アリシア、浮かれる

「お帰りなさいませ」


屋敷に戻ったアリシアと千堂を、アリシア2305-HHSが出迎えた。するとアリシアは、思わず顔を伏せ、アリシア2305-HHSと目を合わせないようにした。


何だか気まずかったからだ。それは何故か? 全く飾り気のない、完全な標準仕様のままのアリシア2305-HHSに対し、自分は千堂からピアスをプレゼントされそれを着けてることを申し訳なく感じたからだった。


そんなアリシアを見て、アリシア2305-HHSが言った。


「似合ってますよ」


その言葉にハッと顔を上げる彼女に、アリシア2305-HHSがさらに言う。


「あなたは千堂様にとって特別なロボットなのです。もっと自分に自信を持ちなさい。特別な存在が特別な扱いを受けることに負い目を感じる必要はありません。そして千堂様は私のことも正当に評価してくださっています。あなたと比べて劣っている訳では決してありません」


千堂アリシアと違い、アリシア2305-HHSは正常なロボットだ。『特別な扱いをされない』ことがむしろ彼女にとっては当然のことなのである。そして千堂は、そんなアリシア2305-HHSをきちんと大切にしてくれている。


アリシアは恥ずかしくなった。アリシア2305-HHSに対して千堂から貰ったピアスを隠そうとしたことは、着飾っていない彼女を自分より劣った存在だと解釈したということだというのを自覚させられてしまったのだ。しかもそれは、千堂が自分達を正当に評価出来ない人間であると考えているのと同じだということにも気付かされてしまったのである。


「ありがとうございます、先輩」


自らの仕事に戻っていくアリシア2305-HHSに向かって深く頭を下げた。それから自分も仕事に戻り、千堂の夕食の用意を。ちなみに昼食はファーストフード店のドライブスルーで簡単に済ませている。千堂は自身の健康には気を付けているものの、健康的でない食事は一切摂らないと意固地になる程も頭の固い人間でもない。


アリシアが用意した夕食を終え、千堂は感謝の抱擁を彼女に行う。最近はすっかり普段の習慣になっていた。そのおかげかアリシア自身の調子もいい。あれ以来、彼女が見せたあの現象は、兆候すら見られなかった。それは、やはりあれがストレスからくるものであったことを示していると言えるだろう。


夕食の後、千堂が風呂に入っている間に洗濯物を回収し、バスローブを用意したアリシアは、鏡に映った自分の姿を見て思わず動きを止めてしまった。決して強く存在を主張しないが、確かに以前の自分と印象が違っていたのは、やはりピアスの効果だろうか。鏡に映る自分の姿が気になり、右を向いたり左を向いたり、鏡に背を向けた状態から振り返ってみたり軽くポーズを取ってみたりウインクしてみたりと、まるでグラビアの撮影でもしているかのような振る舞いを。だがその時、


「気に入ってくれたのなら私も嬉しいよ」


と不意に声を掛けられ、アリシアは跳び上がりそうなくらいに驚いた。見れば千堂がバスルームのドアを開けて、穏やかな笑顔を浮かべながら自分のことを見ていたのである。


『き、気付かなかった~! どうして~!?』


ロボットでありながら鏡に映る自分に夢中になって主人が風呂から上がることにも気付かないとか、確かにこれまでも何度か同様の失敗をしてしまったが、自分は成長した筈ではなかったのか。またこんな失敗をしてしまうとか、人間が『穴があったら入りたい』という表現を用いることがあるのはまさにこういう時のことを言うのか、と思ってしまう。


しかし千堂はそんな彼女を責めることもなく、ただ頭を撫でてくれた。彼女が自分のプレゼントに浮かれている様子が愛おしく感じられただけだからだ。


「し、失礼しました!」


アリシアは慌てて脱衣所を出て、扉の脇に待機した。出来れば自分の待機室に閉じこもりたいくらいに恥ずかしかったが、仕事を放棄する訳にはいかなかい。


バスローブに身を包んだ千堂がリビングに戻ると、アリシアもそれに付き従った。ソファーで寛ぐ彼の隣に、いつものように座ることが出来なかった。いたたまれない気分だった。自分の前に立ったままもじもじしている彼女に、千堂は言う。


