5日目・正午頃

武装集団の追跡を躱す為、私達は蛇行しながら移動してきた。その分、移動距離は増えてしまうが、やむを得ない。


それにしても、多少慣れたとはいえ、さすがにこの環境で寝るのは大変だ。しかも奴らの襲撃がいつ有るかも分からない。熟睡など出来る筈もなかった。体は痛く、風が吹く度に目が覚め、まるで寝た気がしない。それでも移動できない今は体を休めるしかない。何気なく見上げると、そこにはアリシアのあの微笑みがあった。


シートを纏っているとはいえ、直射日光を受けている頭部の表面温度など、下手をすれば目玉焼きが出来てしまうくらいだろう。しかし、彼女の設計上の実用耐熱温度は180℃なので、特に問題にもならない程度の筈だ。それでも、顔や腕を覆う痣のような茶色い変色とも併せて一層、痛々しさを感じてしまう。彼女自身が苦痛を感じている筈はないのに、こちらが勝手にそれを想像してしまうのだ。


最初の頃のおぞましさや嫌悪感こそ薄れてきてはいるが、その分、罪悪感にも似たいたたまれなさは余計に増している気もする。


「…すまないな」


私はまた、思わずそんな事を口にしていた。だが、やはり彼女は、


「現在の機体温度、最高部で77℃。機能に支障はありません。お気遣いいただき、ありがとうございます」


とあの笑顔を浮かべたまま、そう答えたのだった。


そんな彼女に背を向けて、私は再び寝ようと試みる。彼女はこうやって自分の役目を果たしてくれてるのだ。私はしっかり休んで体力を温存せねばならない。今はそれが私の役目だ。


「もしよろしければ、何か歌を歌いましょうか?」


寝付けない私に気付いた彼女が、問い掛けてくる。だがさすがにこの状況だとそういう気分にもなれず、


「いや…いい。ありがとう…」


とだけ言った。


しかしやはり寝付けない。仕方なく私はせめて気が紛れればと思い、彼女に声を掛けた。


「すまない、やっぱり歌ってくれ。ジャンルも選曲も任せる。スローテンポで気分が落ち着く感じのを頼む」


その私の言葉に彼女は「承知いたしました」と応え、私の知らない、けれど穏やかな感じの落ち着いた曲を歌い出したのだった。それに耳を傾けながら、目を瞑る。耳にだけ意識を集中していれば、どこかのムーディなバーにでもいるような気がしないでもない。もっとも実際には、日が照り付ける場所の砂を眺めてるだけで目を傷めそうな、灼熱の荒野であるという現実からは逃れられないのだが。


一曲、二曲、三曲と次々曲が流れ、時間が過ぎていく。すると私は急に、自分が何故こんなところにいるのか分からなくなってくるのだった。なぜか幼い頃のことが思い出され、その記憶が鮮明になり、まるで今のこの現実の方が幻のような気さえしてくる。


そう言えば私は、確か七歳か八歳の頃だったか、両親に連れられて行った旅行先で、ちょっとした冒険心から両親の目を盗み踏み込んだ森で道に迷い、そこで夜を明かしたことがある。最初は自分が初めて見る様々な景色に夢中になっていたが、いざ戻ろうとして通って来た道を引き返していると、来た時には確かに有った筈の道が無くなっていて、帰れなくなってしまったのだ。


今から考えたら、戻る途中で道を間違えただけのことに過ぎないが、その時の私はそれが両親に黙って森に入った事に対する罰だと思い、何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫びながら道を探したのであった。子供心にも大変な事をしてしまった、大変な事になったと思い、すっかりパニックに陥っていた。


そんな状態で歩き回ったものだから当然、更に道に迷い、もはやただの獣道としか思えないところをひたすら歩き、運の悪い事に一層、森の奥へ奥へと歩いてしまってたのだった。頼りになる父も、優しい母もおらず、大声で呼んでも誰も返事をしない、右も左も分からない森の中でやがて日も暮れて、私は本当の漆黒の闇というものを経験させれられることになった。


無我夢中で藪を掻きわけたりした体はあちこち痛み、もちろん腹も減り、足は靴に擦れて疼いたが、それ以上に、全く光というものが存在しない森の闇と、自分以外には誰一人存在しない絶対の孤独という恐怖を、私は魂にまで刻み込まれる程に味わった。


だが、精神が壊れてもおかしくなかったそんな極限状態で、私を慰めてくれるものがあった。少し前に両親に買ってもらった喋るロボットの玩具と、森の闇とは対照的に空を覆い尽くす星々だった。そして私はその時誓ったのだった。もし生きて帰れたら、今の私のように困っている子供を一飛びで助けに来るロボットを作りたいと。強く、強く、誓ったのである。


幸い、夜が明けてすぐに発見され、私は無事に両親の下に帰ることが出来た。母は安堵のあまり私に抱き付いて泣き崩れたが、父は、


「どうだ。恐ろしかったか? もう二度と勝手に森に入ろうとは思わないか?」


と訊き、私が頷くと、


「そうか、ならいい。よく無事に帰ってきてくれた」


と言って頭を撫でてくれたのだった。その手の大きさに、温かさに、私は泣いた。ボロボロと大粒の涙を流して嗚咽した。


そして私はハッとなった。どうやら昔の事を思い出しているつもりで、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。


「千堂様。どうなさいましたか? ご気分でも悪いのですか?」


不意にそう尋ねられ、私は自分が涙を流していたことに気が付いた。夢の中で泣いて、本当に泣いてしまっていたのだった。思わず手でそれを拭い、


「何でもない。夢を見ただけだ」


と応えた。彼女は私が泣いているところを見たとしても、決してそれを馬鹿にしたりはしない。あくまで、精神的に不安定になっているのではと私の状態を冷静に分析してくれるだけだ。だがやはり、いい歳をした大人が泣いているのを見られるというのは、あまり気分のいいものではない。


それはさて置き、森で迷った際に私を発見してくれたのは、父の機転で投入された、森の中で小動物を見付ける為に使われるハンタードローンというロボットであった。そう、ロボットが私を発見してくれたということだ。つまり、森の中で私が作ろうと心に誓ったものは既に存在していて、その時の思いは空振りに終わったというオチが付くのだが。


とは言えハンタードローンは生きた動物を見付ける為のもので、もし私がそれまでに命を落としていたら、私は今も両親の下には帰れていなかったかも知れない。何しろその森には、熊も生息してるということだったのだから。よく遭遇しなかったものだとつくづく思う。


しかしなぜ今そんなことを思い出したのかと考えてみると、やはりそれは、その時と状況が似ているからだろうか。


喋るロボットをお供に、誰一人いない場所で命の危険に曝されている。その事実が、かつての記憶を呼び覚ましたのかも知れない。だがそのおかげで私ははっきりと認識することが出来た。今この時、私を支えてくれているものが何かと言うことを。ただ戦闘力で私を守ってくれてるだけではない。人の言葉を話し、人の気配を感じさせるロボット。彼女の存在が私を支えてくれているのだ。


「でも…ありがとう」


素直にそう言えた。彼女が人間かロボットかは問題じゃない。彼女に心や精神があるかどうかは問題じゃない。ただ、私自身が彼女のおかげで救われている事実が重要なのだ。


「いえ。これが私の役目ですから」


いつもの彼女らしい返事が返ってくる。だが、続けて、


「感謝の言葉をいただけるのは、私も嬉しいです。千堂様」


…なに……?


その言葉を耳にして、私は自分が固まってしまったかのような違和感を感じたのだった。


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