4日目・深夜

アリシア2234-LMNは、私と荷物を載せた簡易トレーラーを引き、黙々と歩き続けていた。感覚としては、ラクダに荷車を引かせてるようなものだと思う。だが、私の目の前にいるのは殆ど人間と変わらない姿をした、少女の姿をした、ロボットなのだ。


機械なのだから疲れない。苦痛もない。不平も口にしない。しかしあまりに人間に似たそれが不満の一つも漏らさずに、延々と簡易トレーラーを引いてる姿は、私の精神を確実に揺さぶった。


本来の、平穏な人間の生活の中でヘルパーの役目を果たしているならここまでの違和感も無かった筈だ。実際、私もそんなことを感じた覚えもない。彼女らが存在し人間の為に働くという事実の恩恵に預かっただけだ。私の本宅にも彼女の仲間がいる。私にとっては無駄に広いそれの維持管理を任せっきりにさえしている。


しかし、ここは文明の欠片すら見当たらぬ荒野の真ん中。時折、野犬も見かけるようなここで、そもそもの役目とはかけ離れたことをしてる彼女は、やはり異様だった。


だからと言って、私がトレーラーを降りて歩いても、何も意味はない。無駄に体力を消耗し、オッドーへの到着が遅れるだけだ。今のこの状態が、最も合理的な形なのだ。それを何度も何度も、私は心の中で繰り返していた。知らぬ人間が見たら、か弱い少女に苦役を課している非道な大人にしか見えぬかも知れないこの状況が、何とも言えず居心地が悪かった故に。だからつい。


「辛くないか…?」


などという戯言が口を吐いて出てしまったのだった。


「問題ありません。私の機能は現在87%健全です。基本的な性能には影響ありません。バッテリー残量も三百時間を超えています。現在の行程ならオッドーへの到着を困難にする要素は見当たりません」


当然彼女ならそう言うだろうなという答えが返ってきて、私はますます自分の言葉が無意味なものだったことを思い知らされた。しかも、改めて行った『私が話しかけるまで話しかけないでくれ』という指示がそれによって完結し、彼女は饒舌に語り始めたのであった。


「千堂様は、地球出身でいらっしゃいましたね。それでは、火星の歴史はご存知でしょうか?」


まるで観光客に語り掛けるガイドのように、教科書通りの問い掛けだった。


「もちろん大まかには知ってるが…じゃあ、教えてくれ」


何故か再び『私が話しかけるまで話しかけないでくれ』と指示する気になれず私がそう言うと、彼女の講釈が始まった。


「千堂様も御存知だとは思いますが、火星は昔、僅かなバクテリアしか存在しない、生物にとってはとても厳しい環境でした。しかし人類は、西暦二一九九年に、火星を人類が生存可能な環境に改造するべく、本格的なテラフォーミングを開始したのです。既にそれまでにも各国が競うようにドーム型の町を建設し、人工的に居住可能な環境を作り入植は行っていたのですが、無計画とも言える性急な施設の拡張によって事故も多発。ついには中国が建設したドームにおいて大規模な事故が発生。住人の99.7%が死亡するという悲劇的な出来事をきっかけに、各国協調の下で、設備に頼らなくても生存が可能な環境を目指し、テラフォーミング計画が実行されたのです」


流暢に、しかし丁寧に彼女が語るそれは、火星の学校でも必ず習う、少なくとも火星に暮らす人間なら殆ど誰もが知っている内容だった。だが私はそれを、まるでラジオ放送を聞くかのように、ぼんやりと聞いていたのであった。


彼女はさらに続ける。


「火星の地中に氷の状態で封じ込められていた二酸化炭素を溶かすことで大量に大気中に放出し温室効果によって地表の気温を上げ、さらには地球からも固形化した二酸化炭素を、基地増設用の資材と共に持ち込み一層大気の濃度を高くし、充分な濃度に達したところで藻類を大規模に栽培。光合成によって酸素を発生させ、百年の歳月を費やし人類が生存可能な環境を作り出していったのです」


静かだった。彼女の声以外には、彼女自身の微かなサーボモータ音、彼女の足音、くたびれて錆が浮いた簡易トレーラーのフレームがきしむ音、すり減って中の充填剤がところどころ露出しているパンクレスタイヤが荒れた地面を転がる音、時折流れる風の音しか聞こえなかった。


