ミヤコ様FC

 側近に指定された日時が近くなり、宇和島は『自学の間』を訪れた。

 この場所に来るのは久しぶりだった。この数週間の間に、『自学の間』は女学派の生徒たちの溜まり場と化しており近づきたくなかった、というのが一番の理由である。


 現地の光景を目にした宇和島は唖然とした。

 以前は整然と並べられていた学習用の長机がぐちゃぐちゃに乱れている。いくつかのグループに分かれた生徒たちはそれぞれ思い思いの遊びに耽っていた。あるグループはボードゲームに興じ、またあるグループは花札をやっていた。ひとりで漫画を読んでいる生徒もいた。周囲には飲食物が無秩序に散乱していた。

 本来の用途である勉強に使っている者は皆無だった。こんな有様では真面目な生徒が近づかなくなるのも無理はない。

 壁には女学派のスローガンと思しき大きな貼り紙があった。『共学化反対』というシンプルなものや、『伝統を守れ』というものもある。『男子追放』という物騒なものまであった。


 あちこち見回すうちに、あるグループが宇和島の目に留まった。

 宇和島にとっては見慣れた顔だった。声をかけるために、そのグループに近づく。


「妹ちゃん?」


 土佐の妹だった。ほかに三人の生徒が一緒だが、いずれも土佐班の生徒だ。


「あ、宇和島センパーイ」呆けた声で、土佐妹が反応する。

「こんなところで何やってんのー?」


 よく見ると、土佐妹の正面に甘酒の空き瓶が転がっていた。この姉妹は仲が悪いくせに好物が同じだから笑える。


「聞いて驚け。なんとウチら、ミヤコ様ファンクラブを結成したんですよー」

「はぁ……」

「会員番号一番はもちろん、あたしー」

「はぁ……」

「なんやき、その反応ぉ……もっと羨んでもよかないですかー?」

「……活動目的は?」

「ミヤコ様のお言葉を学園中に広め……えーっとなんだっけ……長い歴史を誇る秋津洲女子学園の女学園としての伝統を守ることである」

「へぇ、それはすごいねぇ」

「センパイも入会しません?」

「入ると何かいいことあるの?」

「ある」土佐妹は誇らしげにいった。「いま入会するとなんと!一桁会員番号をゲットできちゃいまーす!」

「あはは……」


 つまり、会員数は九人未満ということか。というより、いま目の前にいる四人で全員ということだろう。


「ダメっすよリーダー。他所よその生徒を入れるのは」グループのひとりが土佐妹をたしなめた。「それに、宇和島先輩は共学派じゃないですか」

「そうなんすかー?」土佐妹が懐疑の視線を宇和島に向けた。

「さぁ、どうだったかなぁ」波風が立つのを嫌がり、宇和島はしらを切る。

「共学派はみんなそうやって態度をぼかすんですね。薩摩さんにしてもそうやったが」

「さっつんがどうかしたの?」

「昨日、ミヤコ様との面会のためにここに来たんです。薩摩さんを見たときはみんな色めきだってたなー。あの薩摩さんがついに決起して、女学派の先鋒となってくれると期待してたんですき」

「さっつんが?まさか。あの子はずっと共学派だよ」

「期待を寄せるのは勝手やないですか。……まぁとにかく、しばらくして薩摩さんはミヤコ様の居室から出てきましたが、なんだか機嫌が悪そうでした。その後しばらく『自学の間』をうろうろしていました。自分の班の生徒を探してるみたいでした。そして……」


 土佐妹は黙って指をさした。その先には開けっ放しの扉があった。『自学の間』の一角にある多目的の小部屋のひとつだった。


 宇和島はその小部屋に近づいてみた。扉は空いているが、立入禁止を示すテープが何重にも張られていて入室が規制されている。部屋の照明は落とされていて中は暗かった。

 テープ越しに部屋を覗き込んだ宇和島は唖然とした。壁の中央あたりに、まるで鉄球でも撃ち込んだような穴が穿たれており、そこから放射状に亀裂が走っていた。


「いったい、何があったの?」宇和島は土佐妹に尋ねた。

「さぁ、詳しいことは知りません。ただひとつわかるのは、あの班はイカれてるっちゅーことです」



 その後、宇和島は彼女たちに自分の部屋に戻るように説得を試みたが、彼女たちは聞く耳を貸さなかった。聞くところによれば、『自学の間』の近くの空き部屋で寝泊まりしているらしいが、こんな不摂生な生活をしていて体を壊さないか心配だし、以前に土佐を気の毒に思って「妹を見つけたら連れ戻すよう説得するから」と約束してしまったこともある。しかし今となっては、無理な約束だったと宇和島は思うようになっていた。


