5日目・夕刻
私は、日が傾き岩が作る長い影の中で体を休めながら、アリシアが食事の用意をしてくれている間も、昼に彼女が口にした言葉を思い出し、その原因を考えていた。
『私も嬉しいです』
彼女は本来、そういう言葉は口に出来ないように設計されている筈だった。
何度も言うように、彼女はロボットだ。機械だ。機械に感情は無い。だから、『嬉しい』などと感じることはないのだ。感情が無い彼女がそれを口にするのは、嘘を吐いていることになる。『お気遣いいただき、ありがとうございます』くらいまでならギリギリ社交辞令の範疇だと解釈できるが、『嬉しい』は違う。人間ならそういう嘘も吐くとしても、ロボットである彼女が人間に嘘を吐くことがあってはならない。その為、言葉についてはフレンドリーでありながらそこに嘘はないという線を、彼女のアルゴリズムを組んだチームは追及した筈だった。
「やはりバグか…」
私が思わずそう呟いてしまった時、彼女の動きが一瞬止まったのを、私は見逃さなかった。
「気付いていたんだな?」
問い掛けると、彼女は「はい」と頷いた。そして、食事の用意を続けながら言う。
「判明したのは、本日正午頃、正確には、現在、標準時報が受信出来ない為に1秒前後の誤差がある可能性がありますが、私の時計で12時24分15秒です。私の、標準モードのアルゴリズムと、戦闘モードのアルゴリズムに倫理的衝突が頻発し、処理しきれず断片化したファイルが許容量を超え、影響を与えているものと推測されます」
淡々と答えるその言葉には、やはり感情というものは感じられなかった。しかし先ほどの、私の言葉に動きを一瞬止めたのは、本来の仕様にはない反応の筈だった。彼女の言う<断片化したファイル>がメモリー内に大量に偏在し、処理に僅かなタイムラグが生じているのだろう。
元々の彼女は、あくまでメイトギア。人間の身の回りのサポートをすることが主たる目的であり、いかに人間を安らかにするかが彼女のアルゴリズムには求められているのだ。だが彼女はその中でも、要人警護の機能も付与された特殊な仕様で、標準仕様のアルゴリズムとは別に、対人戦闘も想定されたランドギア用のアルゴリズムの一部も移植されているのである。
標準モードのアルゴリズムは、決して人間に対して攻撃を行うことはない。当然だ。信頼を寄せてサポートを任せているメイトギアがいきなり人間を攻撃するようなことが有っては決してならないのだから。例えどんな状況にあっても、人間に危害を加えることは出来ないように設計されている。もし、サポート対象の人間が強盗などに襲撃された場合は、とにかくサポート対象を庇い、時には身代わりとなって攻撃を受け止めるだけで、決して反撃はしないし出来ない。
対して、戦闘モードのアルゴリズムは、当然のことながら人間を相手に戦闘することも想定されており、その為、自らと味方以外のあらゆる存在を効率的に攻撃できるように設計されているのだ。
だから双方のアルゴリズムには決定的な矛盾が存在し、倫理的な衝突が生じてしまうのだった。それを解消する為に、戦闘モード、あるいは迎撃モードと称される状態の際には標準モードは著しく制限され、ほぼ機能が停止してしまうのである。しかし、メイトギアの表層的な仕草や口調といったものは標準モードに依存している為、必要最低限ではあるが動作している領域もあって、そこでどうしても倫理的な衝突による負荷が発生してしまうのも現実だった。
それでも、要人警護中のテロなどに対応する程度であれば、状況が発生している時間も限られるし、ましてや要人警護の機能を付加されたタイプのメイトギアは、いわば<自律行動する動く盾>なのだから、場合によっては要人の身代わりに攻撃を受けて壊れてしまう事も想定されているものの、やはり長時間そういう運用をすることは考えられていない。
