仕事をするのかわからないけど、これでオレも一緒にあの町に戻ることになる。


 一方カスミンは骨髄移植を受けて第一寛解まで漕ぎ着けていた。オレがカスミンを置いて戻るつもりになったのはそれが決め手だった。


 勉強も頑張って私立の女子中学に入学が決まっていた。闘病に勉強。カスミンは信じられない強さを取り戻していた。


 そしてオレは津波にのまれた中学校に通うことに。


 今度はオレがカスミンに手紙を書いた。

 出発の日、カスミンは相変わらずマスクをしているが、しっかりとした足取りで歩けるようになってオレを見送りに来てくれた。


 別にオレのお蔭なんかじゃないのは分かっているけど、なんかオレも頑張った甲斐があったと思えてうれしくなった。


 カスミンがこのまま再発しないで頑張れば、オレは高校からまたヨコハマでも東京でも戻って来れるかもしれない。


「オレ、ヨコハマの寮のある高校を狙って受けることにするよ。三年、長いよな」


「うん、毎日LINEするよ」

 買ってもらったばかりのスマートフォンを片手に笑いながらカスミンは言う。


「これさ。読んでくれよ」


「えっ? 手紙?」


「ああ。カスミンの真似したんだ」


「こいつめー! 真似はいかんぞ? キミィ」

 ああ、だめだ。やっぱり別れたくない。寂寥感を漂わせてカスミンを見つめていたら、急にカスミンはオレに抱きついた。


「ぎゅっと、して」

 オレの気持ちが伝わったのか、カスミンが突然そう言った。


「こんなに近づいても、大丈夫なのか?」


「今更何よ。だって私たち、ずーっと一緒にいたのよ」

 オレは折れそうに細くなったカスミンを軽く抱きしめた。


「駿ちゃん‥大好き」

 オレは、また生え揃って初めて会った頃と同じくワンサイドアップにしたカスミンの髪の毛にそっと口づけた。あの時と同じように「カスミンの匂い」がした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 オレは、三年間必死に勉強をしてヨコハマの全寮制の高校に合格することができた。父さんも母さんも喜んでくれた。


 あれ以来、カスミンの体調には変化がなく順調そうに見えたのだが、残念な事にオレがヨコハマに戻ったころ再発してしまった。でも、これは予見されていたこと。


 またカスミンは大学病院へ。

 見舞いに行くと、カスミンはオレが渡した手紙のことを口にした。


「駿ちゃん、あの手紙には『オレは一生カスミンを守る』って書いてあったでしょう」


「ああ。今回だってオレは一緒に闘うよ」


「ありがとうね。でもさ、私、駿ちゃんの一生を台無しにしていないかな?」


「そうだな、一生台無しだ」


「えー、本気で言ってる?」


「一生、Die(死)なしってことで。なんつって」


「バッカじゃないの?(笑)」

 再発したとはいえ、また寛解できる可能性は高いと先生から聞いた。オレは普通に振る舞うことでカスミンに動揺を与えないようにしていたのだが、実際には自分の心の中にある恐怖を無理やり抑え込んでいたんだ。


「私、頑張るよ。死ぬなら駿ちゃんのお嫁さんになってからって決めてるんだ」


「バカ。死ぬの前提にするのは止めろよ(笑)。なんったって、オレたち奇跡の町の子なんだぜ?」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 東京の大学に合格したオレはこうしてあの町に帰省してはクスノキに登ってあの時の事を思い出していた。


そして、オレがカスミンに書いた手紙には、こうも書いてあったんだ。


「病気が治ったら、必ず二人でまたあのクスノキに登ろう」


 このクスノキに登ったオレの横には、この前帰省した時には居なかった「天使」が座って懐かしそうに海を眺めていた。


ーー完ーー

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