「宇和島はん、お時間どす」


 そうこうしているうちに、ミヤコ様の側近に呼び止められた。

 身体が緊張で強ばるのを感じる。

 このときのために身なりはちゃんと整えてきたし、話す内容も考えてきた。抜かりはないはずだが、いざミヤコ様との対面となると緊張せずにはいられない。


 宇和島はここに来るまでの間、なぜミヤコ様が急に自分に会いたいといいだしたのか、その理由を考えていた。

 好意的な解釈は、最近、生徒会への参加や中間考査などで密かに名を上げている宇和島に純粋に興味を持った、というものだ。

 意地の悪い解釈もある。生徒会に不満を持つミヤコ様が、外部の有力な生徒を手懐てなずけて――品のないいい方だが――、生徒会を自分の都合のいいように動かそうとしているのではないか。

 だが結局、どっちでも構わないと宇和島は思っていた。宇和島にとっては、こうしてミヤコ様との対面が叶っただけで充分だった。


 両開きの扉が開け放たれ、宇和島は中に導かれた。

 この大部屋は元からクイーンの居室だったわけではなく、かつてはレクリエーション室だったらしいが、その面影はなく、壁や床には壮麗な装飾が施されていた。

 無論、誰でも自由に出入りできるわけではなく、ミヤコ様に出入りを許された少数の生徒が、部屋の端の小テーブルを囲って談笑している。

 ミヤコ様は最奥の椅子に着座していた。

 その手前に、二人の側近が立っている。食堂で宇和島に声を掛けてきた側近は向かって右側にいた。二人のどちらかが右京でもう一方が左京という名前なのだが、正直どっちでもいいと宇和島は思っていた。今日話す相手はミヤコ様なのだ。


「宇和島はんをお連れしました」


「ご苦労」


 ミヤコ様の視線が、宇和島へ向けられた。その目は明朗さを湛えながらも、どこか憂いを秘めているようにも感じられた。その美しい目に、生徒たちは魅了されるのだという。宇和島も例外ではなかった。


「急な呼び出しに応じてくれて、おおきに」


「こちらこそ……お声掛けいただき……光栄です……」


 緊張が声に滲み出てしまった。宇和島は気恥ずかしくなり目を伏せる。


「固くならずともよい。ここで話すことはすべて雑談と思って構わぬ。今日は其方そなたのことを知りたいのや」

「……はい」

「入学はいつか」

「中等部からです」

「内進組とは仲良くやっているか」

「福井ちゃ……福井さんとは仲良くさせてもらってます」

「部活は」

「やっていません」

「何か好きなものは」

「みかんが好きです。……あと船とか」

「勉強は得意か」

「まあ……ぼちぼちです」


 宇和島が曖昧な返答をしたそのとき。


「宇和島はんは謹慎処分を受けていたにも関わらず、その後の中間考査で上位に名を連ねたのどす」


 側近が入れ知恵をしてきた。


「ほう、謹慎とは如何なる故あってのことか」


 宇和島としては中間考査の結果に対して食いついて欲しかったので、その問いかけには内心、落胆した。


「ちょっと……生徒会と揉めまして」

「ああ、彦根やな。思い出した。謹慎解除の請願書に其方の名前があったな。近頃の生徒会には、其方も思うところがあるのではないか」

「はい……正直にいって、たるんでいて頼りないと思います。改革が必要かと」

「ほう。其方ならば何とする」

「改革するには人事から……ということで、いま空席になっている生徒会長補佐に福井さんを推薦したいと思います」

「その理由は」

「人脈が広くて東西に顔が効きますし、何よりひとを見る目があります。もし推薦状を頂ければ、すぐにでも生徒会に提示したいと思うのですが……」


 宇和島がそう上奏したとき、周囲からクスクスと笑い声が聞こえた。二人の側近もどういうわけか笑っている。理由がわからず宇和島は戸惑った。


「あの……なにか」

「そういうことなら、残念」側近が口を開いた。「一足遅かったどすなぁ」

「どういうことでしょうか」

「薩摩はんが同じことを言わはったんどす。推薦状も薩摩はんにお渡ししました。今ごろ生徒会に渡ってはるんとちがいますか」


 しまった。どうやら薩摩に先を越されていたらしい。昨日、薩摩が『自学の間』に来ていたというのはそれが目的だったのか。この面会を学園内での存在感を高める絶好のチャンスと考えていただけに、宇和島の落胆は大きかった。結局、薩摩のほうが一枚上手ということか。