彼女は、胴体部であれば至近距離からの対戦車ライフル(対物ライフル)による攻撃であっても貫通はしないように設計されている。表面の防弾スキンと同様の衝撃吸収材を何層も重ねて内蔵し、メイトギア自身のフレームなどでも衝撃を受け止め変形させ運動エネルギーを奪うことによって貫通はさせないようになっているのだ。つまり、あくまで要人さえ守れればいいというだけの意味であって、撃たれたメイトギア自体はもう、修理も不可能なくらいに内部機構が破壊されて、使い捨てにされるのが運命である。よって、そこで生じるであろうアルゴリズム同士の衝突も、決して問題になるようなレベルにはなりえない筈だった。
なお、余談だが、さすがに要人に向かって至近距離から対戦車ライフル(対物ライフル)を放つような事例は過去にも数えるほどしかなく、ランドギアが実用化された今では戦車そのものが時代遅れの遺物であり、故に対戦車ライフルというもの自体がもはや数えるほどしかないから、それで破壊されたメイトギアは現在まで記録にある限りでは存在しない。まあ、開発段階で、実際の防弾性能を確かめる為に実機とほぼ同じように組み上げられた試験機が、防弾試験で破壊されたことは何度もある筈だが。
また、メイトギアそのものを悪用した暗殺未遂も何度か起こったが、メイトギア同士をぶつけても、耐衝撃性は高いのに攻撃力は低いという特性からお互いに決定的なダメージは与えられず、時間を稼がれて失敗するのが関の山ということが判明してしまった為か、近年は発生していない。
…話を戻そう。
その、本来想定されている用途に対して、今、私の目の前にいるアリシア2234-LMNは、もう丸四日間、頻繁に標準モードと戦闘モードを切り替え、しかもメンテナンスも行われていないのである。それによって双方のアルゴリズムの衝突は爆発的に増え、生じたファイルの断片化がバグを引き起こすレベルにまで達してしまったというのが、彼女の現状だと推測された。
それを解消する為には、
1、メンテナンスを受け、専門家によるデバッグを行う。
2、自己メンテナンスモードによって断片化したファイルを除去、最適化を行う。
3、全機能を初期化し、再設定を行う。
以上の三つしか選択肢が無い。
よって、専門家によるメンテナンスは論外。自己メンテナンスモードは、もちろん彼女自身で出来るのだが、その代わりメンテナンス中は何も出来なくなる上、バグが出るくらいの状態であれば少なく見積もっても一時間、下手をすると数時間、彼女はただの人形同然になってしまうのだ。奴らがいつ襲ってくるか分からない状況では、リスクが高すぎる。
3の初期化、再設定は、時間こそ三十分もかからないが、そうなるとCSK-305とリンクした際にコピーした戦闘データの全てを失うことになり、彼女は本当にただの<動く盾>に戻ってしまうのである。バックアップを取るための機材もここにはない。初期化しても一応、ハンドガンやサブマシンガン等の携行武器を使える程度の能力はあるが、今の彼女とは比べるべくもない大幅な戦闘力のダウンとなり、これもまたリスクが高い。
となれば結局、バグに目を瞑り、状況が終了するまで今のまま運用するしかないということになるのだろう。
恐らく、アルゴリズムの性質上、影響を受けているのは標準モードの方だと思われた。メイトギアの戦闘モードは基本的に、『自らを犠牲にしてでも警護対象を守り、可能であれば敵を排除する』という単純明快なものであり、瞬間の判断が求められるそれはあまり複雑には作られていないのだから。CSK-305のように純粋な戦闘用のランドギアのアルゴリズムは決してそこまで単純ではないが、求められる運用方法が全く違うのだから比較する意味はない。
食事の用意を終え、私の前に立った彼女に向かって、言った。
「生きて帰れたら、綺麗に直してやる。新品同様にな」
すると彼女はいつもの笑顔を浮かべ、応えたのだった。
「楽しみにしております。千堂様」
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