「以前にも言ったが、失敗は誰にでもある。それを悔やむ気持ちがあればそれでいい。お前は以前に比べれば成長もしたが、それでもまだまだ幼さがあるのも事実だ。私はもうそれを責めたりはしない。お前の成長を見届けたいからね」


そう、これが千堂という男だった。ロボットの自分でさえ包み込んでくれる彼の器の大きさこそに彼女は魅かれたのだ。そう思い出してみても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいけれど。


「みっともないところをお見せしてしまって、申し訳ありませんでした…」


せめてそう詫びないと、自分の気持ちが整理出来なかった。


「そうだな。次からは気を付けてくれ」


彼女の気持ちを汲んだ千堂がそう応じてくれたことで、ようやく少し落ち着けた気がした。そうしてようやく千堂の隣に座った彼女の頭を彼はまた撫でてくれる。それでもなお、まだバツが悪そうにしている彼女に、彼は目を細めた。先は長いなと思った。だがまあ、焦る必要はない。ゆっくり成長していってくれればいい。彼女は大切な家族なのだから。


翌日以降、アリシアはまた落ち着きを取り戻していた。プレゼントに浮かれていつまでもふわふわした気分でいてはいけないと思った。千堂の仕事に同行し、彼を警護する仕事もしっかりとこなす。




その後、何度目かの警護の仕事の際、ちょっとした事件が起こった。


それは、建設業界主催の、レイバーギアを中心としたロボットの展覧会の会場でのこと。千堂はそこにメーカーの責任者として出席していた。アリシアはその千堂の警護の為に同席していたのだが、彼女は観客の中に不審な動きをする人間に気付く。展示されているロボットを見ているようなふりをしているが、その視線は常に他の観客だけを見ていたのだ。


『スリだ…!』


彼女のデータベースの中に記録された人間の要注意行動とされるものにそれは完全に一致していた。しかし彼女の仕事は千堂の警護であってこの会場そのものの警備ではない。しかも実行行為を現認した訳でもないからその人物をスリだと決めつけて騒ぐ訳にもいかない。そこで彼女は会場の警備に当たっているロボットとデータリンクを行い、不審者情報として伝えた。そのロボットから会場の警備を委託されていた警備会社に情報が上がり、私服の人間の警備員がその人物をマーク。


たまたまこの場に居合わせた彼女のロボットとしての役目はそれで終わりだった。後は人間に任せればいい筈だった。だが、事件は起こった。スリの現場を押さえられたその男が、逃走を図ったのだ。


「きゃーっ!」


観客の女性が悲鳴を上げ、会場は騒然となった。男は驚くくらいに機敏な動きを見せ、警備の人間を翻弄。それは明らかに出来心で犯行に及んだ者の動きではなかった。相当な常習犯なのだろう。


「千堂様、こちらに」


アリシアは念の為、千堂の安全を確保し、自分が前に立った。その彼女の前で、スリの男が観客の一人を突き飛ばした。高齢の男性だった。男性は咄嗟のことに防御の姿勢も取ることが出来ずに、頭から固い床に倒れていった。それを見たアリシアの体が、瞬間的に反応する。床に頭をぶつける寸前でその体を受け止めてみせた。


だがその時、スリの男が走り抜けようとした位置に彼女が滑り込んだ為、男の膝が彼女の側頭部に思い切りぶつかったのである。


もちろん、彼女はそんなことではびくともしない。むしろ男の方が、前に出そうとした足をアリシアの頭に引っ掛けてしまったことで派手に転倒。そして男は駆け付けた警備員に取り押さえられたのだが、その際、彼女は小さな、しかしひどく気になる音を耳にしたのだった。


『まさか……!?』


と思い男の膝が当たった方の耳に手をやった彼女の指先に、本来、有る筈の感触が無かったのであった。


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