「まあよい。其方の学園を想う気持ちはよう伝わった」


 そういってミヤコ様は右手をすっと側近のほうへ差し伸べた。何かの合図だろうか。

 側近はおもむろにミヤコ様の掌に朱色の盃をのせ、そこに何かの液体を注いだ。

 ミヤコ様は優々たる所作でそっと口元に盃を近づけると、わずかに盃を傾け呑む素振りを見せた。

 側近が盃を受け取り、ゆるゆるとした足取りで宇和島に近づいてきた。


「盃を」


 側近にいわれるがまま、宇和島はさっきまでミヤコ様が手にしていた盃を両手で受け取った。緊張でわずかに手が震える。


「光栄に思うのです。ミヤコ様と盃を交わすことで、私たちは晴れて姉妹となるのですよ」


 宇和島はごくりと唾を呑み、盃を凝視した。透明な液体が盃の半分ほどを満たしている。ふちにはミヤコ様が口をつけた痕がかすかに残っている。

 気恥ずかしさのあまり顔が熱くなるのを感じた。盃を交わす、というのは一体どうやればいいのか?相手が口をつけた部分に自分もつけるべきなのか?それとも反対側につけるべきか?いやそれ以前に、本当に口をつけてよいのか?つける振りだけしたほうがよいのか?本当に口をつけたら間接キスになるのではないか?相手はミヤコ様だぞ。頭が沸騰する。わからない。一体どうすればいいのか……。



 それから先のことは、あまりよく覚えていない。

 再び冷静になったとき、宇和島は自室のベッドに寝転がっていた。


「物事がうまく行かなくなるとすぐふて寝する。班長の悪い癖ですよ」


 机に向かっていた吉田が声を掛けてきた。


「だってぇ……さっつんに先を越されてたんだもん。これできっと、ミヤコ様のさっつんへの評価は爆上がりだよ。ウチなんてどうせ、おまけ程度の存在なんだよ」

「別にいいじゃないですか。班長の出る幕じゃなかったということですよ」

「相変わらずよっしーは冷たいなぁ。班長が名を上げるのがそんなに嫌?」

「私はべつに今のままでいいと思ってるんで。ほどほどに学んでほどほどに遊ぶ。平凡って素晴らしいことだと思うんです」

「ウチはそれじゃ満足できないんだよね……。ウチはここにいるって、みんなに知ってほしい……。いろんなことに首を突っ込んだり、あちこちに恩を売ったりしてさ……」

「ミヤコ様に覚えてもらえただけでも良かったじゃないですか」

「そりゃそうだけどさ」

「それにしても……フフッ、まさか盃から手に移して飲むなんて……フフフ……それじゃあ盃の意味がないじゃないですか」

「笑うな!滅茶苦茶恥ずかしくてどうしていいかわかんなかったんだよ」

「フッ、すみません……。でもこれで、間違いなくミヤコ様に覚えてもらえたんじゃないですか。良かったですねぇ班長」

「うるさいわ」



 生徒会改革は、薩摩の目論見どおりに進んだようである。その目玉となるのは、福井を生徒会長補佐に就任させるというものだった。薩摩はさぞいい気分だろう。

 一方、福井には重責が課せられることとなった。学内融和はまだ道半ばで、解決しすべき問題は山積している。

 その福井が、宇和島を訪ねてきた。


「やあやあ福井ちゃん、就任おめでとう。これでキミも晴れて生徒会役員だね」

「ちっともめでたくありません」


 役員となって気分上々かと思いきや、福井の顔は暗い。おまけに溜め息まで出る始末である。


「どうしたん」

「実は……薩摩さんがちょっと問題を起こしまして」

「問題って、壁の穴の件と関係あるの?」

「いえ、それとはまったく別の話です」

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維新女学園 真言〈まこと〉 @youllbeasgod

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