しかし何故だろう。先ほどまであんなに居心地が悪かったというのに、少しずつではあるがそれが気にならなくなってきているような感じがする。それこそ彼女の声がラジオの放送を思わせる、穏やかなものだったからだろうか。人間の声が、いや、厳密には人間ではないが、聞いているだけならラジオから流れてくる人間の声と全く区別のつかないそれが聞こえてくるというのは、精神を安定させる効果があるのだろうか。


何気なく見上げると、地球の月に比べて三分の一ほどしかないフォボスは満月でも暗く、しかも人工の光が全くない星空はもはやプラネタリウムのように星が濃密過ぎて、逆に現実感が無かった。しかもこうして彼女の声を聞きながら車に揺られていると、自分が今、命の危険に曝されているということすら忘れそうになる。それどころかもはや、馬車に揺られながら砂漠を渡る酔狂な旅人にでもなった気分だ。


改めて進行方向を見ると、フォボスの弱い月明かりに照らされた彼女の後姿が目に入った。機能的には何の意味もないただの飾りでしかないウイッグが揺れて、時折風になびく様子が、闇に慣れた私の目に辛うじて映る。こうして見ると、やはり人間にしか見えなかった。それでも、彼女の声を聞いていると、居心地の悪さは確かに紛れていたように思う。ただ……


「こうして火星の環境を作り替えた人類は、火星そのものを一つの国として定め、そこに地球の各国が都市計画を提出することで改めて入植を推し進め、都市を築き、現在の社会の基盤を作っていったのです。ですが、皮肉なことにテラフォーミングが成功したことで火星の利権を求める地球各国の思惑が再び衝突し、それぞれの国の後ろ盾を得た火星各都市間で局地的な武力衝突が発生、それが後に第一次火星戦争と呼ばれる紛争へと…」


そこまで彼女が語ったところで私は、


「もういい。終わってくれ」


と声を掛けた。すると彼女は、


「承知いたしました」


呆気ないくらいにすぐに応じたのだった。


当然か。彼女は別に自らの欲求として火星史を語ってた訳じゃない。ただ自分のデータベースに入っていたものを音声で再生していたに過ぎないのだから。だが私としても、この後の、人間の業の深さを改めて思い知らされる歴史については、今更聞きたいものでもなかった。


地球においてはもう数百年に渡って、若干の衝突はあっても戦争を行ってこなかった日本が、『火星という一つの国の内部で起こっている武力衝突の解決に協力する』という名目で紛争そのものに加担し、火星の日本州でいくつもの企業の集合体として設立された総合企業体「JAPAN-2ジャパンセカンド」はその恩恵に与って現在の規模に急成長したのだ。そして今、火星は、地球各国の利権のぶつかり合いを具現化した、代理戦争の舞台ともなっていたのである。さらには都市の一部には独立を宣言し、公式には独立国として認められていないものの独自の憲法や法律を制定し自治を行っているものまであった。つまり、この荒れ地があるアガラ砂漠を領土だと主張するペリア共和国も、実際には「ペリア共和国という名の都市」でしかないのだ。


一方で、皮肉なことにそれによって地球での代理戦争はほぼ鳴りを潜め、局地的なテロが時折起こることを除けば、世界規模の平和が実現したのである。しかも、火星への大規模な入植によって、人口問題もそれに起因する格差も劇的に解消されたのだった。今、地球で起こるテロの殆どは、火星で行われていることへの抗議の意味合いが強いものになっていた。


結果として地球は、自分達の中にあった様々な諍いの種を、火星に送り込んだ形になったのだ。口さがない者達はそれを、『地球の汚物を火星に捨てた』とまで言う。責任ある立場の者達の誰もが表向きはそれを認めなくても、内心では否定しきれないのも事実ではある。


「…歌を、歌ってくれないか?」


私はそういう諸々を思い浮かべてしまった陰鬱な気分を少しでも紛らわせたくて、彼女にそう頼んだ。


「承知しました。何かリクエストはございますか?」


彼女の問い掛けに私は言った。


「…そうだな…地球の古いバラードがいい。選曲は任せる」


そして彼女は、囁くように、しかし伸びと透明感のある声で、名曲の数々を歌い始めたのであった。


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