間倉井医師、弱音は口にしない

でも今は、その<非常時の備え>そのものが危機に曝されている。それ自体は本当に由々しき問題だ。なのに、当の間倉井まくらい診療所そのものには、そこまでの緊張感はない。久美と亜美はメイトギアであり人間のように狼狽えたりも焦ったりもしないし、ニーナは千堂アリシアがとても穏やかに接してくれていることもあって、間倉井まくらい医師の窮状を察することもできなかった。待機所で待っている秀青しゅうせい立志りっしも、まさかそこまでの状態だとは気付いていなかった。


もちろん、軽く見ていい病気でないことは知っていたもののアリシア2234-LMNが間に合った時点で安堵してしまったし、思ったより緊迫した雰囲気ではなかったし、なにより、間倉井まくらい医師自身が弱音を口にはしなかったのだ。


心の中では愚痴もこぼしつつも。


彼女にとってはそれは当然のことだった。医師として患者を不安にさせるようなことは口にすまいと自らに言い聞かせそれを貫いてきた。彼女にとってはそれが当然の<努力>だった。世の中には彼女と同じ努力ができない人間も多いだろう。とにかく普段は『努力努力』と口にしながら自分が何か不利な状態に陥れば泣き言を並べて逃げ回る者もいる。間倉井まくらい医師が行っている努力ができないのだ。


けれどそれもまた人間の姿なのだろう。間倉井まくらい医師がその努力を行えるのは、それが彼女自身にとって『そうしたい』ことだからだ。彼女自身がそうしたいからこそできる努力なのである。


<努力>という言葉は、誰かを攻撃するためにあるのではない。自身の信念を貫くために行う振る舞いそのもののことだ。


ゆえに、自身の信念から外れた方向には機能しないこともある。それは誰しもそうなのだ。間倉井まくらい医師自身、普通に結婚してパートナーの子を生み育てるという方向についてはまったく努力できなかったし、しようとも思えなかった。『子を生み育てる』ことはしてみたいと思ったので精子バンクから精子の提供を受けて妊娠・出産し子を二人育てても来たが、その子らを戦争で喪ったことで自分が子を生み育てることに意義を見出せなくなり、そちらについても努力することをやめてしまった。


けれど、その代わりと言っては何だが、医師として多くの努力をしてきたし、それについては投げ出す気にもなれなかった。彼女自身が望んで好きでやってることだからだ。医師という職業は、彼女にとっては天職だった。だから貫けた。


他でもない自分自身の<やりたいこと>だったからだ。


ゆえに八十年も続けられたのであった。


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